佐藤九段のマスク不着用での反則負けと非科学のゼロリスク思考

佐藤九段のマスク不着用での反則負け後、日本将棋連盟による説明文の公開、そして佐藤九段による不服申立書の公開がありました。

それを受けて今回話題となったルールそのものとその適用・判断の問題について上掲記事で書きましたが、現行の様々な規制等をそちらで見ている前提で、そこでは書ききれなかったこと補足的に書いていきます。

非科学のゼロリスク思考に基づくルール

冒頭記事でも書いてますが、汗が飛び散り呼気に晒されることが多いコンタクトスポーツですら、マスク無しで行われています。それは、競技中の感染リスクが低いからです。

このことは海外の複数の国のフットボールリーグにおける研究で同様の結果が出ており、例えば以下の論文では複数の研究を踏まえています。

将棋の特徴として以下があります。

・対面しているとはいえ会話をまったくしない(「負けました」くらいだろう。感想戦時は別)
・対局者両者間や記録係の濃厚接触者認定や行動制限を左右するのは『長時間同じ空間に居たこと』によるもので、『マスク着用の有無』ではない
・換気が十分に行われている環境
・誰がどういう行動を取ったのか映像で残っている

したがって、マスク着用が無いことによる感染リスクの増大や濃厚接触者認定による行動制限の危険というのは無視できるレベルのハズで、ルール自体がおかしい。

競技の魅力という面でも思考力が削がれた棋士同士の対局を提供すべきではない。

サッカーの類似ルールから「一発退場」を考える

ルールの存在もそうですが、一発退場という措置を採ったルールの適用の問題もあります。そして、このことが本件の当事者間では最も争われる所。

マスク着用義務は競技外のルールであり、しかも着用しないことそれ自体で誰かを危険に晒したり倫理道徳的に反するものではないから、一発退場すべき実質的な悪質性は無い。

競技内のルールであっても、他の競技では緩やかな運用が為されています。たとえば、サッカーでは競技者の用具の着用として靴やレガース(脛当て)が義務付けられていますが、試合中に脱げるなどあった場合にはフィールドから離れるよう指示される場合があり、その際には着用をレフェリー側(第4審が実際は行うことがほとんど)で確認してからフィールドに入ることになっています。

靴が脱げただとか、レガースが外れた状態でプレーしただとか、それだけでは反則でも懲戒の対象でもありません。試合前に用具が揃っていなければ出場できない扱いになります。

これはその競技者の安全を守るためのルールだからで、何か競技上有利になるものではないからです。

日本では昔は(10年ほど前まで)、ユニフォームの上着の裾がパンツの外に出てると注意の対象で、その状態が継続すると警告の対象という運用が為されていました。JFAは「見た目に良い印象を与えるものでないことから」といって徹底するよう通達を出し、現場では「マナー」だとか「引っ張られたかどうかの判定のため」だとかなんとか言って説明してましたけど。

しかし、2012 年 2 月 28 日の通達で
・競技規則上、シャツの裾出しを違反、または反則としていない。
・ FIFAワールドカップ、様々な世界のリーグ等において、シャツを出す
ことについて言及されていない。

という理由で、解除されました。
こういうくだらないローカルルールが日本サッカーの世界ではあったということ。他にもこういうローカルルールがありましたが割愛します。

次に、インプレ―中にゴールキーパーがボールを手で持ったら、6秒までに手放せというルールが競技規則に明記されていますが、文字通りに厳格に守られていることはありません。

「ボールを手放しても相手競技者の脅威にさらされない状況」にならないとカウントされない運用になっています。しかもそうなってからも6秒以上経過することはザラにある。
(何が「ボールを保持」なのかは明記されるようになった)

そもそも6秒ルールの趣旨は競技の進行の円滑化です。

GKがボールを手で保持している状態へのアタックが明文で禁止されている中で、ずっとそのままだと時間稼ぎになるわけですから、それを許さない趣旨。6秒から数秒程度ボールを手で持ち続ける事自体では、何らそのチームへの優位性は生じない。時間稼ぎで有利になろうとしてるレベルでようやく反則を取る。

こうなってる理由は

①6秒を厳密に運用するとGKへのアタックを誘発してしまう⇒GKの安全保護
②すぐに反則とすると途端に得点のチャンス(PA内での間接フリーキック)になってしまい、違反に対するペナルティが大きすぎる
③その結果、単純に競技が面白くなくなる

こういう思想が背景にあると思います。私が思ってるだけで、公に説明されることはありませんが。

他、アウトオブプレーからの再開方法としてゴールキーパーのゴールキック時に時間稼ぎとしてイエローカードが提示されることがありますが、それに至る前にレフェリーが再開をするよう促す運用が標準です。

「繰り返しの反則」としてイエローカード対象となる場合も、それ以前にレフェリーから注意をする運用が為されています。

コーナーキック時の小競り合いも反則を取ったりや懲戒を与える前にプレーを停止して両者に注意を与えることがあります。

上掲のサッカーの競技規則とその運用は、競技上のルールです。
それでも、事前の注意を与えて選手に気づきを促す運用が為されるケースは複数あるということです。

その背後には、サッカー競技の魅力を削がないよう、無用な争いや不注意の継続を減らそうという考え方があります。もちろんそれは主審としての権限を行使して自らの主張を押し付ける意図に基づくのではなく「サッカー競技規則の理念と精神」に基づくものです。

さて、将棋のマスク不着用での反則負けルールはどうでしょうか?
競技者の感染リスクを下げるという安全を守るためのルールというのは同じですね。

他方で、マスクを着用していることで(息苦しさや不快感から)思考の妨げになり、それがないということは思考力の観点から競技上有利になるのではないか?ということは言えるかもしれません。

私自身、長時間の筆記試験でマスク着用の経験はありましたが、吸い込む空気の影響はほぼ無かったたものの、その時の気温と空調によって着用感等が大きく左右されるかもしれないと感じました。メガネをしていると曇って気になる場合もありました。

将棋連盟の今回の件に関する説明では、そこは言及されませんでした。

もっとも、もしもそれが問題であるならば、マスクの種類でもかなり影響がある話です。にもかかわらず、不織布マスクでない棋士も相当数居ると思われることが写真から伺えます。よって、将棋連盟としては、その点はあまり気にされてない運用、つまりは競技上の有利不利に影響を与える事項のルールではないという扱いだったのでしょう。

こうなってるのは佐藤九段の指摘するように、「故意にマスクを着用しないで対局に臨む者を生じさせない趣旨の規定」であるからでしょう。

であれば、対局結果を決定づける効果をもたらすルールであるからその適用には慎重になるべきところ、対局中に不注意=過失でマスクを外した者に対しては事前の注意があってしかるべきでしょう。助言行為でも何でもない。感染対策が理由なのだからむしろ声掛けするのが本来の目的に適う行動でしょう。

非科学のゼロリスク思考が顔を覗かせる日本社会

ゼロリスク思考が社会の標準・中核を構成しているわけではありませんが、それがふとした際に顔を覗かせることが多いのが日本社会と言えると思います。

10万年以上前の九州人が全滅した破局的噴火で火砕流が到達したかもしれない場所(四国の愛媛県)に原発があるからという理由で運転差し止め請求が認められた事例。この判断は後に変更されています。

福島県の非難指示区域も事故後なかなか解除されませんでしたし、処理水の放出についてもなぜか危険だと喧伝して騒ぐ者が居ます。

豊洲市場移転延期問題でも共産党都議が非常識に騒ぎ立てました。

他の場所では当たり前に行われていることが、特定の事案では危険であるとして政治的団体・活動家・政治家らによって騒ぎ立てられ、現実が先に進まないということがあります。

将棋のマスク未着用一発反則負け事件も、ゼロリスク思考に囚われた結果でしょう。既に政府がマスク着用の緩和条件を周知しているのに、非科学の過剰なルールを見せつけることで日本社会に悪影響を与えています。

同じことはトレーニングジムでも起きているし、バスケットボールの高校生がマスクをつけたまま試合をするなど信じられない報告もあります。

その意味で、本件は棋士だけに限らない重要な事件であると捉えられるべきです。

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