「足るを知る」ってこと。

新年が明けると、必ず神社に初詣に行く。今年のはじまり、背筋伸ばして生きたいから。
あと多分、年末からのぐーたら生活にどこか罪悪感があって、それを戒めるために行ってるところもあるんだろうなって思う。

毎年おみくじを引いて、大吉小吉で一喜一憂してるんだけど、今年はそれよりもどういう運勢か書いてある欄にあった「足るを知る」って言葉がずっと心に残ってた。その時はちゃんと読むけど、数ヶ月後には生きることに必死で、なんて書いてあったか忘れちゃう運勢についての文章。

「足るを知る」聞いたことあるけど、なんじゃらほい。


ってことで、調べてた。
既に満足であることを充分知っていること』だそうだ。
ふむふむ。

そして、こうも書いてあった。
「足るを知る」とは、

目の前にあることやものに感謝できること

そして、『既に満足であることを充分知っていること』とは、

同じ刺激と理解すること

らしい。
(他にも意味を自分で考えている人がたくさんいるから、気になったら調べてみてほしい。わたしはこの解釈が一番に腑に落ちた。)


ほーん。
なるほどね〜。 
もう自分は満足を充分に持ってるし知ってるのだから、それを認めて感謝したほうが人生楽しくない?ってことね。

言いたいことはわかった。でもわたしにはそこにすぐにシフトする心のシナプスがその時はなかった。だから、そげなこと思えたら楽しさね〜って他人事みたいに思ってた。

そしてその数ヶ月後、コロナが蔓延して、仕事はおろか、人と会うことすら叶わなくなった。一人の時間は割と好きだから、好きな時に外出できないこと以外は苦ではなかった。

でも、一人ですることやできることが増えると、やっぱどこか寂しかったのかなんだか物足りず、モヤモヤしていた。

ある日、好きなことをしてても、美味しいものを作って食べてもなんかちょっと物足りなくなった。ベランダで太陽を浴びたり、タバコ吸ったり、犬を抱きしめたり、お笑い観たり、お風呂に浸かってみたけど、どこか心にぽっかり穴があいたみたいに満たされない。うーん…どうしよーってゴロゴロしてるうちに気付くと外は真っ暗で、数時間経っていた。

冷えた缶チューハイを飲みながら、電灯で輝く外の家々をボーッと見てると、なんとなく満たされていることに気付く。心のどこも埋まってて、寂しさもなくなっていた。別にお酒が飲みたかったわけでも、その景色を見たかったわけでもないから、なんで変化したのかは分からない。でも、これからもこんな風に何かが足りなくて探してしまうことはあるんだろうなとぼんやり思った。
でも少なくともその時のわたしははっぴーで満たされていた。「足るを知る」ってこういうことなのかなと直感的に思った。

わたしをウルトラはっぴーミラクル状態にするには、見たことのないものを見たり、経験させることだと思ってるんだけど、それを延々継続させるには時間を操らなきゃ難しいって思ってる。慣れないように時間を操って上書きする力がなきゃって。あと延々と使ってもなくならないお金も。
以前は仕事が休みになるたびに旅行に出ていた。今はそれも叶わず、ただ時間があってこんなに何してもいいなら今年頭に思い切って住んだことのないどこか新しい場所へ行ってしまってたら良かったのかなぁとも思ってた。でも飲み慣れた缶チューハイでも、見慣れた夜の景色でもその時のわたしをウルトラはっぴーミラクルにさせるには充分だった。食べたことのない美味しいものと朝食の変わりばえない目玉焼きは同じくらい美味しいし、出会ったことのない生き物と一緒に住んでる犬は見てると同じくらい新しい発見がある。そう思うわたしの脳はとってもお得だなって思う。

欲しいものはいつか手に入るものとわたしは思ってるから、これからも求めることは辞めないけど、いつも近くにあってくれるものも充分わたしを満たしてくれることが分かった。だから、それさえ忘れなければわたしのこれからの人生はいつだってウルトラはっぴーミラクルだなぁって思ったし、わたしって無敵かもってちょっと笑った。

そんな話。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?