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祈るということ

私は、事あるごとに多摩川に祈りを捧げている。

山梨・東京・神奈川を流れるその川は、私にとって縁もゆかりもない川だ。18歳までその姿さえ見たこともなかった。

車窓から見える「川幅広しクン」

私が通う大学は自宅から片道2.5時間ほどの所にあり、埼玉から東京を跨ぐようにして通っている。そしてまた、神奈川から東京を跨ぐようにして帰宅している。往復5時間。電車の遅延が重なれば往復6時間かかることもそう珍しくはなかった。今や大学に行くのは週に1度となったが、3年前はほぼ毎日、往復5時間の道のりを無心で通っていた。必死だった。

それに気がついたのは、入学して半年が経った頃だろうか。小田急線の登戸駅の手前で現れる川があることに、魂を若干捨てかけていた私は気がついたのだった。その川の名前は分からなくて、今はグーグルマップ他、便利なツールがいっぱいあるのに、その頃の無力な私には名前を調べる余裕すらなかった。私は心の中で勝手にその川を「川幅広しクン」と命名した。本当に驚くほど川幅が広かったのだ。逆に言うと、川幅が広い以外の感想が浮かばなかった。

ある条件下でしか現れない「川幅広しクン」

川幅広しクンが見えるのは、ある条件が揃った時だった。それは「電車の進行方向 左側に向かい、吊り革を持って立っている」こと。そして決まってその条件の時に私は心が荒んでいた。どういうことかというと、つまりはとてもくだらないことで恥ずかしいのだけど、電車で座れなくてイライラしていた。ただでさえ往復5時間も電車に揺られていたのに、その上ずっと立ちっぱなしだなんて、こんなに酷なことはない。私はその条件が揃う度に川幅広しクンと否が応でも対面しなければならなかった。そんなイライラした私を横目に、川幅広しクンはいつも同じ表情をしていた。日光を跳ね返した水面はキラキラチカチカしていて、鴨の親子たちは一列になってお行儀良く泳いでいた。私の荒んだ心の正反対にいるような、穏やかで静かな表情だった。私は次第に、その変わらない姿に安心感を抱くようになった。あの条件が揃わない時も、座ったまま首だけ後ろを向いたり、反対側に座っている時には背筋を伸ばすなどして、その姿を毎朝、一目見ることが習慣となっていった。その頃、この川が「多摩川」という名を持つことを知った。

習慣から祈りに変わる

最初はただ見るだけだった。『今日も川幅広いね〜!』『水がいっぱい流れていて偉いね〜!』くらいにしか思わなかった。しかし、その習慣はいつしか祈りへと変わっていった。

大学2年生の時、突然大学に行くのが辛くなった。偏差値ギリギリで入った(と思っている)大学だったし、特に学びたいこともなかった。人間関係もあまりうまくいかなくて、こんなに時間をかけて大学に通うのが馬鹿らしくなってしまった。それでも私は大学に行くことは辞めなかった。高い学費を払ってくれている両親に失礼だし、中途半端で放り出すというのは私が一番嫌いなことだからだ。

「今日も1日なんとかなりますように」

はじめて多摩川に向かってこの言葉を唱えた時、私は確かに祈っていた。情けない憂鬱な気持ちをぶら下げながら、絞り出した祈りはこんなものだった。別に祈りを捧げたところで、私の大学生活が華々しいものへと変化することはなかった。当たり前だ。でも「なんとかなった」気はした。それからというものの、私は多摩川を見る度に祈った。言葉を唱える時も、そうでない時もまちまちだったけれど、私はいつだってその姿を見る度に祈っていた。

祈りを捧げる人の気持ち

今や多摩川を見る機会は週に1度となってしまったが、私はその姿がない所でも、事あるごとに祈りを捧げている。ゼミの面接に緊張していた時、就職活動に苦しんでいた時、大切な家族を失い悲しんでいた時、私は見えない多摩川に、頭の中で描く多摩川に、祈りを捧げた。そしてその祈りが必要なくなった時には必ず「ありがとう」と面と向かってお礼を言った。

「祈る」という行為は、宗教を持つ者のみが行うものだとずっと思っていた。正直なところ、少し前までこの行為の意味が分からなかった。でも多摩川に祈るようになってからは、その意味がわかった。この行為は第三者から見れば、無意味な行為のように思えるが、祈りを捧げている本人にとってはとても大切なことなのである。祈ることで漲る自信があること。負の感情を流せる場所があること。疲れた時に休める心の拠り所があること。心身ともに健やかな自分をありがたいと思えること。

そこにあるのはきっと虚像だが、私の目には確かに写るものがあるのだ。
私は今日も、多摩川に祈りを捧げている。


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