routine

画像1

21日にthe HAKATAにてBeepというイベントを観てきました。もう何度か観に行っていて、だんだん顔なじみの方ができたりしてきて楽しいです。PCを使わないアナログな電子音楽とともにVJによる良い雰囲気、心地良さと、どんな音が鳴っていくのか定かではない不安感と好きな音が鳴った時の安心感を繰り返すワクワク感がお気に入りです。音楽を聴いたり久しぶりに会う人と話をしたりと良い時間を過ごせました。
この日はオフだったのですが、まとめて家のことをして、スタジオでドラムの練習をして、musica hall cafeへ新年の御挨拶がてらごはんを食べに行って、とても充実した1日となりました。

画像2

ドラムや歌の練習がオフに当たるのかどうか。時々考えますが、私にとってはどちらでもあって、ありがたいことに時々お仕事として必要になるときの為のでもあるし、音を鳴らすこと自体が自分の癒しであることもあります。もちろんバンドで良い音楽を届ける為の大事な準備でもあります。でもそれ考えても仕方ないな〜と思う時もあります。スタジオでできることは毎日ではないけれど、ルーティンではあるからです。それがあるとなんだか整う、というイメージですかね。

ルーティンといえば、先日からYouTubeで某チャンネルの「○○さんのモーニングルーティン」みたいなシリーズを垂れ流して観ています。「あ〜、なんかわざとらしくて嫌だなぁ(笑)」みたいなのもあれば、「ちょっとこれは良さそうだから見習ってみようかな」みたいなのもあります。
日常生活のやり方みたいなのって幼い頃から見てきた自分の親のやり方が土台になっていて、実家を離れると1人だったり恋人や友人のやり方がアレンジ効かせていくじゃないですか。それってなんだかその人の人生の大きな部分でもあるのでちょっと面白いなと思います。ただ仕事や勉強や趣味やらを頑張って楽しんでいくだけではなくて、背景として日常生活が必ずそれぞれにありますよね。きちんと自立して生きていこうと思ったら、そこをどうやって上手にやっていくかって結構ポイントだと思う場面が個人的にはとても多いです。上手にいくと他のことも上手にいったりするんです。
例えば、ごはんを食べるやり方だけを大雑把に分析すると「食材を手にいれる→作る→食べる→片付ける」という工程が必ずあって、これらの全部を自分でやるのか、いくつかは誰かに頼るのか、食べる行為以外は全部頼るのか、といったところでその人の食への充実感って違ってくる気がします。もちろんさらに1人なのか、誰かと一緒にやるのかの要素も質に関わりますよね。
私はこういう分析をするのがとても好きで、作業療法士の仕事をしていたことが影響していると思うんですが、誰かと共有しなかったとしても、ひとりでモンモンこんなことを考えて盛り上がって楽しくなってしまうことも、、、ありますあります。

で、なんの話でしたっけ?という感じなのですが、ルーティンの改善を目指して少しSNS制御中です。制御中といっても、手癖みたいに開いてしまう一部のSNSのアプリをスマホから消して、尚且つタイマーで1日に30分以上開いていたら制限がかかるようにしただけです。アプリ消してもブラウザでいとも簡単に開けちゃいますからね。。自分と向き合う時間を増やすことが目的。SNSを見ている時間というのはほとんど脳が働いていないという説もあります。どの投稿もほどほどに。自分と他人とを比べない。なんだか現代人って感じですね。


na*


:::links:::




お読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは音楽や絵の創作活動に活用させていただきます。