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上村元のひとりごと その170:さよなら

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 何度も、何度も考えました。このままでいいじゃないか、何も問題はないじゃないか。

 でも、駄目なのです。別れざるを得ない。

 結婚したこともないのに、離婚するような気持ちです。何をどう頑張っても、これ以上、一緒には暮らせない。お互いのためにならない。

 誓って申し上げますが、ミントのことではありません。

 生きている限り、僕は、ミントと、決して別れられない。どれほど別れたいと望んでも、ミントは真に、僕の一部。別れは、すなわち、死を意味する。

 ああ、でも、これも、死だ。

 ミントほどではないけれど、とてもとても、愛した人。愛した物。その想いに、偽りはないのに。まだまだ、こんなに、愛しているのに。

 本棚の前で、棒立ちになって、しばし泣き、いよいよ片付けようと、座り込んでは、さらに泣き。

 やっぱり、やめようか。

 このまま、置いておけばいい。見ないふりをすればいい。タマホコリカビの、豊かな楽園になるだけだ。

 いや、違う。そうではない。物書きとしての僕が、首を振っている。

 うずくまる足元に、とてとてとてとて。ちりんちりん。ミントがやってきて、めやーん。すりすりと、ほっぺたを寄せます。

 大丈夫。ミントを捨てたりはしないよ。安心して。

 あのね、僕は、これから、本棚を、一段半、空ける。中身を持って、近くの古本屋に行く。天気もいいし、お散歩だ。一緒に来る? いつもとは、ちょっと違う時間だけれど。

 むふーん。

 もちろん。うなずくミントの、頭を撫でて、こぼれる涙と鼻水をぬぐい、いざ、心にメスを。

 繰り返しますが、本当に、ファンだったのです。

 その姿に、その声に、そのメッセージに、どれほど勇気づけられたか。過去形で語らなければならないのが、とても、悲しい。でも、そういうこと。

 手持ちの中で、一番大きな紙袋に、文庫本、CD、DVD、雑誌等を、丁寧に詰め込みます。ミントが、ふんふんと、熱心に鼻を突っ込みます。

 いつの間にか、埃にまみれていた。大事にしていたつもりだったのに。最近は、手に取ることもなくなっていた。

 たかが、職場を失っただけ。物書きとして、していることは同じだ。

 そう思おうと、思いたいと思っていたけれど、やはり、失職の影響は、とても深刻で、暮らしの隅々まで、徹底的な改変を迫られる。一生ついていく、決意していたアーティストに、こんなふうに、ぼろ泣きで、別れを告げなければならないほどに。

 詰め終わった袋の上に、どっちり。ミントがすかさず乗っかって、ぽたぽたと、しっぽを振りながら、てぃるるる。のんきに喉を鳴らします。

 ひしゃげた顔で、思わず吹き出し、震える指で、ぽんぽんと、青緑色の背中を撫でます。

 愛しているから、一緒にいられるわけではない。

 物書きは、無駄に過敏なだけで、本当は、誰でもそうなのです。

 表面的に思っていることと、身体の底の方から感じていることとの間には、海のように、大量の液体が層になっていて、それぞれ、組成が違います。

 人生が順調な時は、表面だけで、いけるのです。自分の好きな人や物、それだけに囲まれて、何不自由なく暮らせる。

 ところが、ひとたび椿事が起こるや、底の方が、揺らぎます。ゆっくりと、しかし、確実に、表面を打ち壊して、異なる層を混ぜていく。

 表面的に、好きだと思っていたもの。それは、本当に、底から愛するものとは、別である場合が多い。

 真実は、それだけです。それだけのことを、理解することが、こんなにもつらいとは。

 ふらふらと、幽霊のように身支度をする僕を見て、ミントは、むきゃー。大喜びで、袋から飛び降り、お出かけ用の黄色いエコバッグを、口にくわえて、ずるずると引きずりながら、床を駆け回ります。

 泣き疲れて、半分くらいになった意識の中、ミントをエコバッグに詰めて、肩に掛け、棺代わりの紙袋を抱いて、部屋を出て、雲一つない秋晴れの空の下、過去の弔い場へ向かいます。

 星野源さん、長い間、お世話になりました。

 お名前を出そうかどうか、最後まで、迷ったのですが、未練を断ち切るために、無礼を承知で書かせていただきます。

 これからも、末長く、お元気でいらしてください。

 ファンの座からは降りますが、僕は、いつも、いつでも、あなたを応援し続けます。ありがとうございます。そして、…さよなら。それでは、また。

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