2020/8/20

昨年の今頃、私は前の職場を去る支度をしていました。いや、実質その前半年間ほどかけて。およそ5年所属したその場所で私が抱えていたものは意外とたくさんに増えたのだと、その半年の間に気付かされました。お客さんには余計なことを考えずに日々楽しんで欲しかったので表向きに退職のお知らせは直前までしませんでした。

その頃は辞めたその後についてまだイメージが漠然としていました。ふわっとは考えていたのですが、辞めてからグッとイメージをかためていこうと思っていました。もちろん、その時間を作るための準備もずっとしたきたのですから。

今そこから1年ほど経ちまして、私の頭の中のイメージがだいぶできてきた気がします。具体化してきたというか。私にとって今この場所にいることは目標とは少し違います。目標を達するための大事な過程の一つです。

お仕事も、音楽も、色々と経験をして思っているのは、3~5年くらい、しかも割と深いところにしっかり入って続けて取り組まないとわからないことがものすごく沢山あるなぁということです。もちろん気持ちの面でアップダウンすることもありますが、物事を長く続ける意義というのは必ず存在すると個人的に感じています。

もちろん例外もあります。例外になるときというのは大抵、後で振り返ったら自分の身の丈に合っていなかったときです。マイナスの言葉が頭に浮かんできたり身体にも退屈さが現れてきたりして、周りの人に「無理せず辞めたほうがよいのでは」と言われるとやっと気付けたりします。


私は前職のさらに前に作業療法士という役割をもって仕事をしていました。
いわゆるリハビリの先生でした。それも難しいといわれていた発達障害という分野に飛び込んで、生活に困っている子どもたち・大人になった方、家族の支援をしたいという一心でした。ずっと全力で、この目の前にいる方たちの役に立ちたい、この人の人生が少しでもうるおいを持って、生きていることの意味を見出していけたら良いなと思いながら働いていました。ものすごくやり甲斐がありましたが、日々葛藤もものすごくありました。担当していた方が亡くなることも何度か経験しました。その度に私はこの方の人生にきちんと寄り添うことができたのだろうかと考えることもありました。
きっかけはおそらくいくつかあったのですが、あるとき身体が限界サインを発して、私はその仕事を一度離れ、無期限休業とすることにしました。

その時も私は私の本当にやりたいこと、楽しいと思えることを考えよう、自分の人生もきちんと見ようと決めました。作業療法士という仕事をしていなかったら、できなかった発想はたくさんありました。きっと今もずっとそうだと思います。


私が今イメージしているものの最終形は、作業療法士という仕事で自分がうまくできなかったことを形・表現を変えて作り上げることです。その仕事を離れて一番体感しているのは「作業療法」について知らない方がまだまだたくさんいるということと、枠の中にハマらなければできることは無限にあるということです。

枠にハマらずに、誰かの人生の一部に少しでも潤いをもたらすことができたら、それをずっと見極めていけたら良いなと考えています。


今日はここまで。
ちょっと知人の言葉に触発されて書きました。
後で消すかもしれないシリーズでした。


na*


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