女子校に通いたかったという話。

幼稚園から大学(おそらく大学院も)全て共学で育った。共学化が進むのが良いというような風潮だからある意味よかったのかもしれないが、「女子校だと女子が人間として保証される」という考え方があると、どうしても一度でいいから女子校で学びたかったと思うときがある。

中3の時、通っていた塾の塾長から地元の進学校以外の学校を勧められたことがあった。そこは全て女子校。中高一貫がメインであるものの高校でも募集枠がある共学校はあったはずだったし、「女子だけの空間」に良いイメージを持てなかった自分は乗り気ではなかった。結果的に、それらの高校には願書を取り寄せただけで受験せずに終わった。

社会の中で起きているジェンダーの問題を一人の若い女性という当事者から考える今だからこそ、塾長の提案は自分にとって重要なものだったはずと気づく。
なぜ女子が勉強や部活を頑張っているとドン引きされて、男子からも女子からも敬遠されたのか(色んな学力や価値観の子がいる公立中だけでなく進学校だった高校でもあった)。なぜ外見を「清潔である」こと以上に気にしなければいけなかったのか。これは今でも引きずっていることだが、なぜ自分が笑顔で、上目遣いや首を少しかしげるなどの”可愛い”仕草をしないと男性と話せないのか。なぜ医学部の男の子から告白されるときに「医者になる俺と結婚すれば”自由に”暮らせるよ」と口説かれないといけなかったのか。
当時は仕方ないことと諦めていた出来事の根底にあるのは、「男子からのまなざし」だった。

もし、そんなまなざしがない学校生活だったらどうだったのだろう。勉強や部活をもっと堂々と頑張れたはずだし、そういう志を示す女子がもっといたかもしれない。「女子だけの空間」をポジティブに捉えることができて、「女子として」ではなく「人間として」彼女達と友達になれたかもしれない。「可愛くないといけない」という呪いから解かれて量産型の愛されコーデ以外のファッションに挑戦できたかもしれない。
こう考えるとなんだか惜しい気持ちになる。

今からでも遅くないと思う人もいるだろう。でも、学齢期という自己形成において重要な時期を終盤に差し掛かっている今はとてつもなく遅く感じてしまう。振る舞いや恋愛の考え方を変えたくても変えられない自分がどこかにいる。

ドラえもんのもしもボックスがあったら、「もし共学でも女子が人間として保証されるなら」と電話をかけたいし、タイムマシンがあったら過去に戻って、女子校嫌いの当時の自分を説得して首都圏の女子校を受験させると思う。
そのくらい、女子校というものを渇望している自分が今ここにいる。

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