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荒川佳洋氏の連載「現代川柳時評2 川柳評論の現在」を読む

日本現代詩歌文学館の館報『詩歌の森(第101号)』が届いたので、荒川佳洋氏の連載「現代川柳時評2 川柳評論の現在」を読みました。

第一印象として、これ、“わたしの知らない川柳界”でのお話しをしているようにしか読めませんでした。まあ、わたしの勉強不足であり、“知らない川柳界”のほうが主流なのかもしれませんが。

今回の時評では、限られた誌面の大部分を割いて『川柳作家の戦争協力に関する歴史的検証を川柳作家が行なうべきなのではないか』という趣旨を記しています。
確かに、川柳作家の戦争協力に関する歴史的検証は必要なのかもしれません。しかし「他ジャンルの作家がやっているのだから、川柳作家もやるべき」的な考え方で川柳作家にそれを求めるのは違うのではないかと。何故やる必要があるのか、川柳作家がやるべき、やらなければならない、という必然性を読み取ることはできませんでした。
歴史的検証について、川柳作家だからということではなく、やりたいと思う人、やらなければならないと思う人が関係資料を収集し十分に研究した上で論を展開し発表されればいいのではないでしょうか。なんでしたら、ぜひ、文芸評論家である荒川氏がおやりになってください。

また、次のような記述がありました。

川柳作家の「川柳は道楽」的姿勢

日本現代詩歌文学館の館報『詩歌の森(第101号)』荒川佳洋氏の連載「現代川柳時評2 川柳評論の現在」

わが道をゆくだけ、というわけだ。

日本現代詩歌文学館の館報『詩歌の森(第101号)』荒川佳洋氏の連載「現代川柳時評2 川柳評論の現在」

このような言い回しですが、これ普通に喧嘩売ってます? 荒川氏の文章スタイルは常時このようなものなのでしょうか。これにはかなりイラッとしました。
万が一、もしかすると、“挑発的な物言いをされて鼓舞させるため”なのかもしれませんが、これはいただけません。挑発的な物言いをされて鼓舞する(できる)特定の人にだけ向けて書くのであって、様々な人が読むようなところで書くことではないですよね。単に不愉快なだけです。

時評の結び近くでは、『文藝年鑑』に川柳文学賞受賞者が掲載されていないことが書かれています。
これは日本文藝家協会に川柳作家が誰一人所属していないからでしょうか。誰か一人でも所属しているのであれば、なぜ川柳文学賞受賞者が掲載されていないのでしょう。
荒川氏は川柳文学賞の選考委員でもありますが「一考を要しよう」と悠長に書いています。荒川氏は日本文藝家協会に所属しているのであれば、そして、『文藝年鑑』に川柳文学賞受賞者が掲載されたほうが良いと考えるのであれば、速やかに同協会へ提案・提言すればいいのではと思いましたが、しないのですかね。
もし、近いうちに提案・提言するのであれば、進捗状況を川柳を作っている方々に対して丁寧にアナウンスしてほしいですね。
加えて言えば、いつの日か川柳文学賞受賞者が掲載されたとしても、受賞者の顔写真・年齢・性別・職業の掲載有無の必然性について昨今の議論を含めて論じてほしいですね。ちなみに、わたしは不要だと思っています。

なお、時評内で取り上げられた本は以下のとおり。(言及順)

佐高信『反戦川柳人 鶴彬の獄死』集英社 (2023/3/17)
中村裕『やつあたり俳句入門』文藝春秋 (2003/9/20)
佐藤美文『川柳は語る激動の戦後』新葉館出版 (2009/9/1)
新家完司『良い川柳から学ぶ 秀句の条件』新葉館出版 (2023/4/22)
江畑哲男『よい句をつくるための川柳文法力』新葉館出版 (2017/2/10)
松代天鬼『川柳のルーツをたどる』新葉館出版 (2023/6/10)

取り上げられた本は6冊。うち、去年刊行されたものは3冊。また、6冊中4冊が新葉館出版でした。新葉館出版の刊行物が多く取り上げられていると感じますが、たまたまなのでしょうか。

全体としてこれは『時評』なので、しようがないのかもしれませんが、主語が大きい(と感じる)『川柳作家』という言葉を用いて書くのはやめてほしいですね。文章に同意出来兼ねるので気持ち悪いです。

最後に。
今回の時評タイトルにある「川柳評論の現在」の“現在”とは、一体何を指しているのでしょうか。
荒川氏はX(Twitter)アカウントを所有し運用しているように見受けられます。であれば、インターネットやSNS上での出来事についても言及することがごく自然だと思うのですが、今回の時評では一切何も言及されていませんでした。何故でしょう。荒川氏からすれば時評原稿を書く上で、インターネットやSNS上から“川柳評論の現在”として掬い上げるものが皆無だったのでしょうか。
わたしからすれば、今回の時評タイトルは「川柳評論の現在」ではなく「戦争協力に関する歴史的検証」というタイトルのほうがしっくりきます。
“文芸評論家”を名乗り、川柳時評を書くのであれば、アンテナを目一杯広げ万遍なく観測した上で、かつ、取り上げる刊行物が偏ることなく、きちんとタイトルに沿ったものを評してほしい論じてほしいと思いますが、無理なのでしょうか。

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