見出し画像

上村元のひとりごと その25:もの思う葦

 こんにちは、上村元です。よろしくお願いします。

 高校生の時は、お金がなく、家の近くの古本屋を、数件はしごしていました。

 単行本と文庫版があれば、後者を選択し、なるべくたくさんの本を、なるべく安価に手に入れようとしていました。電子書籍など、なかった時代の話です。

 ある日、いつものように、行きつけの一軒に入り、みっちりと詰まった棚を眺めていると、一冊の、黒い背表紙の文庫が、僕を呼びました。

 呼ばれる、としか言いようがない。胸の奥から、ぐっと引いて、指を動かし、本をつかむ。一連の動きを、制御しているのは、僕のようで、僕ではない。百円と税を支払い、一緒に家に帰りました。

 中学校の国語の教科書に、「走れメロス」が載っていたので、作者名は、見たことがあった。でも、『もの思う葦』という作品名は、聞いたことがなかった。小説なのか、エッセイなのかも、わからない。自分の部屋で、机に向かって、読み始めました。

 小説ではなさそうでした。かと言って、僕が読んだことのある、現代作家のエッセイ集とは違う。第一、章ごとの長さがまちまちだ。十ページ以上あるものから、一行しかないものまで。どういうことだろう?

 当時の僕は、随筆、という言葉を知りませんでした。さらには、この文庫が、太宰治本人の手になるものではない、と理解するのは、やっと、後書きに辿り着いてからでした。首を傾げながら、文字を追いかけます。

 『もの思う葦』の、とりわけ、冒頭付近の章で、太宰は、繰り返し、小説が書きたい、自分は小説家だ、小説家は、小説を書くものだ、と、ほとんど一つ覚えのように愚痴っていて、そんなに小説が書きたいなら、今すぐ書けばいいのに、と思いました。

 それでいて、自分は、自分の小説の出来に自信がない、他人の小説の良し悪しなら、完璧にわかるのに、とも述べていて、そんなに自信がないなら、小説家はよして、批評家になればいいのに、とも思いました。

 その頃、僕はもう、小説家になる夢をあきらめていて、小説家というもの全てに、羨望混じりの嫉妬を抱いていた。

 いくらお金のためとはいえ、こんな愚痴っぽい随筆(という言葉は知らなかったけれど)を書くなんて、本物の小説家とは言えないのではないか。他の、本物の小説家の作品を読んだ方が、物書きとして、勉強になるのではないか。そうだ、そうしよう。

 思いつつ、しかし、僕は、『もの思う葦』を、読みやめられなかった。

 お父さんや、お兄さんや、恋人や、奥さんや、子供や、友達や、隣人が、やいやい言ってきて、太宰は常に、かなりうんざりしていた。

 喧騒から逃れるために、自分の信じた文学理念に則って、自分オリジナルの小説を書こうとするのだけれど、どうしても、いつでも周りにたくさんの人がいるという状況に、身も心も慣れきってしまっていて、ついつい、孤高であるべき小説の中にも、翻案や、引用や、女性一人称といった、他人を導入してしまう。

 その他人がまた、作者である太宰にもやいやい言ってきて、結果、自分の小説に自信がなくなって、他人の小説を読みあさり、賑やかさにまたうんざりして、自分の小説が書きたくなるが、そこにもつい、他人を入れてしまい、……以下、同文。生涯かけた、堂々巡りだった。

 僕は一人っ子で、両親は共働き。友達もなく、家でずっと本を読んでいる。太宰がなぜ、そんなにも、自分の小説に、ひいては、自分だけの自分というものに執着したのか、本当の意味では、今でもわからない。僕には、いつも、僕しかいないから。それが、特に、素晴らしいことだとも思えないから。

 志賀直哉や川端康成の批評に、太宰が激昂したのは、彼らが、根本的に他人を必要としない、本物の、孤高の小説家だったせいでしょう。

 でも、僕は、志賀や川端の傑作より、『もの思う葦』の方が好きです。

 いい大人なのに、ないものねだりをして、他人に迷惑をかけまくって、奥さんではない女の人と心中してしまった。一歩間違えれば、僕たちだって、そうなる可能性がある。少なくとも、日本を代表する文豪になるより、ずっと高く。

 「舞姫」は、僕の夢を打ち砕いたけれど、『もの思う葦』は、僕に、新しい夢を与えた。自分自身を、生きていこう。どれだけ恥ずかしくとも。

 太宰が精魂傾けた小説を、僕はまだ、あまり読んでいません。これから、少しずつ、読んでいこうと思います。いつか、太宰に、教えてあげたい。一人っ子って、そんないいものでもないよ、と。それでは、また。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?