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信用と信頼と、クリエイティビティの関係性

クリエイティビティとは、一体なんなのかと感じる。

クリエイティビティとは「オリジナリティ」や「アイデンティティ」とか、一見「個の力」を連想させるが、

常にお互いが学びあって、目標に向かっていく「チーム」や「共同体」には、本当に欠かせないものだと思う。

個人のクリエイティビティの制限を外せば外すほど、風通しがよくなり、チームは有機的な繋がりを生み、全体の機能性がアップする。

胃の調子がよくなれば、腸の調子も、お通じもよくなって、食事が美味しく食べられて、会食も楽しめて、コミュニケーションも弾む・・・

みたいな、そういうことが、起こる。

ところが、「個のクリエイティビティ」は、自身の体の中とは違って、他者と他者の間で切り離されているから、なかなか信頼できない場面も多く、むしろ世の中の「チーム」の中には、信用で成り立っていて、信頼までたどり着けてない方が多いなって感じる。

お互いに、お互いのクリエイティビティを信頼できないと、突き詰めていくと「腹の探り合い」みたいな状態がおきていて、風通しはよくない。

風通しやオープン性は、衛生要因だから、何かひっかかる感じ。

「でも、会社だからこんなものか」と多くの場合や、見過ごされている。


ちなみに、この場合、信用でも承認でもだめで、「信頼」が重要なのである。


信用は、「銀行でお金を借りるときに、保証人を用意するように言われる」ことで、信頼とは「いやいや、あんたなら絶対お金返してくれると思うから、今すぐ持って行っていいよ。(さいあく、返してもらえなくても、貸した自分の責任)」という関係性で、

信用の階段を上った先に、信頼はない。

まったく別の建物なのでありまする〜。


だから、「信用」でうすら成り立っていて、「信頼関係が結べてないなー」と感じるチームが「信頼」にたどり着くためには、

何かぜんぜん違う仕掛けが必要なのでありまする。

飲み会がその代わりをする場面もあるだろうけど、

よくよく考えるとと、「信頼関係にたどり着くための手法」として、どちらかというと一か八か的な、かなり信用に足らない手法だよな、、、と感じる。。


チームうんぬんの前に、「そもそも、私、ぜんぜんクリエイティビティ発揮できてないわ」と感じる場合は、

「ていうか、私のクリエイティビティって何??」ってな場合は、

本当のところ、人間として、かなり重症だと思う。

これまでの世の中では、「デキる人」として生きてこれたかもしれないけど、更年期障害がはやくきて、会社からリタイアしたら、枯れ葉族になってしまうかもしれません。

(隠してるだけで、ちゃーんと大事に育ててる人は大丈夫だと思う)


ところで、自身のクリエイティビティも、信頼関係もよくわからないけど、「貢献感」を感じている人は、そこそこ幸せな人生を送れていると思う。

「どうしたら、相手の役に立てるかな?」という視点で、

ちゃんと自身のクリエイティビティも、相手への信頼も育っているはずだから。

新入社員という人種は、やはりこの「貢献感」あたりからスタートするのかなと感じる。



自分が所属するチームの雰囲気をよくしたい場合に。

クリエイティビティや、自己肯定感(自分の感覚や、考えが好きであるという気持ち)を育てるのもいいし、相手への信頼感(まず、相手が何を欲したり、望んだりしているのかな?本当に求めているのはなにかな?)に注目するのもいいし、貢献感(チームのために、自分が役に立っている!と感じられる行動)からはじめてもいいし、

自分の中で3つがバランスよく着地できた場合、

そのチームはあなたにとってかけがえのない場所になるだろうし、

またチームの方もあなたを離さないと思うよ。


私たちは、私も含めて、これまで「信用」の力を大きく見過ぎていたと思う。

「信用」に怯えたり、「信用」にこだわったり。

「信頼」は、自分が傷つく恐れも内包しているから、仕方のない話ではあるのだけど。

でも、「信頼」で成り立っているものに心が触れたときに、とても大きなあたたかいものが、ハートのあたりに灯るはずで、

やはり、人間はそういうものを感じるために、

そういうことが感じたくて、別の身体や思考を持つ、別の物体として、この世に生まれてきたのではないかと、そういうことを思う、5月23日の夜でありました。

(今晩は、エビスビールを一本のみました)

(美味しかったです)





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