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奈良の鹿が神様になった理由 



奈良といえば鹿…ははずせないのですが、そもそもなぜ奈良の鹿がこれだけメジャーなのでしょうか。

それはやはり平城京の話が欠かせません。

奈良の都 平城京

かつて奈良は平城京という都がありました。

その人口は10万とも15万ともいわれ、当時世界の中心だった中国に倣った本格的な都市でした。 

この平城京の守り神として鎮座したのが春日大社です。 

春日大社には四柱の神がいらっしゃいますが、その中で第一殿におわす武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、茨城県の鹿島神宮から白い神の鹿に乗ってやってこられたということです。

その神の鹿の子孫たちが奈良の鹿たちで、神鹿と呼ばれ保護の対象になってきました。

都の鎮守 春日大社 その神様を乗せた鹿

鹿を傷つけることはもちろん、殺すのもご法度。

このことから奈良には「早起き伝説」なるものがあります。

ある朝戸を開けると、鹿が家の前で死んでいました。

このままでは自分のせいにされてしまいます。

そういう時どうするのか?

隣の家の人の前まで引っ張って行くのです!

そしてその家の人が起き出して来たら…自分ちの前で鹿が死んでいます!

これまた自分のせいにされてはかなわない…ということで、さらに隣の家の人の前まで鹿を持っていきます。

こうやって鹿は順送りにされ、最終的に一番朝寝坊だった人の家が、鹿の死罪?の責任を取らされるというのです^^;

ここから、奈良の人は朝早起きする…

というのです。

古代から 人ともにある鹿

私はちっとも早起きではありませんが、時々自宅にいても、鹿の鳴く声が聞こえたりします。

鹿がすぐそこにいることを実感します。

鹿は古代から人々ともにありました。

もちろん、神の鹿として崇められる前は、重要なタンパク源だったでしょう。

氷河期中はマンモスなんかをとっていたようですが、やがて地球が温暖化して、マンモスが姿を消すと、小さな矢じりに変わっていっているそうです。

鹿や猪、うさぎといった比較的小さな獲物を取る方向へ変わっていったようです。

その中で鹿は、唯一角を持つ動物です。

しかも、その角は秋には自然に落ちて、また春に伸びてきます。

このサイクルに人々は驚いたことでしょう。

安定して角が生え変わる奇跡に神を見たとしても不思議ではありません。

日本人が田植えをして、稲作を主とし始めた時、最も大切なことは季節のサイクルがきちんと巡ってくれること。

奈良の鹿が神様になっていったのは、そういう日本人の営みがあったからではないでしょうか。

イラストはおくちはるさんのものを拝借しました。ありがとうございました!

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