「ボカロの死」の私的分類

ボカロは死ぬのでしょうか?あるいは初音ミク、それ以外のボカロでも良いのですが、個々のボカロが死ぬことはあるのでしょうか?

Twitterで見かけた「ボカロの死」に関するツイートを見て、「ボカロの死」について考えた結果、いくつかの定義が考えられました。何かの考察や議論の参考になればと思い、それをここでは並べてみます。

まずは、定義を並べます。

①ある人の頭の中にあるボカロのイメージが消えること
②ある人の愛する「ボカロ」の形が、世の中から無くなったこと
③世の中で流行りでは無くなること
④製品(ソフトウェア)の販売・サポート終了
⑤特定のボカロを使って作品を創る人と、それを鑑賞する人がいなくなる
⑥ボカロを使って作品を創る人と、それを鑑賞する人がいなくなる
⑦ボカロという概念がなくなる

以下、それぞれについて詳細を説明します。

①ある人の頭の中にあるボカロのイメージが消えること

その人の認識が変わることで消えたり、当人の命が終わることで消えること。そのボカロはイマージナリーフレンドに近いこともある。そのボカロのイメージを作品に残すことで、死を免れる事がある。あとで当人が思い出したり、他人の中で生まれ変わったりすることがあるため。ここでの「ボカロ」は、特定のボカロ、例えば「初音ミク」でも良い。

この意味でのボカロの寿命は、ほんの数秒の一瞬から人の寿命まで幅が広い。

②ある人の愛する「ボカロ」の形が、世の中から無くなったこと

今のボカロが、ボカロがこうあるべきという姿から変わること。ボカロへの愛や理想像が強いゆえの嘆きから生まれる事もある。別ジャンルだと「ロックは死んだ」に近いかもしれない。世の中には、当人の理想像とは違う形でボカロは存在するので、認識が違う人とは話が合いにくい。ここでの「ボカロ」も、特定のボカロを指す場合もありうる。

この意味でのボカロの寿命は、ボカロがこうあるべきという姿が作られる必要があるため、短くても数ヶ月から年単位になるであろう。

③世の中で流行りでは無くなること

いわゆる「オワコン」。流行らなくなったボカロへの反発や諦めかもしれない。②において、私の愛する「ボカロ」は流行っているべき、というケースに該当する。「流行り」に価値を置いているので、世の中にまだボカロの作品を創ったり愛好する人が多くても、当人が「流行り」と認識しなければ「死」と見なすため、認識が違う人と話が合いにくいという点が、②との共通点。

いわゆる「ボカロ衰退論」の「衰退」もこれに近い。これも「衰退」の認識が違う人と話が合わない事が多い。

④製品(ソフトウェア)の販売・サポート終了

新規ユーザーを増やすのは難しくなるが、サポート終了後も使い続けようとするユーザーはいるので、完全に使われなくなるとは限らない。そのため、これを「ボカロの死」と呼ぶには、まだ早いという見方もある。完全に使われなくなる状況は、以下の⑤以降となる。

この「死」が発生するのは、ボカロを企画・販売する企業の事情(事業の撤退、新プラットフォーム対応不可など)による事が多い。特定のプラットフォーム(VOCALOIDのバージョンやOSなど)のサポート終了による影響もある。この状況を迎えたVOCALOID製品は、既にいくつかある。

⑤特定のボカロを使って作品を創る人と、それを鑑賞する人がいなくなる

「④製品の販売・サポート終了」などをきっかけに、特定のボカロで、これ以上作品を作られなくなる場合が起こりえる。その意味での「死」である。

しかしクリエイターがそのボカロに愛着があり、販売・サポート終了後も使い続ける場合がある。また、そのボカロで作品を作る人がいなくなっても、今までに作られた作品を鑑賞する人がいることもある。したがって、この意味での「死」が発生するには、創る人も鑑賞する人もいなくなる事が条件のため、④の後、短くて数年、長くて人の寿命くらいの長さが必要と思われる。

この「死」を迎えたボカロが既にいるかどうかは、議論が分かれるところであろう。少なくとも、今までに世に出たVOCALOID製品については、それで作られた作品がネットのどこかにはあり、鑑賞する人が存在しうる状況ではある。

⑥ボカロを使って作品を創る人と、それを鑑賞する人がいなくなる

⑤をボカロ全般に広げたケース。ボカロ(VOCALOID)というツールがこれだけ行き渡った世界で、それを使って創る人も、その作品を鑑賞する人もいなくなるのは、人間の寿命くらいの年月が過ぎないと考えにくい。ボカロを置き換えるような革新的な創作ツールが生まれ、かつ今ボカロに触れている人類が全員寿命で死なない限り、ありえないと思われる。100年以上は必要と思われる。

⑦ボカロという概念がなくなる

ボカロがあったという事実やその作品は消せないので、人類が滅亡して、人類の記録が全て無くならない限り無理。

まとめ

ここまで、考えられる「ボカロの死」の定義について並べました。この並び順にも意味はあって、①から⑦にかけて、「死」までの時間が長くなる傾向があります。

この①から⑦について、大きく分類すると以下の4つでしょうか。

(A)人の内面からいなくなる
 ①ある人の頭の中にあるボカロのイメージが消えること
 ②ある人の愛する「ボカロ」の形が、世の中から無くなったこと
 ③世の中で流行りでは無くなること。いわゆる「オワコン」
(B)製品が終了する
 ④製品(ソフトウェア)の販売・サポート終了
(C)使う/鑑賞する人がいなくなる
 ⑤特定のボカロを使って作品を創る人と、それを鑑賞する人がいなくなる
 ⑥ボカロを使って作品を創る人と、それを鑑賞する人がいなくなる
(D)概念が消える
 ⑦ボカロという概念がなくなる

①〜⑦の粒度ですと、いくつか派生は考えられますが、(A)〜(D)の分類ですと、これ以外には考えにくいと私は考えています。これ以外にも考えられる「ボカロの死」があれば、コメント頂けると嬉しいです。

以上、「ボカロの死」について考えた結果を整理してみました。

おまけ

以下は、私の個人的な思い、あるいは拗らせたボカロへの思いです。

私は「ボカロの死」は⑦だと思ってるので、少なくとも人類が滅亡するまでは、ボカロは死なないと思っています。私が愛するボカロは、合成された音声であり、創作ツールであり、キャラクターであり、それを取り巻く人達の文化である、そんな概念だと思っています。あるいは、その中心にある合成された音声そのもの。その声が再生できなくならない限りは、ボカロは死なない。

ひょっとしたら、⑥の意味での「死」がありうるかもしれませんが、それでも100年以上、自分が生きているうちは死なないでしょう。

いずれにせよ、ボカロを使って作られた作品は、人類の記録が全て無くならない限り死なないでしょう。

その可能性を示したこの作品が、私は好きです。

追記

この分類は、私の「ボカロ」の定義に依存している面があるので、私の「ボカロ」の定義についても、そのスタンスも記載しておきます。

「ボカロ」とは、歌うソフトウェアであり、そのキャラクターです。「ボカロ」は、作品を創作するために使われます。それが、私の考える「ボカロ」の定義であるため、「ボカロの死」の定義として「使う/鑑賞する人がいなくなる」があります。

これは、初音ミク公式が初音ミクを説明する時によく使う「初音ミクとは歌うソフトウェアであり、キャラクターである」という文言に基づいています。そのソフトウェアやキャラクターを使った作品も「初音ミク」であること、クリエイターやファンの数だけ「初音ミク」が存在するという考えは、初音ミクファンの間では一定の支持を得ている事も、私の定義に影響を与えています。

このノートでの「ボカロの死」の分類は、以上の「ボカロ」の定義や考え方に基づいています。異なる視点からは、また別の「ボカロの死」の分類があり得ることも、追記しておきます。

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