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「お茶碗を持つこと」を有り難いと思えるか。

有り難いのです。これが。


左腕が上がらなくなって久しいですが、いよいよ持てるようになりましたよ。お茶碗を。

どんぶりは厳しいですが、ごはん茶碗であれば、空中で停止できるようになりました。


これ、普通は有り難いとも何とも思わないかもしれませんね。でも、すごく有り難く、嬉しいんです。


右手で箸を持って、左手でお茶碗を持ち上げて顔の前に持ってくること。これが出来ないとどうなるかというと、置いてあるお茶碗に、顔を近づけるか、スプーンで食べるか、ということになります。ちなみに納豆ごはんはスプーンでした。


「出来ることが当たり前」、「有ることが当たり前」、「いることが当たり前」と思っていると、この幸せは味わえません。

「もし出来なかったら」「もしあの人がいなくなったら」を想像してみると、当たり前に出来るそれも、たまにムカつくその人も、有り難いと思え、幸せな気持ちになりますよ。

いつも読んでいただきありがとうございます。