見出し画像

日本人の天皇への尊敬の根源:河野太郎が知らない「大御心」の意味

河野太郎氏のYouTubeのLIVE配信で女系天皇容認論が出ましたが、その発言中の認識の危うさについて、ここではその一つについて指摘していきます。

河野太郎の問題発言「今の天皇を国民が支持しているのが正統性の根拠」

河野 要するにY染色体といういわばタンパク質が大事なのか、或いは今の天皇陛下を始め、皇室が国民から尊敬され、象徴だ~と言って受け入れられているというのは、そりゃもう天皇陛下をはじめ毎日国民のことを考え、災害が起きれば行って勇気づける或いは色んな行事に出てきて本当に色んな分野で頑張っている人を激励をするということを皇室を挙げてやってこられたそういう皇室の姿をやっぱり国民はそれを支持してるんだとすると、そりゃもうその皇室のメンバーである愛子様はじめ内親王のお子さんの方を素直に次の天皇として受け入れるということもあるんではないかと思います。

河野太郎氏が強調しているのは「今の」天皇陛下であったり皇室が被災地への激励や行事に参加している姿を国民が見ているのが皇室の正統性の根拠だ、ということですが(「今の」には多少の時間的な幅があると思われる。おそらくとある人が一生涯に見聞きできる天皇の世代、という意味と考えられる)、この時点で河野太郎氏の皇室に対する認識の浅さが伺えます。

もちろんそうした国民の意識が皇室の存在の正統性の一部ではあるのですが、決してそれに留まらないということが大事です。

そこには「天皇の大御心」についての無理解があると思います。

「大御心」「皇祖皇宗の遺訓」の意味と歴代天皇

明治神宮 教育勅語から、「大御心」の理解をしていきます。

国民の皆さん、私たちの祖先は、国を建て初めた時から、道義道徳を大切にする、という大きな理想を掲げてきました。そして全国民が、国家と家庭のために心を合わせて力を尽くし、今日に至るまで美事な成果をあげてくることができたのは、わが日本のすぐれた国柄のおかげであり、またわが国の教育の基づくところも、ここにあるのだと思います。
国民の皆さん、あなたを生み育ててくださった両親に、「お父さんお母さん、ありがとう」と、感謝しましょう。兄弟のいる人は、「一緒にしっかりやろうよ」と、仲良く励ましあいましょう。縁あって結ばれた夫婦は、「二人で助けあっていこう」と、いつまでも協力しあいましょう。学校などで交わりをもつ友達とは、「お互い、わかってるよね」と、信じあえるようになりましょう。また、もし間違ったことを言ったり行った時は、すぐ「ごめんなさい、よく考えてみます」と自ら反省して、謙虚にやりなおしましょう。どんなことでも自分ひとりではできないのですから、いつも思いやりの心をもって「みんなにやさしくします」と、博愛の輪を広げましょう。誰でも自分の能力と人格を高めるために学業や鍛錬をするのですから、「進んで勉強し努力します」という意気込みで、知徳を磨きましょう。さらに、一人前の実力を養ったら、それを活かせる職業に就き、「喜んでお手伝いします」という気持ちで公=世のため人のため働きましょう。ふだんは国家の秩序を保つために必要な憲法や法律を尊重し、「約束は必ず守ります」と心に誓って、ルールに従いましょう。もし国家の平和と国民の安全が危機に陥るような非常事態に直面したら、愛する祖国や同胞を守るために、それぞれの立場で「勇気を出してがんばります」と覚悟を決め、力を尽くしましょう。
いま述べたようなことは、善良な日本国民として不可欠の心得であると共に、その実践に努めるならば、皆さんの祖先たちが昔から守り伝えてきた日本的な美徳を継承することにもなりましょう。
このような日本人の歩むべき道は、わが皇室の祖先たちが守り伝えてきた教訓とも同じなのです。かような皇室にとっても国民にとっても「いいもの」は、日本の伝統ですから、いつまでも「大事にしていきます」と心がけて、守り通しましょう。この伝統的な人の道は、昔も今も変わることのない、また海外でも十分通用する普遍的な真理にほかなりません。
そこで、私自身も、国民の皆さんと一緒に、これらの教えを一生大事に守って高い徳性を保ち続けるため、ここで皆さんに「まず、自分でやってみます」と明言することにより、その実践に努めて手本を示したいと思います。
明治二十三年(一八九〇)十月三十日
御名(御実名「睦仁」)・御璽(御印鑑「天皇御璽」)
—明治神宮崇敬会刊『たいせつなこと』より—

天皇の、つまりは皇室の祖先と一般国民の祖先とが昔から守り伝えてきた教訓とは一致しており、明治天皇もそれを国民と一緒に守っていきます、と言っているのが教育勅語です。

このように、日本国というのは西欧の王政とは異なり、天皇と国民が対立関係・支配-被支配の関係に立ってきませんでした。

その象徴が「京都御所」であり、街中の通りと天皇の住まいを隔てるものは土壁一枚だけという状況。国民は天皇を攻めてこないという信頼関係が築かれていたことの証左です。

「皇祖皇宗の遺訓」とは、「皇祖」=皇祖神たる天照大神の系列の神と「高宗」=歴代天皇の教えを意味しますが、天皇と共に在った日本国民とい歴史を合わせ読むならば、それらは過去の日本国民の教えも含まれていると理解しても過言ではないでしょう。

明治天皇は、決して「自分の教えを国民は守るように」とは言ってないのが分かりますね?

大御心は当代の天皇の意思も含むが、それ以上に歴代の天皇の意思の方に重要性があるのです。

日本国民は「歴史ある皇室」を尊敬している

大御心

「被災地に身を寄せてるから皇室としての特別の尊敬を集めている」などと言うなら、歴代の総理大臣やローマ法王も同じような事をしているので、そういう人たちにも皇室の正統性があるということになります。

しかし、我々国民がその立派な行いをテレビやインターネット等を通して見たからといって、日本国民が総理大臣やローマ法王に「その系統に皇室としての正統性がある」などとは思うわけがありません。

我々日本国民は「歴史ある皇室」を尊敬しているのであって、そのような言論空間で生まれ育ってきたからこそ天皇・皇室があるのが当たり前であったし、天皇・皇室を調べた者が更にその御存在を大事に想うようになるのはその歴史に感銘を受けるからです。

河野太郎氏はこうした国民の感情についてまったく理解していないし、教育勅語などに現れるような「歴代天皇・日本国民の祖先が大切にしてきたもの」の共通性を理解していないから、「当代の天皇の言動」という非常に狭い範囲の事象を日本国民の皇室への尊敬の根拠だと言ってしまったのでしょう。

天照大御神が天岩屋戸に隠れた際に、無理やり引きずり出した

日本神話では、天照大御神が天岩屋戸(あまのいわやと)に隠れたいとおっしゃったときに、それについて唯々諾々と従ったのではありませんでした。

「出て来ていただかなければいけない」と言って、お祭りしたわけです。つまり、天照大神の意思を無視して引っ張り出したのが神話のお祭りの始まりです。

また、かつて太政官制が敷かれていた時期(明治時代)には、詔(みことのり)を太政官の会議で審議し、全員の署名をもらわなければ公布できませんでした。

天皇一人の意思で何か国事を動かすというのは、御前会議でポツダム宣言の受諾をすると決めたことなど極一部の例外を除き(それすら多数決で同数になったために天皇の意見を伺ったという手続を踏んでいる)、よほどの事でない限り存在しなかったわけです。

よりよい国の形とはいかなるものであるかということを天皇と臣下とが共に考えたのが我々の国であるということを確認したい。

以上

サポート頂いた分は主に資料収集に使用致します。