白鳥は、女性的か、男性的か?

数年前、『マシュー・ボーンの白鳥の湖』(1995年初演)というバレエ作品を初めて見たとき、驚きました。

全て、白鳥を男性が踊るのです。
とはいえ、「バレリーナのように」踊るわけではありません。目の周りを黒く縁取り上半身を露出したダンサーたちのパフォーマンスは、とってもアグレッシブで、女性が踊る古典版『白鳥の湖』とは全く印象が違います。“野性動物としての白鳥”という感じです。

一方、古典版の『白鳥の湖』(1895年初演)における白鳥は、バレリーナの定番イメージ。振付にも、白鳥の持つ滑らかな曲線美や優雅さがよく活かされています。“擬人化された美の象徴”という感じです。


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この2つの作品を見比べてみて、何より面白かったのは、女性が踊っても男性が踊っても、そこに本物の白鳥のイメージを見出すことができる、ということです。
とある哲学者は、「白鳥には女性的な面も男性的な面もある」と言います。つまり白鳥は両性具有のイメージを持っているのです。


白鳥って、不思議な生き物だなあ。
考えてみれば、白鳥は、舞踊だけでなく他の芸術分野にも登場します。
せっかくなので、ちょっと探してみることにしました。


西洋美術では、ギリシア神話の辺りでよく白鳥を見かけます。
何しろ、ギリシア神話に登場する芸術の神アポロンと結びつけられているのです。どうやら、アポロンの誕生に白鳥が居合わせたという伝承があるようです。白鳥は渡り鳥なので、太陽神でもあるアポロンの天体の運行と、白鳥の飛行の軌道を結びつけたのではないかという考え方もあります。

とはいえ、一番有名なのは、ギリシア神話の「レダと白鳥」の物語でしょう。ゼウス(英語名ではジュピター)が、一目惚れしたスパルタ国の王女レダと会うために白鳥に変身する、という話です。画像検索していただくとわかると思いますが、セクシーな絵を描く口実になるため、絵画では昔から大人気のテーマでした。

音楽では、まず、チャイコフスキー《白鳥の湖》。これは、冒頭で紹介したバレエ作品のために書かれたものです。

次に、よく耳にするのは、サン=サーンス《動物の謝肉祭》の中の〈白鳥〉でしょうか。振付家ミハイル・フォーキンが『瀕死の白鳥』というバレエ作品を振り付けていて、これは、バレエファンでなくとも知っている人がいるかもしれません。死にかけた白鳥が息絶えるまでを描いた、5分にも満たない小作品です。アンナ・パヴロワをはじめ、今まで世界の名だたるバレリーナがお気に入りのレパートリーにしていました。

他には、シベリウス〈トゥオネラの白鳥〉という曲があります。フィンランドの叙事詩『カレワラ』を題材にした交響詩《4つの伝説曲》の中に収められた曲です。この中で最も有名なのが2曲目の〈トゥオネラの白鳥〉。トゥオネラとは、この世とあの世の境を流れる川のことです。

そう、白鳥は”死”のイメージと結びついていることが多くあります。哲学者アリストテレスは、白鳥は「よく歌う鳥であって、死期が近づくと特によく歌う」と言っています。音楽家が生前最後に作曲した作品を、この白鳥が死に瀕して歌うという伝説になぞらえて「白鳥の歌」と言いますが、シューベルトの歌曲集のひとつである《白鳥の歌》も、この意味で使われたものです。

ほかにも、白鳥にまつわる物語や伝説は、洋の東西を問わず世界各地にあります。水浴するために脱いだ羽衣を若者に隠され、心ならずも地上の生活をするが、やがて羽衣を手にすると白鳥に変身し飛び去る……という〈白鳥の乙女〉の伝説。その男性版とも言える〈白鳥の騎士〉の伝説もあります(ワーグナーのオペラ《ローエングリン》は、この伝説をもとにしています)。


……すごいなあ。
白鳥って、考えれば考えるほど、不思議な生き物でした。


大きな白い翼、滑らかにうねる長い首。
女性的であると同時に男性的でもあり、詩的で優美、純潔でありながらエロティックで、さらに死をも暗示させる。
これらの中には対立する要素もありますが、その全て抱え込んでいるからこそ、白鳥は、芸術的な完全性を帯びているのだろうなあと思います。

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