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成人式に振り袖って誰が決めたの?~なぜ、皆と同じじゃなきゃいけないの?とずっと思ってた

 はじめまして。メーカー勤務オトナ女子です。なぜnoteをはじめようと思ったのか書いてみたら、自分でも気づいていなかったことが見えてきました。自己紹介書いてみてヨカッタ!書くことって、大切だなと思っています。
 主にここで書きたいと思っていることは「女性が自分らしく自由に人生を生きていくことへのエール!(もちろん、男性にも参考になれば幸い(^^))
少しだけ長く生きているオトナ女子から、今、仕事と子育てでいっぱいいっぱいになっている世代の皆さんに、参考になるかもしれないことを書けたらいいなと思います。

成人式と振り袖

 我が家には2人の娘がおり、次女が今年成人式を迎えます。先日、着物屋さんに出向き、長女が着た振り袖と、私の妹の古い振り袖を着比べて、「どうしよう~?」と迷う、のどかな午後をすごしました。
「あれ???」と思われた皆さん!何かおかしいですか?そうです。普通は「姉振り袖」と「ママ振り袖」が比較対象となるのではないでしょうか?
なぜ「ママ振り袖」でなく「叔母振り袖」だったのでしょうか。
その答えは、私は自分の成人式のとき、振り袖を着なかったからなのです。

なぜ振り袖を着なかったのか?

 私は白のワンピースを着て成人式に出席しました。振り袖がキライだったわけではありません。事実、後日、友人の結婚式などで上述の妹の振り袖を着ました。なのになぜ成人式では着なかったのでしょう?
 私は、皆が同じ格好をするということに、強い違和感を持っていたのです。着物が日常着であった時代であれば、その正装の振り袖が晴れ着であることにそこまで違和感はなかったかもしれませんが、洋装が日常着のこの時代に、なぜ振り袖なのか?スーツやワンピースなど洋装の正装でもいいのではないか?もし、日本人の正装は和装というなら、男子は紋付袴じゃないのの?と。なぜか面倒くさく、疑問を抱いていました。
 幸いかな、両親の理解を得、私は、振り袖の代わりにワンピースと、上質のカシミアのコートという出で立ちで出席し、「ワンピースやカシミアのコートの方がよほど後で役に立つわ。」とご満悦だったのです。

皆と同じじゃなきゃいけないの?

 「皆がやっているから、同じにしておこう」という気持ちがなかったわけではありません。小学生のときは、「今日は雨が少し降ってるけど、みんなレインコートを着てくるかな?」、遠足の日に「みんなは長袖かな?半袖かな?」と、友達の動向が気になり、遠足の当日に多数派に入っていればホッとし、少数派に入ると少し居心地が悪く感じる普通の子でした。成長と共に少しずつ変わっていったのかもしれません。
 中学生の時は、制服で、セーラー服を着ていました。体育の時間は、女子はエンジ、男子は青の体操服。雪深い地域だったせいか、冬場はスカートでは寒く、なぜか、上衣はセーラー服、下衣は体操用のエンジのジャージを着ることが許されていました。通称「モンペジャージ!」私はこれが大嫌い。「セーラー服ならセーラー服、体操着なら体操着にすればいいじゃない。
カッコ悪い・・・
 「そんな着方はしたくない」私は、他の女子がモンペジャージの出で立ちをしている時でも、可能な場合は、こっそり、セーラー服のスカートに着替えるようにしていました。
「あれ?なんで着替えたの?」・・・
「あ、時間があったから変えちゃった!」的に、さりげなく(*^^*)。
ささやかな抵抗でした。
 そして、高校生。そこそこの進学校に入学した私は、そこでブリッコというありがたくない代名詞を拝命します。しかも「天然ブリ(ッコ)」。

可愛く見られたいは普通じゃない?

 当時流行った「ブリッコ」という名詞。辞書で検索すると
~《「ぶり」は「振 (ぶ) る」から》いい子ぶる、かわいい子ぶるなど、それらしい振りをする女の子。また、わかっているのに上品ぶって知らない振りをする女性。かまとと。~
 周囲から「いい子に見られたい」「かわいく見られたい」という気持ちは当たり前の気持ちではないの?そう見られたいから、行動や仕草がそうなって、何がおかしいんだろう?ましてや私が拝命した「天然ブリ(ッコ)」は、「わざとやっているわけではなく、いい子(かわいい子)に見られたいという気持ちがあって自然にそうなる」と、当時の友人は解説してくれました。そして私のことは、「ブッっているが、天然なのでやむなし」と目こぼししてくれていたようです。笑
 多感な十代、他人に良く見られたいのは当たり前の欲求。そう思っているのに、「いい子に、かわいい子に見せようとしているように見られたくない。」とわざと突っ張っている友人たちの方が不自然じゃないかと、私は
内心思っていましたが、目こぼしされていたので、こちらも波風立てず、
そっとしていました。ただ、やはりこの時も、皆に合わせて信条を曲げるのは嫌で、わたしはわたし!と思ってたと思う。

目立ちたいわけではないが、信条は曲げたくない

 私は決して目立ちたくて他の子と違う振る舞いをしていた訳ではありません。特に悪目立ちは避けたい。しかし、自分の信条は曲げたくない。モンペジャージも天然ブリもアンチ振り袖も、信条を曲げなかった代償で、ちょっとした生きづらさ、面倒臭さが伴ないましたが、私はそれを引き受けました。自分らしくいられてよかったと、振り返ると思います。

ダイバシティ・女性活躍推進との出会い

 大手メーカーに新卒で入社し、十数年が経過した頃、私は人事部への異動を命じられました。仕事は女性活躍推進
入社以来、主に情報システム関係、業務改善等を担当してきた私が、畑違いの人事部へ。実は人事部は入社当時の希望配属部署でしたが、十年を経て望みをかなえてくれたわけではない・・異動の理由は、恐らく私が当時はまだ数少なかった子育てをしながら昇格している女性社員だったからと思われます。当時は(多分今も?)ちょっと頑張っている両立女子に、女性活躍推進の担当をさせるのは、流行っていました。この手のテーマの研修に行くと、自分と似た働き方、価値観の女性担当者に、山ほど会うことが出来ました。彼女たちとの交流は、楽しかったし、勇気づけられました。私だけじゃないんだと。

みんな自分勝手な常識にがんじがらめになってない?

 女性活躍推進の仕事を担当し始めた当初、私は自分の経験上、仕事を付与する上司層(主に30代~40代の男性)の意識啓発をすることが最重要課題と思っていました。卵が先か鶏が先か?という言葉がありますが、まずは鶏でしょ!と。
 上司の皆さんの家庭の多くは専業主婦世帯。家庭を守ってくれる妻がいて、自分は24時間働けちゃう?企業戦士になって何十年という皆さん。
その、専業主婦世帯の企業戦士の価値観で、良かれと思って、育休復帰した女性部下にかけます。「無理しないでね。お子さん優先で」と。
 この、配慮のつもりが排除にもなるNGワードにより、キャリア志向の前向き女性ほど、「休職前と同じように働くつもりだったのに・・・私はもう求められていないの???」と、モチベーションを下げてしまう・・・
 一方「女性側の意識の方が質が悪い???」と思えることも。育児休職に入る女性のうち、約半数は、育児は自分が主体でやる仕事と思っているという事実。「パートナーの役割は?」と聞くと「彼は平日はまったくあてに出来ないんです」と答えが帰ってくることも多々。妊娠前の仕事をしながら
育児も1人でやろうなんて、スーパーマンじゃなきゃムリ!
 どうして育児は女性が主担当の仕事なの?二人の子供なのに。生むのは女性だから?生むのは女性しかできないけど、二人の子供でしょ?授乳以外はできるんじゃないの?その常識は本当に常識?あなたの家がそうだっただけじゃないの?しかもあなたのお母さん、専業主婦じゃなかった?育児をしながら仕事も一人前にやるなんて、1人で出来っこない!!!(と私は思う・・・)みんな、自分の狭い経験の中だけから決めた狭い「常識」の世界を勝手に作って、勝手にがんじがらめになって疲れちゃってないの???

なんでワタシはこんなにムキになってるんだろう?

 女性活躍推進の担当になって以来、仕事の範疇を越えてこんなこと考えていいます。そしてフト「なんでワタシはこんなにムキになっているんだろう」この問題に?あんまり熱くなる正確じゃないはずなんだけど?思う。
 なぜだろう?
自分は必死だったけど、これからの人にはもっとフツーに仕事とキャリアの両立をしてほしいという親心?姉心?かな?確かにそれもありだけど、それだけじゃないことに、この自己紹介を書きながら気づいたのです。
 あ、わたし、人の決めた常識にとらわれて生きるのが嫌いだったんだ・・と。
 成人式の振り袖も、中学のモンペジャージも、それが普通だから、みんなそうだからという理由で着るのが嫌だった。仕事と家庭の両立も、女性が主体でやるのが普通って世間が思ってるからやるなんて、まっぴら御免!やるなら自分で選ぶ。
 実は子供の頃から、意識せずにやっていた信条と、仕事で伝えたいテーマが一致していた わけです。
 だからこのnoteで、暑苦しくこの話を書いてしまうかも! 両立話もですが、たとえば、ママになったらママであることが最優先で女性である自分は二の次でいいの?なんてことも、多分同じ理屈で、「どうするかはワタシが決めること」と思ってます。そんな話も含めて書けたらいいなと思います。
 ちょっと面倒くさい私ですが、どうぞよろしくお願いします\(^o^)/

 

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