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ゲームをプレイすることで社会的価値を生み出せないなら、お金をもらうにあたわない

特に一般向けメディアにおいて、プロゲーマーが「ゲームをプレイする(遊ぶ)ことでお金をもらえる」と評されることがあり、羨ましい、自分もそうなりたい、と言った反応を見かけることがあると思う。

それに対し、プロゲーマーは単にゲームをプレイしているだけでお金をもらっているわけではないという反論がすぐに思いつく。では、プロゲーマーはどんなことに対価をもらっているのか? 今回は「ゲームをプレイすることで生まれる価値」について整理し、プロゲーマーの定義を考察する。分かっている人には当たり前の議論である。

個人的価値と社会的価値

価値には大きく2通りある。楽しい、嬉しい、幸せ、充実感、達成感といった個人的価値。それと、他者の幸せに貢献するという社会的価値(経済的価値を含む)。まずこの2種類を分けて考えることが有意義だ。大げさに社会と言っても、自分と誰か1人がいればもはや社会である。

世の中を見渡すと、原則として、お金が生まれる(お金をもらえる)価値は社会的価値のみだということが理解できるだろう。他者の幸せに貢献していない行為や事柄にお金は介在しない。極論すると、お金とは感謝を表す媒体である。

ゲームをプレイすることの個人的価値

ゲームをプレイすること自体は至極個人的なことであり、個人的価値は非常に高い。しかし、社会的価値は皆無であり、そこにお金が介在することはない。プロゲーマーに対して「ゲームをプレイする(遊ぶ)ことでお金をもらえる」と評することがいかに短絡的かは明白だ。その間には重要な論理が抜けている。

ゲーミフィケーションの文脈ではゲームをプレイすることに大きな価値が見出されるが、それは結果的に社会的価値を生み出すからで、ジェイン・マクゴニガルが語るようなこともゲームのプレイの結果として現実世界の課題を解決できるという社会的価値が見込めるからだ。

とはいえ、かつて個人的価値しか見出されていなかったゲームをプレイすることにゲーミフィケーションの文脈が発見され、社会的価値が見出された意義は大きい。

ゲームをプレイすることの社会的価値

一方で、ゲームをプレイすることを見せることで社会的価値が生まれる土壌が出てきた。他人がゲームをプレイしている姿、またそのプレイ自体を鑑賞することが娯楽となり、そこに「楽しませてくれてありがとう」といった感謝が生まれるようになってきた。となれば、感謝を表す媒体、つまりお金も発生する。

飛び抜けてプレイがうまい/強い/楽しい人は、それを見せることで他人を楽しませられる。あるいは夢や希望を与えられる。だから、「楽しませてくれてありがとう」「夢と希望をありがとう」のお金をもらえる。そういう人にはファンができるので、企業も「プロモーションさせてくれてありがとう」のお金を出す。まさに社会的価値である。

ゆえに、どんなにプレイがうまかったり強かったりしても、(お金を払う立場にとって嬉しい)社会的価値を生んでいないのであれば感謝=お金を受け取ることはできない。他者の幸せなど意に介さずひたすら強さを求める人は個人的価値のみを得ることとなる(それに良し悪しはない)。ゲームをどれだけやり込んでいようが関係ない。

※以下追記
ゲームをプレイすることで個人的価値(知識、技能、コネクションなど)を得て、それを仕事に活かすことで社会的価値に変換することは日常的に行なわれている(ゲームでリフレッシュして次の日の仕事に向かう、ゲームで培った戦略的な思考をビジネスの企画立案に活かす、など)。

これはゲームをプレイすることが社会的価値に繋がっているが、直接的に社会的価値を生み出しているわけではないので、間接的な社会的価値だと言えるだろう。

賞金とは何か

とはいえ、強さのみを求める(個人的価値のみを生み出す)人でもお金をもらえることがある。例えばその1つが大会の賞金。賞金とは何なのか? 端的に言えば、ゲーム開発陣からの「作ったゲームを楽しみ尽くしてくれてありがとう」、もしくはスポンサーからの「大会を盛り上げてくれてありがとう」という感謝の表れである。大会に参加することは社会的価値を生む機会に参加することと同義だ。

結局のところ、お金を得るには社会的価値を生み出すしかない。

プロゲーマーとは

議論をまとめると、プロゲーマーとはゲームをプレイすることで継続的に社会的価値を生み出す存在だと言える。ゲーム系ストリーマーやタレントもプロゲーマーの範疇だ。

が、この定義だとあまりに広すぎるようにも思える。「ゲーム大会を通して継続的に社会的価値を生み出す存在」と言ってもいいかもしれない。非常にまどろっこしいところに定義することの難しさがあるが、だいたいの論争を含んだ無難な定義になっているのではないだろうか。

ここで言う社会的価値を生み出していてもお金をもらえないことはあるが、社会的価値をお金に換える仕組みを持っていることもプロゲーマーの要件かもしれない。

個人的価値がお金に換わる世界

ゲームをプレイすることで生まれる個人的価値のみでお金はもらえるようになるだろうか。それは簡単に言えば、ゲーミングベーシックインカムが普及した世界だ。毎月一定時間ゲームをプレイすれば自動的にお金がもらえる。ゲーマーには最高の世界だが、わざわざ「ゲーミング」に限る必要性がまったくない。

ゲーム業界が世の中を支配した末にならありえそうだ。たしか『バトルメサイア』がそんな設定だった気がする。

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