胸が痛むとき

ふいに胸がぎゅううって痛みしんどくなることがある。しかもそれが年々酷くなってきてる気がする。

原因の大半が過去の出来事で。めちゃくちゃ怒られたあの日、泣きながらチャリ漕いで帰ったなあ、とか。中学のお昼ご飯の時間にまあまあな人数の前で滑りまくったあとか。購買で買った安いヤマザキの草餅をかわいいねえって撫でて友達と笑いあったり、ロッカーの前ですれ違っただけなのに「いま時間ある?」「うん、暇!」からの初見アンサンブル大会とか。なんでこんな言い方しちゃったんだろうっていうラインの文面とか、消したいのに消せない写真やなんであの写真消しちゃったんだろう、とか。

タイムマシンがあったら人はどちらを選ぶのだろうか。過去と未来。

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昭和を生きたことなんてないのに「ALWAYS 三丁目の夕日」に出てくるあの街の感じとかレトロな小物にときめくし、YouTubeにある「昔のCMまとめ70年代編」的な動画なんて一番好きだし、シャッター商店街ときたら好きどころか、目を閉じたら盛況だったあの頃の風景を脳内再生できる能力だってある。

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私は幼少からわりと懐古主義的で。

近所のダイエーがなくなったときはひどくて、しばらく他のスーパーなんて考えられない!ってまるで失恋したかのような喪失感に打ちひしがれたし、サークルKがファミマに変わったときもそう。ジャスコがいつの間にかイオンに変わっていたことに気づいてしまったときとか、こういうときにも胸がぎゅううってなるのだ。

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でも過去に戻ってみたいとは思わない。過ぎてしまったからこそ美化されて、いわゆる「思い出補正」になったのかもしれないし、たとえあの頃の青春をもう一度体感しても今の私じゃつまらなく思えるかもしれない。

私はどちらかというとそう感じてしまうことが怖い。

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人間にはありがたいことに「忘れる」という機能が備わっている。同時に「忘れるもんか」もセットだけど。

この「忘れる」と「忘れるもんか」のバランスがちょうどいい頃合いの出来事が愛おしく、思い出の引き出しに残るのだろう。だから時々取り出して眺めたりする。

このまま引き出しをぱんぱんにしていきたい。

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胸がぎゅううってなるときって、内面的でなく本当に心臓のあたりが痛む。けれど病院に行くほどの痛みでもないからきっと死ぬまで放置するんだろう。

未来の自分も変わらず痛みを感じていてほしいと願う。

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