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【大喜利のお題を選んで小話を書き殴る373】ゾンビと親友になる方法とは?

はい!土曜日ですねーーー!!今日はちょっとお出かけしていました。このところモヤモヤすることが多かったせいか、結構久しぶりに、かなりきちんと気分転換ができているように思えます。

私って紫陽花がとっても好きなのですが、今年は地元でたくさんみられていて嬉しいです。モフモフしているのが素敵なの。切り花とかでもらっても普通にかなり嬉しいのだけれど。

先日立ち寄った「カフェちゃーみーちゃっと」さんにはテラス席があって、お庭やお店の畑の周りには紫陽花がたくさん。お店の前にも飾られています。いや〜、いろんな色があって素敵!

実は、つぼみの頃から見させていただいていて・・・毎年大事に育てておられるそう。

咲く前の、つぼみのついた紫陽花のお庭(私としたことが、咲いた後のお庭を撮るの忘れてた・・・!!)。

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額紫陽花の紫。可愛い!なんだか繊細で奥ゆかしいですね。

ピンクのも紫陽花。「ダンスパーティー」っていうらしい。なんて華やかな名前なんだ・・・ネーミングセンスが最高ですね。

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こちらはピンクの紫陽花。でっかくて、鮮やかですてき!

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梅雨って雨ばかり降るし、髪の毛はうねるし、お肌はネチネチするし頭は重たいし、野菜はカビやすいしコバエは増えるしで一見すると嫌な季節って思うかもですが、紫陽花が最高に綺麗なのも梅雨ですね。私は特に梅雨生まれなので、できれば梅雨を好きでいたい。毎年けっこう不幸が多い時期だからさ・・・。

さて、本日のお題は・・・「ゾンビと親友になる方法とは?」です!またホラー回だよ・・・そもそもゾンビと仲良くしたい生身の人間なんてそういないと思うのですが。

ゾンビと人間は友達になれるのか

あんまり考えたくないのですが、ゾンビのことを考えていきましょう。ゾンビというのは、かなり初期の記事で調べたと思います。えーと、どれどれ・・・。

出典: 哲学的ゾンビ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

哲学的ゾンビという言葉は、心の哲学の分野における純粋な理論的なアイデアであって、単なる議論の道具であり、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」という形で定義された仮想の存在である。哲学的ゾンビが実際にいる、と信じている人は哲学者の中にもほとんどおらず「哲学的ゾンビは存在可能なのか」「なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか」などが心の哲学の他の諸問題と絡めて議論される。

なんということだ、真面目に考えるとドツボにはまる「哲学的ゾンビ」についてしか調べていなかった・・・。「なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか」だぁ〜?そもそも、我々が存在しているということを、いったい誰が証明してくれるって言うんだい?そもそも、この世の全てのことなんて、胡蝶の夢かもしれないんですよ。ややこしいことは考えずにパフェ食って寝ましょう。それで明日が続いているならば、私はまだ夢から覚めていない、もしくはまだ生命活動が終わっていない、と認識していることになる、ってくらいでしょう。全ては闇の中である。

さて、仕方がないので「ゾンビ 友達 映画」で調べてみました。こんな映画があるようですぞ。

『ゾンビーノ』(Fido)は、2007年に公開されたカナダのゾンビコメディー映画。
地球が放射能の雲に覆われた影響で死者がゾンビとして蘇り、人間との間で戦争が起きた。ゾムコン社はゾンビを沈静化させ人食の欲求を抑えさせる首輪を発明し、人々が安心して暮らせるようにした。ゾンビが人間に仕えるようになったのだ。ゾムコン社が作ったフェンスで囲まれた安全地帯以外はゾーンと呼ばれる。ゾーンには野生の危険なゾンビが今なお闊歩しており、死刑囚や反逆者はそこに追放される。事実上の死刑だ。
ウィラードという町に暮らしているティミー・ロビンソンはそんな社会にどうしても疑問を感じてしまい、周りから浮いてしまっていた。
周りとこれ以上差が付くことを恐れたヘレンはゾンビを飼う事に決める。ビルはゾンビに嫌悪感を抱くものの、ティミーは一見愚鈍なように見えるそのゾンビにイジメっ子に襲われている時に助けられ慕うようになる。 そして、ティミーは彼に「ファイド(Fido=信頼、忠実)」と名付ける。だが、ある日近所に住む老女ヘンダーソンの八つ当たりでファイドの首輪が壊され、ファイドはヘンダーソンを食い殺してしまう。 そこから静かにゾンビが増え始め…。

出典:ゾンビーノ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちょっと待てぃ(千鳥)!!「ゾンビコメディー映画」って何(関西弁)!?そんなジャンルの映画があるの?

まあ、それはもう置いといて・・・面白そうな映画だな!!あらすじから漂うコメディーなのだろう感・・・流石に若干暴力的なシーンもあるだろうから、黒いのが苦手は私はみづらいけど・・・結末が気になる。名探偵ピカチュウくらいのカジュアルさでみられるものならみたい。

とりあえず、ゾンビと友達になるには、「人食をさせない」というのが最低限の条件であり、最大の関門と言えそうです。鬼滅の刃でもそうだったし。自我が崩壊している家庭で、ご馳走を前にすれば普通は我慢できないのでしょう。いつかゾンビになるときには、「人間は家族だ」ということを覚えておきたい(そして、自分は最初から哲学的ゾンビかもしれない可能性も常に視野に入れておくこと)。

お題に答えてゆきましょう

そういうわけなので考えていきましょう、「ゾンビと親友になる方法とは?」です!

・率先して噛まれて自分もゾンビになり、一緒に人間を駆逐していく

これがもし、鬼滅の刃も舞台であれば、涙を流しながら仲間を止めに入るっていうのに、私ときたら・・・楽になることばかり考えてはダメですね、やり直し。

・一緒に盆踊りを踊る

心を通わすといったらダンスですよね。唯一ゾンビが踊れそうなダンスを考えたらこれしかなかった。

・口を縫う

人間を噛めないようにしたらいいのではないでしょうかっていう案です。よく思うのですが、ゾンビって食べないと死ぬんですかね?鬼は生命体なので死ぬかな〜って思いますが、ゾンビって生命活動をしているの?

・ゾンビの仮装をした上で、自分もゾンビと同じように「ウ〜〜〜」って唸りながら行動を共にしてみる

意外と溶け込めるのでしょうか。そもそもゾンビって「非人間/人間」をどこで判別しているのでしょう。見た目が一緒ならバレないのであれば、ゾンビの仮装をするのが有効そうです。

・常に心を空っぽにして付き合う

親友の条件って、「いつでも同じ気持ちでいる」ことかなって思うのです。そういうことであれば、ゾンビの場合は常に自我が崩壊しているので、自分も心を空っぽにして接する必要がありますよね。

・一緒に温泉に入る

ゾンビって、お風呂に入るとどうなってしまうのでしょうか?誰か教えて!


今日はけっこう歩いたので疲れたぜ。お風呂に入ってリラックスだ〜!あ、ゾンビは一緒に入らなくていいからね!


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