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突然お祭りが起こる可能性を秘めたリビングルーム、というバーチャルSNSの魅力

バーチャルSNSの魅力を言葉で表現するのがとても難しく、いったいどう伝えればいいのか頭を悩ませてきました。

さらにバーチャルSNSの価値を企業が投資や協賛をしたくなる合理的な(=利益に繋がる)数字として表現するのはもっと難しく、いまのところ僕にはお手上げです。

ところが魅力に関しては、めちゃくちゃ腑に落ちた表現に出くわしました。いわく、「バーチャルSNSの魅力は、リビングルームにいる感覚なのにその場で突然お祭りが始まることがあるところ」。

まさにそんな現場でこの表現が生まれた

実際、この表現が飛び出したのは、朝の4時半くらいまでバーチャルSNSのclusterでゆるゆると話していたときです。

その日、僕が運営しているワールド「幸甚亭」で数人とリビングルームにいるような感じで雑談していたら、平日の深夜にもかかわらずいろんな人が集まり出し、それこそお祭りっぽくなっていったんですね。

バーチャルの魅力、clusterの価値、clusterに経済活動が導入されるとどうなるか、サービスは使われないと価値なんてない、コミュニティ活動をどうしようか、といったちょっと真面目な話をして、みんなが白熱した議論をし始めました。僕はこういうテーマについて日頃考えてはいますが、人前で話したり、ましてや誰かと議論したりすることはほとんどないので新鮮でした。

このnoteでも、自分の活動に対して論評することはあっても「バーチャル」をテーマとする俯瞰的で客観的な議論はあまりしてきませんでした。それを文字に起こすよりは、さっさと活動に落とし込んで実践していくほうがいいと思っていたからです。

数年前からnoteを通して僕のことを知っている人からすれば分かりやすいと思いますが、eスポーツをテーマに記事を書くときとはまったく逆の方法論を、僕はバーチャルSNSでの活動でやってきたということ。

それはさておき、バーチャルSNSの魅力を「リビングルームにいる感覚なのにその場で突然お祭りが始まることがあるところ」、より端的に言えば「突然お祭りが起こる可能性を秘めたリビングルーム」と表現するのは、膝を叩き壊す勢いで納得感がありました。

バーチャルにおけるハレとケ

cluster社とその代表である加藤直人さんは、よくハレとケという言葉を使っています。引用してみましょう。

clusterが目指している世界観は、代表の加藤が随所で言っている通り、ハレとしてのイベントを中心としその周囲にケとしての生活空間が広がっている、というものです。
ハレとケとは、お祭りや儀式・行事などの日を非日常的なハレ(晴れ)とし、普段の生活である日常をケ(褻)として区別する日本の伝統的な考え方です。
clusterではイベントによって得られる体験をハレ、ワールドでの交流によって得られる体験をケとして考え、「バーチャル上での体験としてのハレとケが溶け合っているのに加えて、それが未来のスタンダードな人類の生活スタイルを示している」という世界観をサービスローンチ時から構想していました。

僕もハレとケを上記のようなイメージで捉えていました。実際、いまのclusterではハレ=イベント体験と、ケ=ワールド体験は区別されてい(るように見え)ます。

引用の「ハレとしてのイベントを中心としその周囲にケとしての生活空間が広がっている」はドーナツのイメージで、これまでの僕のバーチャルSNS観に近いですね。幸甚亭での営業がケで、幸甚亭ライブがハレ。そのとおり。

引用の後半をよく読んでみると、「バーチャル上での体験としてのハレとケが溶け合っている」とあります。これは明らかにドーナツのイメージではありません。矛盾していると指摘もできますが、おそらくハレとケはドーナツ状に区分されてはいるものの、その境界ではシームレスに繋がっていることの表現だと思われます。

いずれにしても、これらの表現はある程度は正鵠を射ているように感じます。しかし、「突然お祭りが起こる可能性を秘めたリビングルーム」を経た我々は、はっきりと異なるイメージを持てるでしょう。バーチャルSNSにおけるハレとケは、どうやらドーナツ状ではないようなのです。

水槽と泡のメタファー

では、文化的な構造を描くにはどんなイメージが適切なのか。僕は水槽と泡を想起しました。水槽には水が張ってありますが、水流はわずかしかなく水面はかろうじてたゆたっています。つまり、ケ=リビングルームが表現されています。

その水中のとある局所にて、何らかの理由で(あるいはマクスウェルの悪魔のいたずらで)水分子が激しく振動し始めて温度が上昇すると、突然に泡(水蒸気)が生まれます。この泡がハレ=お祭りです。

clusterの用語を使えば、水槽はワールド、水分子はユーザー、泡はイベントです。このメタファーで何を言いたいのかというと、イベントはワールドに集まったユーザーから発生する、ということです。

ただし、この「イベント」は必ずしも事前に企画されたものやclusterが用意しているフォーマットを指すばかりではなく、多分に突発的な出来事──それこそ平日の深夜になぜか突然人が集まり出して白熱の議論をし始めること──も指しています。これらを総じて「イベント的なこと」と呼んでおきましょう。

そのイベント的なこと=泡は1回弾ければ(終われば)消えてなくなります。この1回性が秘める強烈な吸引力は言うまでもありません。あそこに行けば泡に出くわすかもしれない、自分もその場で泡を楽しみたい、泡を逃したくない……バーチャルSNSを利用している多くの人が、そんな想いを持っているのではないでしょうか。

※なかなか割れない泡もあり、これはイベント的なことが継続的なプロジェクトになったと解釈できます。

誰が泡を生むのか? どんな泡を楽しむのか?

水槽と泡のメタファーでは、焚きつける高温の水分子がいなくても、多数のちょっとした温度を持つ水分子が集まることで泡が生まれることを表現しえます。

イベントといえば一般的には発起人や企画者がおり、その人が持ち前のやる気と根性で進展させていくイメージがあるはず。これは熱量の高い人物がいなければ成り立たないモデルです。

しかし、バーチャルSNSのワールドに「何かやってみたいけどどうしよう」というくらいのモチベーションの人たちが集まると、ときどき急に温度が上がり、突然イベント的なことが生まれます。

実はいまのclusterで開催されているイベント的なことの多くは、こうした起源を持つものも少なくありません(たぶんほかのバーチャルSNSやVRSNSでも同じでしょう)。

また、水槽と泡のメタファーでは、水中、水面、水上という概念もあります。水中の水分子の動きは水上から見ても分かりませんが、泡が水面に上がってくれば何かが起こっているとはっきりと見て取れます。つまり、外からは普段のユーザーの動きはなかなか分かりませんが、イベント的なことが起きれば外からでも分かる(ことがある)、ということ。バーチャルSNSの外部から内部の文脈やカルチャーを知ることの困難さが表されています。

他方で、水上から泡を投入するケースもありえるでしょう。これは(多くが)企業イベントのことで、cluster社の大きな収益源となっています。水槽にはこの泡とともに外から水が溜まっていくことになりますが、どうやら現状では水槽に穴が空いている模様……。なお、普段clusterを使っているわけではない人がイベントだけ開催する場合も、この水上からの泡に当てはまります。

ただ、アクティブユーザーからすれば内発的な泡のほうを優先したり、より楽しんだりする場合が多い……気がします。だって、それって知ってる人が関わってるし、自分もそのコミュニティやカルチャーの一員なんだもん。

※ちなみに、cluster社が誘致する企業イベントの多くはいまのアクティブユーザーの関心やカルチャーを考慮したものというより、まずはユーザー総数を増やすために外部から人を呼ぶ目的で開催されています。
それはもちろん必要である一方で、穴を塞ぐためにclusterの中にカルチャーを生み出すことや、生まれたカルチャーを力づけることも必要です。カルチャーなきSNSには何の価値もなく、SNSにとっては機能ではなく唯一カルチャーだけが真似されない強みになります。
誤解なきよう、どちらかが疎かになっていると言っているわけではありません(最近のclusterのアップデートを見れば、後者により注力されつつあります)。

バーチャルのビジネス価値

水槽と泡のメタファーはバーチャルSNSというかclusterの文化的な構造をイメージしやすかったので使いましたが、バーチャルSNSの魅力自体は「突然お祭りが起こる可能性を秘めたリビングルーム」と言い表せます。

では、これをいったいどうやって価値に落とし込めばいいのか。言いかえると、この魅力はバーチャルSNSを利用したビジネスにおいてどう役に立つのか。

冒頭で書いたように、分かりません。この魅力を具体的な価値として表現するには数字で表すことのできる新しい指標を作らないといけないことは分かりますが、どんな指標が適切なのかはいまのところ想像もつきません。

と言って終わるのは尻すぼみなので、特に妥当性もなく検証もしていませんが、僕がふんわり考えていることを書いておきます。

まず、以前僕が書いた記事から引用します。

僕にとってバーチャルが面白いのは、オフラインとオンラインの間の感じがするところ。
オフラインでは相手や状況に応じてキャラを装ってもその数は限られていて、しかも他者と相対する身体は自分のもので、あまりにも素の自分(に近い状態)でいざるをえません。
逆にオンラインは素の自分や身体を隠したまま無限にキャラを装えますが、身体がなく名前や記号だけの存在になってしまいます。
他者とオフラインで密接な関係を作るのが苦手。かといって、オンラインだと関係が希薄すぎて不安。そんな人でも、他者とオフラインに近い密接さを有しながら、素の自分をアバター(バーチャル身体)で覆って活動できるのがバーチャルです。

取り出したいのは、バーチャルの面白さ=魅力がオフラインとオンラインの間の感じということです。

オフラインで集まることはすなわちお祭りですし、オンラインでSNSのタイムラインやライブ配信を眺めるのはリビングルームにいるときです。ここまで書いてきたように、バーチャルは両者の間の特徴を持つ。だとしたら、価値も両者の間にあるのではないか。

あくまでビジネスを前提にしますが、僕はオフラインで100人が集まるイベントを、オンラインで1万人が視聴するイベントと近い価値を持つ、と想定しています。

オフラインでは財布の紐が非常に緩くなるので、入場料、食費、グッズ代と1万円くらいつい使ってしまいます。100人が平均1万円使うので、100万円の売上です。

一方、オンラインではなかなかお金を使う気持ちにならないので、投げ銭や物販はありつつ、1人単価100円くらいなら出してもいいかなという感じでしょう。1万人が平均100円を使うので、100万円の売上です。

バーチャルの場合はというと、イベントをやれば1000人が来場し、各々1000円くらい使うんじゃないか、という見立てを僕は持っています。1000人が平均1000円を使うので、100万円の売上です。

ということで、オフライン、バーチャル、オンラインそれぞれで同額の100万円を稼ごうと思ったら、10の法則で集客や客単価が変動することを認識しておくべきだということに。ただまあ、この10の法則に根拠はほぼなく(仕事でやった数件からの推測)、僕がいまはこういう基準で考えているというだけです。

バーチャルSNSの魅力がビジネス活用されてない件について

日本ではオンラインのライブ配信で1万人の同接視聴者を集めるのは至難の業です。大企業や人気ブランドでも難しい。1万人は一部のインフルエンサーや、超人気コンテンツだけが到達できる数字です。しかも、ライブ配信の視聴者にお金を使わせる手法もまだまだ未開拓状態(最近少しライブコマースに注目が集まりつつありますが)。

それゆえに、企業はオフラインのイベントを好む傾向があります。小型のイベントでも数百人を集客できれば、オフラインの場でテンションあげあげのお客さんにお金を使ってもらうのはオンラインの視聴者にお金を使ってもらうより容易です。

にもかかわらず、2020年初頭からオフラインを使えなくなってしまったわけですね。企業の担当者はこう考えたのでしょう、「オンラインで集客して売上を作るのは難しいけれど、オフラインでやるようなイベントはやりたい」。これが、バーチャルに企業の熱視線が注がれ始めた背景です。

バーチャルのイベントを開催できるプラットフォームはいろいろあります。clusterも含めてそれらプラットフォームが企業に満足な結果をもたらしているかというと僕は大きな疑問符をつけてしまいますが、それはバーチャルがオフラインやオンラインの代替ではなく独自の魅力を持っているにもかかわらず、企業はもちろん、プラットフォームでさえもその魅力を有効活用できていないと思うからです。

ここでバーチャルとバーチャルSNSの違いを説明して両者を接続する議論が必要なんですが、込み入ってきたので端折ります。

めちゃ簡単に言うと、一般に「バーチャル」と思われているものはただの変形版オンラインです。バーチャルとはアバターがもたらすバーチャル身体性や、バーチャル空間に宿るコミュニティとカルチャーがあってこそです。つまり、バーチャルとはバーチャルSNSのことでしかありえません(繰り返しますが、僕がそう捉えているだけです)。

これを前提としたとき、バーチャルSNSの魅力(の1つ)である「突然お祭りが起こる可能性を秘めたリビングルーム」が現状いかにビジネスに活用されていないかが見えてくるのではないでしょうか。

規模の小ささ、数の少なさはあります。でも、この魅力はより大きく広く育つポテンシャルを秘めており、その先はビジネス価値に繋がっているはずです。バーチャルへの投資や協賛に興味がある専門外の企業には、「バーチャルでイベント大開催!」もやりつつ、こっちの魅力の成長と活用にもお金を投じてほしいな。

熱狂度で予測するビジネス価値

一瞬話が逸れますが、バーチャルSNSのビジネス価値を算出する方法として議論を。

僕は長らくeスポーツ業界を眺めてきましたが、eスポーツのビジネス価値としてよく取り上げられるものに「熱狂」があります。

eスポーツ業界をちらりと見やると、あちらにもこちらにも「熱狂」「熱狂」「熱狂」。いったい熱狂とは何なのでしょうか。いったいどうして、企業はこの熱狂にお金を出してくれるのでしょうか。観客と同じように熱狂に浮かされているだけ? それは一理あります。熱狂している人はそうでない人に比べてお金を使いやすいという明白な事実があります。協賛企業はもしかしたら、熱狂している観客に熱狂してお金を出しているのでは……。

さておき、eスポーツ業界では、オンラインのライブ配信においてオフラインと同等の熱狂を作り出すのは難しいという結論になりました。僕の目には大会を視聴している人はけっこう熱狂しているように見えるんですが、要はオフラインのようにはお金を使ってくれないということかもしれません。

この熱狂は、なかなか数値で表すのが難しいものです。使われたお金の総額という間接的な指標はありますが、それは商品単価などによって違ってきますし、熱狂自体を計測できているわけではありません。

熱狂なるものを計測するために熱狂度を考えてみると、人の数および人と人の近さが重要になるでしょう。人と言っても、内包する要素は身体、体温、声、息遣い、動き、におい、興奮などいろいろ。あるいは、打った文字(チャット)や画面を見ている視線も含みます。それぞれに固有の熱狂量があり、おそらく生身のものほど数値が高く、人が生み出しているけれど生身ではないものは数値が低い。かつ、各要素の数が多ければ多いほど、また視覚的な距離が近ければ近いほど熱狂度は高くなる。

そう考えると、オフラインとオンラインの熱狂度の違いを数値で表現できそうな気がします。実際にどうやって熱狂量などを定義して計算すればいいのか分かりませんが、直感的には明らかにオフラインのほうが要素が多く、要素同士の視覚的な距離も近いので熱狂度が高そうですよね(接する情報量が多いとも言えそう)。

オンラインは要素の種数が少なく視覚的な距離も遠いですが、チャットと視線(いわば同接視聴者数)の圧倒的な多さで勝負ができ、実際に大会で同接5万人を超えたあたりから異様な熱狂を感じることがあります(すさまじい速度で流れるチャットをイメージしてみてください)。

なぜいきなり熱狂度という謎の指標について論じたかというと、熱狂が体験に直結するからです。だから、ユーザーの熱狂度が高いほど体験価値が高く、一般的に体験価値が高いほど企業にとってのビジネス価値(=売上)も高くなります。なのでおそらく、体験価値とビジネス価値を予測するデータとして熱狂度が有効なはず。

では、バーチャルは? 要素の種数はオフラインに少し劣り(身体とバーチャル身体は異なる熱狂量を持つでしょう)、オンラインにはかなり勝る。各要素の数はオフラインに少し勝り、オンラインにはかなり劣る。要素の視覚的な距離はオフラインとほぼ同じで、オンラインにはかなり勝る。やっぱりバーチャルの熱狂度はオフラインとオンラインの間にあると思う。

熱狂度を計算できれば、オフライン、バーチャル、オンラインのビジネス価値を同じ指標で厳密に比べられるようになります。これはたんに「バーチャルよりオフラインのイベントのほうが熱狂度が高い」という一般則ではなく、「このオフラインのイベントはあのバーチャルのイベントより熱狂度が高い」といった比較を可能にします(もちろんバーチャルのイベント同士、オンラインのイベント同士の熱狂度も比較できます)。

なぜって、身体やチャットなどの要素の熱狂量と視覚的な距離はだいたいいつも同じでも、各要素の数が違うからです(人数やチャット数)。その各要素の数がどれくらい違えばバーチャルのビジネス価値がオフラインのビジネス価値を上回るのかが分かるようになる、というわけです。

まあ、視覚的な距離はまだしも、熱狂量をどう定義して算出するかは全然分かりませんので、素直に売上で予測するのがいいですね。ただし、eスポーツ業界では熱狂熱狂と言われているわりには売上がついてきておらず、本当に熱狂度が高いのであれば、きちんと熱狂をビジネス価値=売上に繋げて結果を出さないといけません。

バーチャルにおいては、リビングルームにいる感覚のときにお金を使うきにはならないでしょう。熱狂度が高くないからです。しかし、あるときふとお祭り=泡が出現し、ユーザーがそれを間近で体験できれば熱狂度が一気に高まり、お金を使う気持ちになっていきます。

バーチャルで熱狂を生み出し売上を作るには、この泡をどう作るかが鍵になると思います。今後、協賛や広告のビジネスモデルがバーチャルに浸透していくには、広告主側が水槽の中を泳ぎ、泡を作る人を育てたり、みずから泡を作ったりしていく必要があるのではないでしょうか。

さて、当初の目論見からワケの分からないところまで議論を進めましたが、ほとんどがこの場の思いつきです。この記事で共有したかったのは、バーチャルSNSの魅力が「突然お祭りが起こる可能性を秘めたリビングルーム」であること、ただそれだけです。

僕自身は、幸甚亭をお祭りが起こりそうなリビングルーム的に運営していきたいと気持ちを新たにしたところです。


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