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こんにちは!ナルコです!

みなさんこんにちは。ナルコこと、なのです。

私は、バーレスク東京という六本木のお店で新人ダンサーとして働いています。

世間一般でいう「働く」とはなんとなく違うような気もしなくはないですが、それはきっと「働く」という言葉に対してマイナスなイメージが定着しているからだと思います。

前置きはさておき、今日は最初の投稿ということで、自己紹介をメインに書き進めていきます。

(以前noteでかなり攻めた投稿をしていたのですが、内容がセンシティブ過ぎたのでアカウントごと消してしまいました。)

だらだら書き連ねるほど、長く大層な人生は送ってないですがしばしお付き合いいただけたら幸いです。

生粋の広島女子なんです。

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既にご存知の方は多いですが、私は生まれも育ちも広島です。広島駅近くの市民病院で生まれました。

ごく一般的な家庭で育ち、昔からひょうきんな部分はあるものの、「平凡」という言葉は私にピッタリな言葉だと思っていました。良くも悪くもない「平凡」。私はその言葉が大好きでした。今思えばちょっと変わってますね。

自宅は都会でもなく、田舎でもない場所にありました。程よく栄え、緑がある広島は日本で一番住みやすい土地だと思っていました。こんな「普通」の土地に「普通」の人間が住んでいることが誇らしかったです。

私にとって「平凡」や「普通」はとても尊いものでした。だって全ての物事がバランス良くそこにあるということでしたから。

小学3年生の頃、将来の夢を書く作文の時間。一人のクラスメイトが達者な文章で「平凡に暮らしたい」と書いていました。

大人はきっとゆとりの予備軍だとか、子どものくせに夢がない、可愛げがないなんて思ってたかもしれません。

でも私は、惜しげもなくそんな作文を書いた彼に共感を覚えました。

なぜならきっとこの場にいる人のほとんどがそうなれないからだと思ったからです。

「平凡に生きること」は実はかなりハードルの高いものなのだと、幼心に感じていたのかもしれません。

話は脱線しましたが、私はない頭を使って色々なことを考える子どもでした。考えるだけで何もしてません。現に当時の私の作文は「バレリーナになりたい」「薬剤師になりたい」「学校の先生になりたい」他人の期待や反応を気にして、あまり自分のことについて考えていなかったのです。

バレエとの出会い。

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そんな平凡に過ぎる日々の中、大人になって上京するまで私の生活の中に欠かせなかったものはバレエでした。

叔母がバレエ教室の先生だったこともあり、3歳の頃に始めたのがバレエでした。物心ついた頃にはレッスン場へ通っていた記憶があります。

そのほかにもピアノや英会話を習いましたが、自分がやりたい!と思って始めたことは一つもありませんでした。

私はどちらかというと落ち着きのない子どもだったので、習い事に行きたくないと毎日駄々をこねていました。

そのような状態で長続きするわけがなく、短期間でピアノも英会話もバレエも辞めてしまいました。

短い間でしたが、毎週あった習い事が全部なくなって最初は開放感でいっぱいでした。

しかし数ヶ月くらい経つと、ものすごい虚無感に襲われました。当時の私に虚無感なんて分からないですが、とにかく寂しかったのです。

暇な時間が多いと、人って余計なことを考えてしまうんですよね。もちろん当時の私は幼いので暇は暇なものでした。

だからまた、ふと、暇つぶしにバレエだけを始めようと思ったのです。

初めて私の意思で母親に「バレエだけまたやりたい...」とお願いしました。あんなにレッスンへ行くのすら億劫だったのに、嫌いよりも寂しい気持ちが勝ったのです。

そこでの母の対応は素晴らしいものでした。

「いいけど、またやめたらもう二度とバレエ習ったらダメだよ。」

私がまた嫌になってやめるのを見越して、二度目はないからキチンと考えるよう、きまりが設けられたのです。

私はまだバレエが苦手でしたがしぶしぶ了承し、バレエを再開しました。

しばらくすると、またすぐにやめたくなりました。

でも「もう二度とバレエは習えない」が続ける理由になっていました。あの約束がなければやめたりまた始めたりを繰り返して、結局手放していたと思います。

ルールが気持ちを縛ることはしんどかったですが、当時の私には必要でしたし、不思議とバレエが苦痛にならなくなりました。

強制されている環境でも私の意思はあるし、制限されたものの中で私は何かを見つけることができました。

好きだから続けるのも理にかなってますが、嫌いなことでも続けるうちに好きになる可能性があるのです。

小学校を卒業する頃にはバレエが大好きになり、大学を卒業してからも続けていました。

こんなことなら、ピアノや英会話も使う機会が多いので、やっておけばよかったと今でも思います。

上京のきっかけ。

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タイトルをつけたものの、大層な目標を掲げて上京したわけではないです。ただなんとなく、経験しておきたいという気持ちがありました。

高校卒業のタイミングで、一度親に上京したい旨を伝えたことがあります。しかし、東京でしかできないことがやりたいわけではなく、憧れしかないぼんやりとした理由だったため却下されました。

反抗するほどの理由も根性もなかったので、バレエを続けながら教員免許を取り、将来は踊れる教師になるという大まかな人生プランが確立してきたのはこの頃でした。

プランが決まったらあとはこなすだけです。女子大の学生生活は本当に充実していました。友人に恵まれ、毎日休みなくレッスンとアルバイトに励み、学生らしく遊びました。

これでいい。辛いことやしんどいこともありましたが、前提にある恵まれた環境や生活の中でのことだ。私は本当に幸せ者だと、自分に言い聞かせてました。

しかし、大学を卒業したタイミングで気付きました。

「あれ?私、バレエの先生にも学校の先生にもなりたくないぞ?」

間抜けでした。やりたいこととなりたいものの区別がついてなかったのです。

先生になるための勉強は楽しかったし、バレエも大好きでした。だからこそ続けることができていたのですが、立場が変わることに疑問を持ったのです。

食べ物が好きでも料理はしたくない。映画は好きでも出演したくない。

もちろん両方やりたいと思う方もいると思いますが、そうでない方もいると思います。

要は受け身でやりがいを感じている物事が、与える側になってもやりがいを感じるかどうかという問題にちゃんとした考えを持っていなかったのです。

そこで私は、やっぱり上京しようと決意しました。

今ある環境を居場所から変えれば、何かが変わると思ったからです。

「どうせすぐ帰ってくる」「行っても意味がない」

帰ってもいいじゃん!家だし!意味ならある!経験になる!

家族とはそんなやりとりをしていましたが、心配してくれていたんだと思います。

高校生の頃とは違ってもう大人です。宥められることはあっても以前のような強い反対や拘束力もありませんでした。家族は意外にもあっさりと私の上京を見守ってくれたのです。

初めての県外、初めての一人暮らし、初めての職場、私の生活は一変しました。

待ち受ける空白の一年間。

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上京して数ヶ月、毎日が新しく楽しいものでした。

思えば学生時代は忙しく、休みもあまりなかったので、仕事も学校もバレエも何もない、まっさらな生活がとても新鮮だったのです。

しかし、この状態は早くも私を苦しめました。

先述しましたが、暇だと人はろくでもないことを考えます。私の場合、人生の最大の敵は暇と言っても過言ではありません。本当に何もせず、ただただネガティブな思考に浸っていました。

決められたレールを順調に走っていた私は行動力というものがないことに気づきました。レールがなくなった途端、走るのをやめてしまったのです。

そして死人のような一年を過ごしました。(あまりにひどい一年だったのでまたの機会に書き起こそうと思います。)

そんな地獄の生活から脱却すべく、ルールのある環境に身を置くのが最初の手立てであり、全ては生活を整えてから余計なことを考えようと思いました。これが塾講師になったきっかけです。

心機一転!これから頑張るぞ!

そう思った1ヶ月後、忌々しいあのウィルスが流布したのです。

塾講師になって半月で、授業は全て緊急事態宣言でお休みになりました。

出鼻をくじかれるとはまさにこのことです。オンライン授業で出勤講師は減らされ、新人講師の出る幕はなくなりました。

こうしていともあっさりと、職を失いました。

捨てるものあれば、拾うものあり。

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前代未聞のニュースの中、世の中の混乱は続いていましたが、私の腰は重く、次にどうするか何も考えていませんでした。

辛うじて続けていた在宅ワークもおざなりになっていたちょうどその頃、妹が上京してきました。

4月上京予定だった妹も、コロナ禍の中で8月にやっと上京できたのです。

「お姉ちゃん、バーレスクのオーディション受けてみようや。」

妹が上京してしばらく後、その誘いを受けました。

当時私はバーレスク東京のことに関してなにも知らなかったのですが、妹が応募し、私のことについても詳細に伝えてくれました。

その後はとんとん拍子に話が進み、今に至ります。

不謹慎ですが、コロナ禍で塾講師を辞めなければ、バーレスク東京に出会っていなかったと思います。

環境が同じで、自分の身に降りかかってくることが必然であるならば、捉え方で見え方は大きく変わる。そう思えました。

前進の手立て。

思いの外話が脱線してしまい、長くなりました。以上が自己紹介を兼ねたこれまでの経緯です。

鈍臭くて、不器用で、メンタルの弱い私。

自信も希薄で、飲み込みも遅い私。

まだまだ女性として、人としても未熟な私。

思いつく取り柄が「健康体」と「食べ物の好き嫌いがない」こと。笑

色々と足りてないですが、私なりに一歩ずつ、実際には半歩ずつくらい、前に進んでいきます。

生きることを選択できたら、あとはどう生きるかを死ぬまで選び続ければいいと思います。

たまに振り返ったその道には、たくさんの人や想いが見えてくる。そんなこれからを歩みたいと思います。

姉妹で力を合わせて。

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最後まで見てくださってありがとうございました!

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