40代エヴァ直撃世代のシン・エヴァンゲリオン[ネタバレ感想]


※がっつりネタバレ感想ですので、予めご注意ください。

中盤あたりからところどころで、琴線に触れてくるようになりました。
終劇に向かうにつれ、ただただ目に涙が滲んできました。

映画を見てこんな気持ちになったのは、初めてでしたし、
こんな種類の涙は、初めてでした。
40代前半のいいおじさんが。

なんの涙なのか、いまいちわかりませんでした。
どうせ泣くなら気持ちよく感動して慟哭したかったのですが、
悲しさ、寂しさ、切なさ、そういった類のものではあるのだろうですが、
それらが絡まった涙がにじんでくるのです。

全編を通じて、その主成分がなんだったかというと、
「碇ゲンドウへの共感・重ね合わせ」
だったのだと思います。

この映画は、ひいてはエヴァンゲリオンという物語は、
「碇ゲンドウの物語」
だった、ということです。

ぼくは19歳のときにオリジナルのエヴァを観てどハマりましたが、
そのときに今回の映画をみても、同じようには感じなかったと思います。

あのときは、14歳のシンジに、がっつり感情移入していました。
あんなにも、心を閉ざし、人との関わりを拒否し、
生きづらい自分の心を吐露するような主人公は初めてでしたし、
だからこそ、同じような部分を持つぼくも共感できました。
ハマった多くの人がそうだったと思います。

それが今あれから25年もたった映画で、
その時思春期だった視聴者が40代になり、
40代(※オリジナル時設定)のゲンドウに感情移入しているのです。
今だからこそ、感じられる、理解できるのです、
ゲンドウの気持ち、行動理由が。

当然、庵野監督は意図的にそのように作っていると思います。
中盤、その構図に気づき始めたとき、唖然としました。
鳥肌が立ちました。流石に当時からこの構想があったわけではないでしょうが・・


ゲンドウは、どうしてこんなこと(人類補完計画)をするのか。

人類の進化とか、魂を融合するとか、いろいろ言葉は取り繕っていいたけど、
結局は、
「ユイにもういちど会いたい」
ただただ、それだけでした。
シンジのいう、「母さんを、見送りたかったんだね。」
そのためなら、どんなことだってする、ということです。

ゲンドウの生い立ちが語られました。
人間関係が苦手で、孤独な人生だったと。
そんな孤独だった、灰色だった人生が、
ユイという愛する異性の存在で、人生の景色が一変する、
オセロの黒が白にひっくり返ったような感覚。
それは、わかるような気がしました。
実際にあったわけではないから、わかるとはいいきれないけど、
わかる予感はします。
だからこそ、そうまでしても、愛する人のところへ行きたいのだと思います。

そして、父と子の対話です。
この物語の最重要ポイントだったと思います。
序盤の心神喪失状態から立ち直ったシンジが、
ゲンドウに
「お父さんの話を聞きたい」
といいました。
これこそが、シンジのこれまでとは一線を画する成長、
過去の自分との決別だったと思います。

父親と二人で面と向かって、お互いのことを、
どんな価値観を持って、どう生きてきたか、
どんな恋愛をして、お母さんとはどう出会ったか。
そんなことをちゃんと話し合えている人ってどれだけいるでしょう。
ぼくはできていません。だからこそ刺さりました。

それと、シンジに何気なく言われた言葉
「弱さを認めないからだと思うよ」
支えてくれる人もいず、
自分一人で生きなければいけないとき、弱さを認められないと、どれだけ生きづらいか。これも刺さりました。

父と子がお互いをわかりあえたとき、
この物語は完結しました。
シンジは、コンプレックスを克服し、愛されていたことを実感し、
自分の足で生きていくことができるからです。

だからこのシン・エヴァンゲリオンにより、
「エヴァンゲリオンは完全に完結した」
と感じましたし、そう言えると思います。

それがわかったからこその寂しさと切なさ、
シンジの成長の感動とゲンドウへの共感、重ね合わせ、
それらがあわさりエンドクレジットでは、涙を拭う手が止められなくなりました。

このように完全に終わらせてくれたからこそ、
自分の現実の人生を、改めてしっかりと生きようと思いました。

庵野監督、本当に素晴らしい作品を、本当にありがとうございました。

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