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シリーズ・常識を疑う【入札システム編】

新潟生まれ新潟育ち、ブランディングプロデューサーの亀山です。

Narashika(ナラシカ)という屋号でフリーランスとして活動しています。

今回は、常識を疑ってみようを思います。

世間には、いろんな常識がありますが「そもそもなんで?」っていう思考が癖になっている亀山にとっては、つい疑いたくなっちゃう。

だから、不定期ですがシリーズで「常識を疑う」っていうテーマでこれから書いてみようと思います。

初回となる今回は、「入札」です。

行政からの仕事は入札で業者を決めることが多いですが、亀山は行政に関わらず、入札やコンペは基本的にすべてお断りします。

おもしろくないし、誰のためにもなってないと思うので。

ちょっと愚痴っぽくなっちゃいますが、新潟がもっと良くなるためのアイデアになればと思うので、最後までぜひお付き合いを。

「そもそもなぜ?」が口癖に

ブランディングプロデューサーとして仕事をしていると、「そもそもそれって〜」っていうのが口癖になってきた感があります。

そもそも思考とでもいいましょうか。

ブランディング、つまりファンをつくるには、ビジョンを語ることが必要だと考えていて、そのビジョンは会社や個人が存在する理由でもあります。

例えば、「新潟をもっと楽しく!」みたいなビジョンを掲げている会社があったとしたら、「うちの会社は新潟をもっと楽しくするために存在してます」っていうこと。

Narashika(亀山の屋号)は「新潟にグルーヴを」というビジョンであり、コンセプトを掲げています。

新潟で暮らしている人が、その人らしく輝いていけるようにサポートするために存在してると考えてます。

こんな風にビジョンを掲げることで、そこに共感してくれる人がファンになってくれる。

だから、ブランディングにはビジョンが必要だと考えています。

で、ビジョンを掲げるには、「そもそも御社が設立した理由は?」とか「この商品を開発した理由は?」とか「そもそもどんな未来を望んでいますか?」みたいな質問をしていきます。

だから、どうしても「そもそもなぜ?」が口癖になってしまうんです。

常識を疑うことからはじめてみる

「そもそもなぜ?」が口癖になっているということは、「なんでなんだろう」っていう思考が癖になっていること。

だから、日頃の仕事や暮らしの中でも、「そもそもこの会議は何のためにやってるの?」とか「そもそもこの作業って必要ある?」みたいなことが気になっちゃうんです。

個人的な性格としても、いろんなことに「なぜ?」と気になっちゃう人間で、ストレングスファインダーの結果として「最上志向」という特徴が出ていて、その説明には「あなたは『目的がなにか』を自問します」とありました。

そんな思考の癖を持っているので、常識を疑いたくなっちゃうんです。

「今までこれでやってきたから今回も・・・」とかが気になっちゃう。

で、最近ますます気になっているのが、行政が民間に仕事を依頼する際の入札システム。コンペです。

入札システムという常識

以前、行政が主催するイベントの企画運営の業者として、入札に参加したことがあります。

Narashikaとしてではなく、知り合いの方から手が足りないからと頼まれた形です。

で、その方に変わって入札にも参加したのですが、はじめて行政の入札に参加した亀山は驚きました。

提出した見積書の合計金額だけを見た役所の担当者が「今回は〇〇円で株式会社□□さんに決まりました」って言い放ったんです。

入札の部屋に入ってから結果が出るまでおよそ3分。たぶん。

結果としては買っちゃったんですが、亀山としては全然おもしろくありませんでした。

金額しか見ねーならロボットでいいし、業者だって誰でもいーやん。ってプンプンしたのを覚えています。

で、最近も入札だけど見積を出してもらえませんか?っていう依頼がありました。

基本的今は、入札やコンペみたいなものはすべてお断りしてるんです。

その理由は2つ。

一つは、金額だけで判断されたくないから。

より安い金額でやってくれる業者に頼みたいっていうスタンスがまずどうかなと。

もちろん、予算は決まっているけれど、その範囲内でより良い結果を出せるのであれば、安くやってくれる業者に頼む必要は無いはず。

二つ目は、ほとんどの場合で仕事を依頼している側の人に、業者を選ぶ判断基準が無いから。

つまり、イベント企画にしても、どういうイベントを企画してくれたら理想なのかっていうイメージを描けていないから、どの業者の提案が優れているのかが判断できない。

この判断基準が無いのは一般企業でもあるあるで、「とりあえずロゴデザイン案3つぐらいだしてよ」っていう人に限って、選べない。

これってつまりは、何が良くて、何が悪いのかの基準を持っていないということで、この状態のままでいくら提案をしても「なんか違うんだよねー」とか「なんとなくこれかなー」みたいになっちゃう。

だから、入札をする側が明確に「こういうことを実現したい」っていうビジョンがあって、「それを形にするならこんなのはいかがですか?」っていう提案が集まるべき。

だけど、ほとんどの入札ではそんなことはありません。

公平性を担保するっていう理由で、当たり前のように入札システムは続いていますが、個人的には意味が無いと思うので、参加しないし、変わったら良いなーって思ってます。

誰のための常識なのか

個人的に、入札に参加することには全く興味がわかないのですが、入札システムをもう少し違う観点から疑ってみようと思います。

要は、「誰のためのシステムなのか」。

行政からの仕事は税金が予算となっているわけなので、入札をして公平性を担保することで、市民が納得する。談合を防ぐみたいなことなんだと思います。

でも、亀山が経験したような金額だけを比べる入札において、果たしてそうでしょうか?

先述のイベントの仕事に関しては、毎年開催されているイベントで、毎回入札で業者を決めていました。

つまり、毎年最安値を提示した業者が仕事を受注していたわけです。

で、入札に参加している業者は、「去年〇〇円であの業者が勝ったから、今年はそれよりも下げよう」っていうことになります。

だから、毎年金額が下がり続けるんです。

これって、誰のためですかね?

イベントを開催するのは市民のためであり、市民の満足度が高まるのが理想のはず。

でも、使える予算は年々少なくなる。

業者は利益を考えるとクオリティを下げないと合わない、市民の満足度が下がる。

まじでやめても良いんじゃない?笑

だったら・・・

もし、入札をするのであれば、やり方を考えたほうが良いと思うんです。

例えば、どんな提案が良いのか、悪いのかの判断基準を明確にした上で、しっかりプレゼンを聞いて、金額以外も含めてトータル的に判断する。

そして、結果的に選んだ業者にした理由を発表する。

選ばれた業者のどういうところが優れていたのか。

判断基準があれば、発表できるし、それを聞けた業者は少しは納得できるし、次も頑張ろうってなれるんじゃないだろうか。

あとは、金額の比較は一切判定基準から抜いて、その中で何ができるかを決めたって良いと思うんです。

「予算は100万円です。その範囲でより優れた提案を選びます。金額が安いことは関係ありません。」みたいな。

きっと、行政的にはシステムを変えることは無理なんだろうけど、業者側の人間としてはそんな風に考えております。

これからも常識を疑いたくなったら、こんな風にシリーズでまとめていこうと思います。

愚痴っぽくなってしまうのが、ちょっとイヤですが、新潟が良くなるためのアイデアになればと思ってますので、懲りずに続けていきまーす。

今日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!



ブランディングプロデューサー
Narashika
亀山友貴



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