僕らには氷山の一角しか見れない。
やほ。
仕事が終わって昨日の帰宅中に、自分自身にとっては衝撃的なニュースが流れてきました。
率直な気持ちで言うと、「ふざけんじゃねえ」です。
要約
・東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は、日本外特派員協会が作成した”パロディ”ロゴの取り下げを申し入れた。
・著作権侵害に加え、コロナウイルスを題材にしたことで世界の人々に向けたメッセージ性などを考慮した際「配慮を欠いている」「誠に遺憾」
・同様のパロディーもあるものの、社会的反応が大きいと判断した
ここから考えたのは2つです。
<記事を見て感じたこと/率直な感想>
率直な感想として、怒りを覚えました。
ただ、時間を開けて冷静になって考え、どうしてその感情になったのかを考えてみました。
・平和の祭典にもかかわらず、平和を”壊す”ようなロゴの作成
「オリンピック=平和の祭典」であることは普遍的であり、「スポーツを通じた平和の実現」は古代オリンピックから提唱されていました。その世界観を壊してまで、かつその世界平和を脅かしてさえいる、この話題を取り上げ、ここまでやる必要があるのか、と感じました。
(そこに何かしらの意図があったとは思いますが)
・自分の成し遂げたい社会の"ロールモデル"がオリンピックの世界観であり、自分自身も傷ついた感覚
私の描いている理想の世界像というのが、経験上、オリンピックの世界観をかなり近いものになっています。その世界観にシンパシーを感じる部分もあるからこそ、その世界平和とは真逆の方向性を示す形で表現されてしまったことに対して、感情をぶつけてしまいました。
<見解>
とはいえ、起こってしまったことは仕方ないのと、
ここからの学びを日常にも落とし込みたいなとも思うので、もう少し続けます。
・会社も個人も「当たり前の基準を上げる」
簡単に話すと、会社のブランドを守ること、また個人としてのブランドを守ることなのかなと感じます。
今回のケースのように、第三者から崩されてしまうこともあるけれど、
まずは自分たちの目の前のブランドを守る。
1つ1つの当たり前から積み重なっていくものもあるのではないかと考えます。
(会社なら、ロゴ使用法、カラーコード。個人なら、SNS発信、普段からの発言)
・氷山の一角で判断してしまいがちだからこそ、相手に伝わりやすい情報を。
昨日の仕事の反省も踏まえてになります。
今回のロゴの場合、どうしても表面的な部分で判断されてしまいがちだからこそ、このような形に発展してしまったのかなと感じています。
電話口でお話しする表面的な情報だけが頼りになるので、
電話するお客様に不審がられない、「よくわからない」「めんどくさい」と思われないような情報の伝え方、言葉の選び方をする必要があると改めて感じました。
はなも(ん)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?