2年前のロンドン留学で今残っているものは記憶よりも習慣。

もう、ロンドンで生活していたのが2年前ということが信じられない。帰国子女の友人から「そこで生活していたということを、いつかは忘れてしまうんだ」と留学前に言われたことを思い出す。

思い出すことも減ってしまった。SNSを開くことも、このご時世では気が引けてしまうので当時仲の良かった友人と話すこともできていない。

でも、必ずしも留学していたという証拠は記憶だけじゃなくて日々の習慣や思考というものと深く結びついているなということに最近実感できたので、
留学から日本に戻って、「確かに私はロンドンで学んでいた」からできていること、習慣をざっと書き出してみた。

・ベジタリアンの友人が多かったゆえに、もう焼肉や牛丼といった肉たっぷりのご飯が食べられなくなってしまったこと
・ふと時間があったときに美術館に行きたくなり、最低月1で鑑賞していること
・目の前に映る自然、景色、昔だったら「素敵」と気づけなかったものを慈しむことができていること
・気づいたことを「自分の言葉」で書き残そうとすること
・コーヒーを飲む、紅茶を飲む時間を大切にできていること
・英語だらけの論文やウェブサイトを見ても気が重くならなくならず、むしろ貴重な情報源として積極的に読もうと思えていること
・所属していたケルト音楽サークルで演奏した曲を聴きたくなること

社会学では、文化資本という言葉があるが地方出身で事実上「ファーストジェネレーション」に該当する自分にとっては、乏しい文化資本を頑張って底上げしたのが留学期間だったのかもしれない。
留学していて履修するのが4年まで待たないといけなかった必修の授業で、先生がこんなことを言っていた。

「文化資本は育った環境の要因が大きいですが、自分の力でも養うことができます。ぜひこの大学を利用して自分たちの文化資本を培ってください」

英語という母語以外の言語と向き合うこと、違う社会を知ると同時に日本を外から見ること、それが留学していた当時の自分にとってのいわばミッション的なものだったけど、長期的に考えて一番血肉になったのは文化資本だったのかもしれない。

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