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育児の9割は見えない

「育児の9割は見えない」

ガッツリ家事や育児に関わるようになってようやく、この考えにたどり着きました。

確かに、離乳食を食べさせたり、オムツを替えたりといった、育児は見えていますし、実際にパートナーに頼むこともできます。

しかし、目に見えている部分は実はほんの少しで、育児の大変さは目には見えないようになっています。

(氷山の一角が分かりやすい)

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(育児の大変さは、見えない部分にある。)

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▼具体的に説明させてください
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例えば、離乳食を食べさせる育児において、見えている部分は離乳力を食べるか、食べないか、そんなところだと思います。

でも実際、「離乳食を食べさせる育児」をするときに妻 or 世の中のママさん(と一部のパパさん)が考えていることは、

・食べるかな、食べないかな?

・どこなら食べる?もっと食べさせる方法あるかな?

・つぶしてから? 塩味を足す?

・好きなものから食べさせる?最初の一口をどうやって食べさせようか?

・お茶でも途中で飲ませてみる?

・飲むならこぼしてもいい場所(板の間)がいいかもね。

・食べる時間帯は、家族の食事の時間とずらさないとね。

こんな感じで、無数にあります。

(図だとこんな感じ)

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つまり、

育児の大変さは見えない部分にある

昔の僕に見えていた世界は「あー離乳食を食べさせてくれているんだなぁ」という部分だけでした。

ただ、実際に妻がやっていくれていた育児とは「考える育児」というか目に見えない部分の育児がけっこうありました。

それに気づくようになったのは、自分が当事者になって育児に関わるようになって数カ月たってからでした。

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▼他の例をあげると、、
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「オムツを替える」という育児を一つとっても、妻は見えない部分の育児をたくさんしてくれていたことに気づきました。

図で表すと、こんな感じです。

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(目には見えない育児が多すぎます)

以前、妻から「オムツ替えてー」と頼まれると「替えといたよー」と元気に答えていた僕。

おしりがかぶれていることにあとで気づいた妻からすると、

「いやいや、オムツ替えてとは言ったけど、ただ替えるだけじゃないでしょ。。」と思ったかもしれません。

以前「離乳食、食べさせてくれるー?」と妻から頼まれて、なかなか口を開けなかったので、「食べないよー」と答えた僕。

バトンタッチすると、妻は食べさせる場所を変えたり、「豆腐だよ~」と言いながら食べさせたり、口をツンツンして開けさせたり、

なんとか食べさせようとあの手この手を仕掛けていました。

一方、「食べないよ」の一言で諦めていた僕。離乳食は食べる、食べないではなく、

・いかに食べさせるか?

・何なら食べるか?

など、考えることが無数にある育児だったのです。つまり、その部分は周りからは見えない部分。

少なくとも以前の僕には見えていなかった育児でした。

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▼育児の9割は見えない
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こんな感じで、どの育児に対しても見えない部分が存在し、その部分がしんどさの大半を占めることを僕は初めて知りました。

言語化すると当たり前のようなことですが、

こんな些細(ささい)なことに気づくまでに半年以上かかった僕は、いったい何をしていたんでしょうか。

僕が、気づくのが遅かったのか、それとも世の中の多くのパパさんは僕と同じように、気づいていないのか。

いずれにせよ、この図はあと10年、胸に刻んでおこうと思います。

画像4

こんな調子なので「育児やってます」とはなかなか言えない僕でした。



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