ナチスと菅政権の酷似性
ナチスと菅政権には不気味な酷似性があります。
メディア統制、学会支配、一党独裁、経済的背景において、これほど酷似した政権は戦後民主国家で初めてのことではないでしょうか。
菅政権のメディア統制
菅政権は発足早々に「パンケーキ記者懇談会」と題して、オフレコ(取材内容を公表しない)を条件にマスコミの懐柔策を始めました。政権に都合の悪いメディアを排除しようとする目論見です。
菅首相は官房長官時代から7年8カ月の間、「答える必要はない」「指摘は当たらない」と都合の悪い質問に対して一切答えない姿勢を徹底して貫いてきました。一方で、自分に都合のよい記事を書くメディアに対しては、手紙や花や祝辞を贈ったりと袖の下を握らせて飼いならしてきた実績があります。
実際、読売新聞には「デジタル庁創設」、朝日新聞には「組閣は派閥にとらわれない」など、自分の宣伝になる情報だけを独自のネタとして与えて手なずけようとしてきました。
菅政権の「パンケーキ記者懇談会」という名のメディア統制の目論見に対して反旗を翻したのは朝日新聞、東京新聞、京都新聞の3社のみ。
「パンケーキ記者懇談会に参加しないのは自ら情報入手を放棄しているだけ」という指摘もありますが、悲しいかな、「桜を見る会」「学術会議への介入問題」など自民党政権の腐敗をスクープしたのは、記者クラブにも属していない共産党の「しんぶん赤旗」です。
菅首相のメッセージはひとつです。
「くだらん報道なんかしないで、黙ってパンケーキを食ってろ」
記者クラブと政権との馴れ合いが問題視される中、菅政権は追い打ちをかけるように内閣記者会見を対象に3社ずつグループインタビューをするとのこと。メディアの品定めをして取捨選択をするための密室面接です。
まるで犯罪者がアリバイの口裏を合わせないように別々の取調室で尋問するようなものです。メディアが結託して反旗を翻すのを阻止する狙いなのかもしれません。あるいはキリシタン迫害を狙った踏絵のような言論弾圧です。
菅政権は記者の懐柔だけでなく、彼らを“身内”としても取り込みはじめています。四国新聞の社主を母に持つ元電通マンの平井卓也氏をデジタル改革担当大臣に任命。そして、共同通信社の前論説副委員長、柿崎明二氏を首相補佐官に抜擢。
メディア統制の地盤固めは着々と進んでいます。
ナチスのメディア統制
では、ナチスのメディア統制はどのように行われていたのでしょうか。
ナチスが台頭した1920年〜30年代は、ラジオと映画と新聞がもっとも影響力のあったメディアでした。ラジオと映画はすぐにナチスの管轄下におくことができたのですが、新聞の統制には苦労したようです。ヒトラーは自著『わが闘争』で、新聞読者を3タイプに分類しています。
①読んだものを全部信じる人
②読んだものを全く信じない人
③読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳を持つ人
の3タイプです。
タイプ①は、最大の集合で一般大衆を指す。彼らは国民の中では最も単純な部類に属し、自分で考える素質がなく、 またそのような教育を受けていない人たち。他人の考えをそのまま受け入れる無精者である。
タイプ②は、数的に少ない。新聞を憎んでおり、 新聞を読まないか読んで憤慨するか、どちらかで、取り扱いの難しい人々である。
タイプ③は極めて少ない。このような人々の価値が、彼らの知能にだけあって数にないことは残念であ る。
ナチスは大衆操作の道具として新聞を利用する際にこの分類を基準としたと考えられています。ナチスの報道政策は、政治方針にそぐわないような高度な思考力や知識を、タイプ①に属するドイツの大衆読者が持ち合わせていないことを前提に展開されたのです。
「パンケーキおじさん」「苦労人」という即席の浅はかなキーワードだけで、支持率70%を獲得しているのは、まさにこのタイプ①の国民にフォーカスして成功を収めた証と言えます。
また、ナチスは統制が難しかった新聞社に対して、「編集人法」という法律で新聞記者になれる条件(アーリア人種の血統に属する、満21歳以上等)を制定し、経済的操作によっても報道活動を統制し、この操作によっ て既得権益の保護が行われました。
そして極めつけは、「報道会議」を開いて記者たちに編集方針を指示していたことです。ドイツ国内の記者が「報道会議」に参加するためには、宣伝省で出される身分証明書と警察で出される無犯罪証明書とによって発行される写真付き許可証が必要でした。会議にはこの許可証を持って臨み、出席者リストへの記入も強いられました。会議に出席できない新聞に情報を与えることは許されず、違反すれば除名、懲戒裁判へとつながりました。
まさにパンケーキ作戦です。
密室懇親会を開き、記者の選別を行うパンケーキ記者懇談会や内閣記者会見は、ナチスの「報道会議」をそっくりそのまま模倣したメディア統制と言っていいでしょう。ナチスは新聞メディアの統制に苦労したようですが、いまの日本のメディアは甘いクリームが盛られたパンケーキでいとも簡単に飼い慣らされてしまっています。
ヒトラーはメディアの統制を徹底しましたが、最も得意としていたのは大衆を前にした演説でした。菅首相はヒトラーとは対照的に、語彙も乏しくスピーチが苦手なので、公の場での記者会見や演説を徹底的に避け、密室談合にすることでメディアの統制を図ろうと目論んでいるのです。ナチスを凌ぐ姑息で陰湿なメディア統制です。
ナチスの学問排除
菅首相が日本学術会議の新たな会員候補だった学者6人の任命を拒否したことが、賛否両論を巻き起こしています。日本学術会議の学者をはじめ、多くの識者が「学問の自由を侵害している」「学問の独立が破られた」と訴えています。
特に任命を拒否された学者は、すべて安倍政権の政策に批判的な人たちばかりだったため、会員たちが「学問の独立が破られた」と思うのも無理もありません。しかし、菅首相は「法に基づいて対応した結果」の一点張りで、任命拒否をした理由を一切説明しません。
時代を遡ってみましょう。
ナチスによる学問排除といえば焚書が有名です。ナチズムの思想に合わないとされた書物が、ナチスによって儀式的に焼き払われました。まさにナチスにとって都合の悪い「③読んだものを批判的に吟味し、その後で判定する頭脳を持つ人たち」の完全排除です。
20世紀前半まで、世界の学問の中心はドイツでした。ドイツの大学には世界中から学生や研究者が集まり、科学技術をはじめ多くの学問がドイツで発展。ところが、ナチスの思想にはまらない学問は粛清され、焚書とユダヤ人迫害によって多くの学問が途絶え、研究者は自由を求めてアメリカに移っていきました。知の流出です。ナチスは軍事国家だったゆえに科学者はその思想に関係なく重宝されましたが、多くのドイツの大学の伝統はナチスによって断絶させられました。
ナチスの迫害を逃れてフランスに移住した詩人のハイネは戯曲『アルマンゾル』で言いました。
「焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」
以下は、菅首相が任命拒否をした学者の主な活動です。
■「安全保障関連法に反対する学者の会」発起人
■「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人
■「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人
■「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者
■改憲や特定秘密保護法などに反対
■「共謀罪」法案について「戦後最悪の治安立法となる」などと批判
すべて安倍政権の政策に異を唱えた学者ばかりです。
「任命拒否は序章に過ぎない。学者を排除する者は、やがて都合の悪い人間をすべて排除するようになる」
ハイネがいまの日本を見たら、そう嘆いたかもしれません。
自分に都合の悪い思想や政策に合わない学者を排除するその思想は、ナチスのとった行動とまったく同じなのです。
1950年代にアメリカでは反知性主義が台頭しましたが、これは知的権威やエリート主義に対して懐疑的な立場をとる主義・思想のことを言います。アメリカでは民主党に対して、共和党が反知性主義の傾向が強いと言われます。オバマ大統領やクリントン候補に対して登場したトランプ大統領はまさに反知性主義の象徴的存在です。トランプ大統領に見られるように、一般的にはデータやエビデンスよりも肉体感覚や先入観や偏見などを基準に物事を判断することを指すことが多いようです。
集団就職・夜学・苦労人・成り上がりといったキーワードをアピールする菅首相も、知的権威やエリート主義を嫌う反知性主義であることは間違いないでしょう。
愛読書がコリン・パウエルのキャリアポルノ(自己啓発)本『リーダーを目指す人の心得』というのですから、知性のレベルが図り知れます。
ナチスと一党独裁
2012年に民主党が再び野党に下野して以来、7年8カ月もの間、自民党の一党独裁が続いています。一強多弱と言われるように野党は烏合の衆に成りはてていますが、これもナチス台頭を招いたドイツの政治状況とそっくりです。
菅政権は、議会も支持率も盤石の安定政権です。つまり自民党が国民の総意なのです。
ナチスは一党独裁国家でしたが、ヒトラーは当時世界で最も民主的な憲法と言われたワイマール憲法の下で選挙によって誕生しています。
ナチスは日本語で「国家社会主義」と訳されることが多いですが、ドイツ文学者の池内紀氏によると、正しくは「国民社会主義」 と訳すそうです。つまりナチスはあくまでも国民が参加してつくり上げた社会主義であって、国家が一方的に圧政で実現したのではないということです。常に国民が関与して、国民が意思表示をして実現したのです。
また、ナチズムを正確に訳すと 「投票型独裁制」となるそうです。国民が投票して意思を示しながら、指導者は独裁的に進めていきます。議会のような非常に時間のかかる機構は間に差し挟まない。これも国会が大嫌いな安倍・菅政権とそっくりです。
まさに安倍政権の一党独裁はナチスと同じ経緯を辿って強大な力を持ちはじめ、それを引き継いだ菅政権はその力をさらに強化しているのです。安倍政権は嘘とごまかしでのらりくらりと逃げ回ってきましたが、菅政権はごまかすどころか、より露骨に独裁政権の力を誇示し始めています。
ナチスは第二次世界大戦に突入するまでは、国民を苦しめていたハイパーインフレを解消し、30%以上あった失業率を実質上ゼロにし、国民的大衆車フォルクスワーゲンを開発し、高速道路アウトバーンを建設し、低所得者層でも豪華客船旅行ができるような社会福祉を実現するなど、貧富の分断なくすべての国民に支持されていました。
「私は全ドイツ人に義務を全うするよう期待する。また必要ならいかなる犠牲も払うよう期待する」
これも菅首相の掲げる「自助・共助・公助」とそっくりです。
ヒトラーはアメとムチを上手に使い分け、国民を鼓舞して操りました。
一方、菅首相のアメとなる目玉政策は、携帯電話の料金水準の引き下げとデジタル化。
これだけで支持率70%です。
ナチスの足元にも及ばないしょぼいアメで大喜びしているわけです。
消費税は上がり続け、実質賃金は20年下がり続け、弱者切り捨て政策で、防衛費は過去最大の5.3兆円にまで膨らみ、ナチスのユダヤ人差別と虐殺に代わって、麻生太郎や杉田水脈を犬笛に使って差別主義を推進する――それが菅政権です。
ナチスの台頭はハイパーインフレと30%を超える失業率という国家の危機が強力なリーダーを求めた結果です。
経済的危機にあったドイツ国民がヒトラーという強権リーダーを求めたように、いま世界中がコロナ禍という未曾有の危機に直面し、強いリーダーシップを求めています。多くの国のリーダーの支持率は上がる中、日本はコロナ禍で支持率が下がった稀有な国です。
しかし、安倍首相が自ら退陣し、菅首相がその意志を受け継いだことで、支持率は一気に70%まで回復。この前代未聞の危機にあって、国民は「誰でもいいから引っ張ってくれ!」と叫んでいるのかもしれません。
N高のスピーチに招かれた麻生太郎は高校生たちに向けて「政治無関心 悪いことじゃない」と語りました。若者が政治に無関心でいられるほど日本が平和だからだという理屈のようですが、本音は投票率が低ければ低いほど自民党に有利という背景があります。
麻生太郎は国民が自民党に対する積年の不信や不満が爆発した結果、2009年に民主党に政権を奪われた張本人です。このときの投票率は69.28%で、以後、自民党圧勝の7年8カ月の投票率は50%前後を推移しています。つまり投票率が低ければ低いほど自民党には有利なのです。つまりメディアが統制され、バカが増えれば増えるほど「①読んだものを全部信じる人」が増え、政権には都合がよいのです。
ヒトラーは言いました。
「人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ」
「大衆の多くは無知で愚かである」
まさに「答える必要はない」「指摘は当たらない」と国民にメッセージを伝えることを拒絶する菅政権が望んでいることです。
また、麻生太郎は憲法改正の議論をめぐって、「ワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気がづかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」とも語っています。
菅政権とは、そんなナチス信望者の麻生太郎がいまだナンバー2の席に居座る独裁政権です。
ファシズムが不気味な足音をたてながら少しずつ歩み寄ってきています。
多くの国民はいまナチスの再来を待ち望んでいるのかもしれません。
※参考文献
ヒトラーはなぜ熱狂的に支持されたのか
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