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人生、乗り超えなくてもいい壁多い説 

なんだか世の中、お疲れモード。
乗り超えられない壁はないとか、逃げたらダサい、頑張ることがカッコイイみたいなそんな認識がどこかにあって、逃げたいのに、辛いのに、社会からの目を気にして頑張っちゃう人が多い気がする。

そう、私がそうだった。

–努力することが当たり前?–

こんなこと言うとちょっと鼻につくかもだけど、私は小さい頃からできないことがあまりなかった。

成績良し、全国テストの順位も1桁、計算は学年で1番早くて、運動も人よりできる。図工や美術も得意で、なんだか人生イージーモードだった。

でも母子家庭で、決して裕福ではない家庭で育った私は、自分の家庭環境にコンプレックスを感じてた。他の子が塾に行き、家庭教師を雇う中、私は与えられたものの中で人一倍勉強する。ピアノを習ってるあの子が羨ましくて、私は放課後音楽室で1人ピアノを練習する。たくさん練習して、校歌の伴奏を弾いたこともあった。そんな風に、与えられたものが少なかった私は、人一倍努力することでしか何も手にいれられなかった。

そうして努力することで生まれた成功体験ばかりが重なっていくと、自分の中の自分のハードルがどんどん上がっていく。あの子ができるなら私にできないわけがない。だから実力が追いつかないときは、追いつくまでひたすら努力をする。それがいつの間にかくせになっていた。頑張ることが当たり前、逃げる事は恥。今思うと、本当にしんどい生き方をしてた。

高校受験で第一志望の高校に入学すると、私の人生は大きく変わる。

校則のない高校で、勉強ではなく学ぶことの尊さを知り、多様性を知った私。生き方は人それぞれで、誰も他人の価値を決められないこと、自分が好きなように生きることに、誰の許可も要らないということ。

自分の価値は見た目でも学歴でも職業でもなくて、自分で生み出していくものだということ。そんなことを、先生だけじゃなく友達から学んだ。

-その選択の意味を追求すれば、それは逃げじゃなくなる–

そこからは好きなこと、自由に対して貪欲な私が始まった。

高校3年生。私はいわゆる受験勉強をしないことを決めた。暗記ばかりの勉強をしたくなかったし、受験勉強をしてまで行きたい大学がなかった。これだけが理由だった。他の言い訳を作る必要もなかった。周りの大人からは、あの大学にいきなよ、とかもったいないとか色々言われたけど、全部うるせえ。けど大学で勉強したいことがあった私は、それができそうだった今の大学にAO推薦で入学した。


大学受験という日本人にとっての人生の一大イベント。受験勉強したくないという理由でやらなかった私は、他人から見たら”逃げ”に見えただろう。答えはイエス。やりたくないからやらないことは、逃げなのかもしれないけど、別にいいじゃない。だってやりたくないんだもの。

やらない理由とか、やる理由とか、そんなの最初っから全部わかる人は多分いない。けど後から振り返ったときにその理由をしっかり考えられる人が、その次のステップでレベルアップできるんだと思う。あの有名なジョブスのスピーチ、点と点の話もそういうことを言ってるんだろうな。

だから、多分、乗り越えなくてもいい壁から逃げた後に、それを振り返って自分の中での意味づけみたいなものをしっかりすることが大切なんだと思う。そうすることで、”逃げ”が逃げではなくて、”選択”に変わるんじゃないかな。

ま、まだ未熟な私には何もわからないんだけど。

疲れたら立ち止まっていいし、現実から目を逸らしていいし、そしたら自然と自分に向き合えて、家族や大好きな友達の存在の尊さを知り、空の綺麗さに気づく。


なつを


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韓国留学/映像制作/アートで社会課題にアプローチするアートクルーWAKE(ウェーキ)/ホスピタルアートプロジェクト
コメント (2)
やばいこれめっちゃスキだ。俺は'逃げ'っぽいなって決断を、逃げて何が悪いって開き直る感じで正当化してたけど、その決断の意味を考えることで逃げが'選択'のひとつだよって考えるの面白い。あと、自由に貪欲になるの、とても共感!
嬉しい!これ書きながら、きりと話したい内容だなとずっと思ってた笑 今度語ろ!
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