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大病体験記 第2章「死という日常」01

 6月末、梅雨の晴れ間が広がった水曜日、彼は妻と車に乗り込み、F県に向かっていた。
 赴任先の保育園への挨拶と、園の紹介で借りたアパートへの引っ越しが目的だ。

 Kさんと飲んだ翌週、たまたま社会福祉法人の理事長と会える時間が取れたため、法人本部に赴いた。
 理事長から、法人の理念、次の10年に対応するための保育園の在り方、子育ての重要な時期に子どもに関わる責任などについて話を聞き、彼からは職務経歴、保育園副園長としてやってみたいこと、これまでのキャリアからの転身を是とした動機などについて話した。
 彼よりも少しばかり歳若な理事長は、非常に聡明で志の高い人物だった。Kさんをはじめとする優秀な年上部下たちを統率し、ここ10年余りで保育園事業を急拡大させたらしい。
 
 幸い理事長と彼は意気投合し、「いつから働ける?」という話になった。
「それはもう、早い方が。」
「7月からでも。」
と、とんとん拍子に話は進み、「家族の了解が取れたらF県で7月1日から勤務」と決まった。

 妻に話したのは、その後。
 妻と娘を外食に誘い、そこで切り出した。

「新しい仕事なんだけど、しばらく単身赴任、してもいい?」
「場所はF県のF市。昔通ってた大学の近く。」
妻は一瞬驚いたようだったが、すぐに平静を取り戻し、
「いいよ。もう決めてるんでしょ?」
と返してくれた。

 これから保育園でキャリアをリスタートすれば、隣県のF県のみならず、関西、中部、関東など、単身赴任が続くかもしれない。
 数年離れ離れになることもあり得る。
 そうした事態をうっすら思い描きながらも、妻は了解してくれた。

 その後、F県F市の赴任先園のT園長と赴任の手続、アパート決めなどについて急ピッチで話を進め、引っ越しの日を迎えたのだった。

 F市に着いてまず、保育園に挨拶に行く。
 初めて面会したT園長は彼より5歳ほど若く、気軽に話しかけられそうなスポーツマンタイプの好人物だった。
 保育士やスタッフはほとんどが女性で、興味深そうに新任副園長を観察していた。

 その後、単身アパートに移動して引っ越し作業。
 地元で準備、持参した生活雑貨類をセットし、現地調達を予定していたちゃぶ台やルームライト、布団類を買いに出て、午後には着日指定で買っていた冷蔵庫や洗濯機などの大物家電を受け入れ、バタバタと引っ越し準備は完了。

 予定より早く準備が整い、彼と妻は、娘の待つO市にトンボ返りした。
 往路、復路とも、車中では、他愛もない世間話と、娘の学校、習い事の話に終始した。

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