大病体験記 第3章「無より転じて」05
F市に戻る日曜の朝、少しだけ妻と話す時間を作った。
「保育園、辞めようと思う、、、」
保育園での勤務は刺激もやりがいもあり、人にも恵まれた素晴らしい日々だったのだが、次々と新園を開拓していく成長途上の法人の宿命として、数年後には遠い地に異動となる可能性が高かった。
今の彼には、隣県でなく遠い土地への転勤は、負担が大きすぎるように感じられた。
また、今後園長になり、事務手続きは無難にこなしたとしても、優秀な保育スタッフたちの精神的支柱としては、やはり保育の現場経験を積んだ人材の方がふさわしいと思った。
そして、何より、地元に帰りたかった。
日々の血圧に留意し、塩分を控える生活を送ったとしても、長年生活習慣の犠牲となってきた動脈の硬化が改善しない以上、脳血管疾患が再発するリスクは他の人よりも高い。
死に近づいたと感じた小脳血種除去手術の経験を経て、彼は、
「わがままが叶うなら、死の間際30分前後は、家族に囲まれていたい」
と願うようになった。
その時間、耐え難い恐怖に苛まれることはないだろうが、
「自分が最も大切に思っていた存在に看取られて生涯を終える」
というのが、一人で生まれ、一人で死んでいく人間にとっての稀有な贅沢であるように思われた。
そして、そのかけがえのない家族や、地元にいる友人との日々。
これまでもたくさんの日々を、一緒に笑い、泣き、喜び、悲しみながら過ごしてきた。
だが、死が近づいた今、「ただ日々を共に過ごす」という日常を、家族や友人と共有できる日常を、「もっと丁寧に、大事に扱うべきだ」と思った。
大病前と大病後。
彼の心に訪れた最大の変化は、「自己実現以外の、人生の使い方」に関する気づきだったのだろう。
「妻の、家族の、友人達の幸せに、自分はもっと丁寧に関わっていく事ができる。」
それを実行に移すためには、彼は、O市に戻らなければならなかった。
もちろん妻に全てを話すのは恥ずかしいので、保育園を辞めたいくだりのみ話す。
妻は、心底安堵したように、微笑んだ。
「実は、この間受けた乳がん検診で再検査になっちゃって、、、
もし入院になったら、W(娘)が一人になっちゃうと思ってたの、、、」
「え?」
「心配かけると思ったから、会った時に話そうと思って。
乳房に石灰化が見つかったみたい。
問題ないケースが多いらしいんだけど、乳がんの可能性も否定できないんだって。」
数週間前に受けた健康診断の結果を、妻は淡々と話した。
再検査は、4月に受けられるらしい。
「病気とかって、不思議と続くよね。」
妻はまた、微笑んだ。
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