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人は当たり前のようにできていたことができなくなるとやりたくなる?法則

最初は面白い!で読み進めた子どもホスピスの軌跡という本。

実際に、子どもの死に関する物語はどれも強烈で自然と涙がこぼれてしまう。

そんな中、最も共感できた内容に
「難病の子どもたちは勉強が好きなんですよ。毎日、体調にも波があって、当たり前のように学校に行くこともできない。だから、勉強ができる、新しいことが学べるってことに意欲的なんですよね。健康な子どもたちにとってはかったるい勉強も難病の子どもたちにとってはちがうんです」
という内容。

私にも身に覚えがある。

当たり前のように文字が見えて、黒板が見えて、教科書が読めていたころ、それは当たり前であって当たり前のことではないということに気づきもせず、勉強は嫌なものでしかなかった。

徐々に視力が低下し、文字が見えづらい、黒板の文字が読めない、教科書の音読についていけない、焦燥感は募る一方だった。

視覚障害と診断されたときは絶望しかなかった。

再び、私に希望を与えてくれたのは拡大読書器だった。

これを使えば黒板が見えるようになった。それを教室におくことは、周囲の人に自分が障害者であることを知らしめることにつながり、いやでいやで仕方なかった。

同時に、これで黒板が見える、勉強ができるという喜びを感じた。

あれほど、勉強が嫌いで逃げていた私が、黒板が見える、勉強ができる、ただそれだけのことが嬉しくてたまらなかった。

これは「ないものねだり」ってやつなのかもしれない。

「できない」って思うと「やりたい」と強く願う。天邪鬼なだけかもしれない。

この本を通じて、ふと高校生の自分にワープしたのであった。


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