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アマゾン社が内海反ワクチン本を排除した理由と特定デジタルプラットフォーム提供者

従前から社会問題の法的整理に定評のある徐東輝(とんふぃ)氏の論稿。

焚書や検閲などは、公権力が主体となる行為です。また全ての流通を止めるという話でもなく、現在でも複数の書店で購入が可能であるようですので、その点でも表現の場が失われたと指摘するのは厳しいでしょう。

 しかし、「私企業であるアマゾン社が自ら運営するオンライン市場で取扱いをやめただけに過ぎない」と切り捨てることもまた安直すぎます。今年2月から施行されているデジタルプラットフォーム取引透明化法のもと、政府はAmazon(国内売上額年3,000億円以上)を運営するアマゾン社を「特定デジタルプラットフォーム提供者」として指定しています経産省Webサイト参照)。指定されたプラットフォーム事業者は、市場での存在感が極めて大きく、その行為一つによって市場のルールが形成されたり、中小企業の経営を左右してしまう影響力を持つため、取引の公正性と透明性を担保しなければなりません。

つまり、「Amazon で取り扱ってもらえない」=「市場での流通が阻害される」ことがありうるため、Amazonの取引行為は市場の健全性を保つべく、公正であり透明であることが極めて重要になります。そして、その公正性、透明性のあり方を具体的に追求していく中で、憲法の保障する「表現の自由」は十分に斟酌されるべきです。したがって、やはり表現の自由は問題になるのです。

このような形で表現の自由との関係を指摘しています。

その上で、米国においてはレコメンドやカテゴライズを工夫することによって、排除せずともデマ言説をコントロールできるのではないかということが議論されていることを指摘し、別の解決方法の選択肢を提示しています。

こうした視点を得た上で、「内海聡の新型コロナワクチンデマ本の排除」事案について追加的な見解を述べておきます。

アマゾン社の回答は「ガイドライン非準拠が理由」

内海聡FacebookでAmazonから削除された理由について書かれています。
※現状、Amazonからの排除だけのようです。改めて見たら楽天は今でも取り扱っていました。

https://www.facebook.com/kitigaii/posts/360902658737029 魚拓
アマゾンから消えた事態について公式返答がありました。それによると「当書籍はAmazonの本のコンテンツガイドラインに準拠していないため、販売することができない」とのことで、事実上の発禁になります。

今回は詳細にどういう理由かは不明ですが、Amazonのコンテンツガイドライン6月21日魚拓)、本のコンテンツガイドライン6月21日魚拓)には、「不快感を与えるコンテンツ」として「Amazonが不適切または不快であると判断するコンテンツ」があり、「読者の読書体験を損なう本」として「読者の誤解を招くような説明文」が例示されています。

また、「Amazonが本を削除する場合、著者、出版者、または販売パートナーはAmazonの決定に異議を申し立てることができます。」とあり、徐東輝(とんふぃ)氏の指摘する「取引の公正性と透明性」については一応の配慮がなされているようです。

もっとも、それが法令上の基準に照らして十分なものなのかは別問題ですが、そこはここで論じられる範囲を超えているので捨象します。

特定デジタルプラットフォーム提供者の関連法令

特定デジタルプラットフォーム提供者2

特定デジタルプラットフォーム提供者云々の話は決して無視できない視点なので、関連法令を置いておきます。

特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律

第四条 経済産業大臣は、デジタルプラットフォームのうち、デジタルプラットフォームにより提供される場に係る政令で定める事業の区分ごとに、その事業の規模が当該デジタルプラットフォームにおける商品等の売上額の総額、利用者の数その他の当該事業の規模を示す指標により政令で定める規模以上であるものを提供するデジタルプラットフォーム提供者を、デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の自主的な向上に努めることが特に必要な者として、指定するものとする。

関連法令(経産省)

カテゴライズの工夫で十分か?

さて、レコメンドやカテゴライズにおいてたとえば「陰謀論」というカテゴリに強制的に縛り付けるとか、そういう対応で良く、削除までやる必要は無いのではないか?という意見がSNSでいつくか見られました。

しかし、「反ワクチン本」に関しては、本来は科学的な議論をベースになされるべきものが、議論など無視して科学的エビデンスからはまったく事実に反していることが問題です。

表現の自由=言論の自由が本来想定している議論のベースが存在していないわけです。

科学者の査読済み論文=言論によってワクチンの効果も実証されていることが明らかなのに、それを無視し或いは曲解しているのですから。

明確にデマだと判明してるにもかかわらず、ずっと市場に『無傷であるかのように』見える書籍として扱うことを強いられることは、それこそ言論の自由の冒涜です。

特にネット媒体は永遠に存続させられる。電子書籍もある。

したがって、媒体そのものから排除するべき必要性は非常に高い。

また、当該本は表紙の体裁や医師の肩書を持つ著者の表示からは、表見的に「医学カテゴリ」に映るものであって、Amazonというサービス上の設定に過ぎないカテゴリーを表示しても、どれだけ利用者に対するアナウンスの実効性があるのか怪しいのではないかと思うのです。

もちろん、やってみない事には分からないことが多いとは思いますが。

また、「科学的真実性が無いから排除するというのは宗教本も排除されることになり危険だ」のような受け止めをしている人が居ますが、明らかに的外れな指摘です。

そもそも「科学」の装いをしたのは当該本の側であって、だからこそ「科学的真実性」が排除にあたって考慮された(明示的にそうだとアマゾン側が示したわけではないが、推認するに十分だろう)という関係にある。宗教本など無関係な他ジャンルを持ち出すのは有害な議論。

さらに、公衆衛生上の危機を増幅させる情報という、科学的真実性以外の追加の要素も絡んでいます。

アマゾン社の言論・営業の自由

今回の事案を敢えて「言論の自由」で考えるなら、『アマゾン社の言論の自由(肉体言語的な)が行使された』と評価される余地もあるでしょう。

「特定デジタルプラットフォーム提供者は政府側だからその主体にならない」という理屈は、営業の自由も認めないことになるので、取り得ない。

それぞれの自由が保障され得る主体として、一定の法令上の規制の枠内において妥当な行為だったかどうか、という話をするべきで、憲法上の権利論という大上段からアマゾン側を否定するのは無理筋だろうと思います。

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