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収納ボックスのアイデンティティ

月曜日からちびちび進めていた模様替えがほぼ終わった。あとはとりあえず、新しいカーテンの到着を待つのみ。

模様替えの最中に新事実が発覚したのだが、なんと組み立て式の収納ボックスを表裏逆に組み立てたまま20年ほど使用していた。

道理で角につけた固定具はすぐはじけとぶし、内部がざらざらのくせに外側がつるつるなわけである。ロゴが内側についているのも謎だった。

その過ちに気づかせてくれたのは、ボックス底面に貼られたシール。いやあ20年も出し入れしてると擦り傷もいっぱい付きますよね、お疲れ様ですと思いながら底面を拭いていたら、ふと目に飛び込んできた。

「この面は内側です。」

こんなところにシールがあったのね、こんなに擦れちゃってご苦労様です。

「この面は内側です。」

おつか…内側!?!?!?!?!?お前内側だったのか!?!?!?

なんと彼(シール)は、健気にも約20年にわたり私は外側じゃない、内側だと叫び続けてきたのだ。どれだけカラーボックスに擦りつけられ、印刷が薄れようとも。彼の境遇を思うと涙が出る。彼が生まれてきた意味はただひとつ、組み立て主に正しく表裏を伝えることである。

印刷された当初は、どれだけ誇らしかっただろうか。彼は決して収納には寄与しない。しかし、1枚のプラスチックが正しく組み立てられ、収納ボックスとしてのスタート地点に立つためには間違いなく彼が必要なのだ。

それが、愚かな組み立て主に当たったばかりに、彼の生まれた意味は踏みにじられた。カラーボックスに押し付けられ、擦り切れながら彼は同期(同ロットで生産されたシール)に想いを馳せたのではないか。同期は今ごろどうしているだろうか。然るべき使命を全うし、今ごろは収納された洋服と触れ合っているだろうか。タオルかもしれない。いや、掃除用具か。

彼の抱いた劣等感は計り知れない。それでもずっと、諦めずに訴え続けた。2020年4月26日、その努力が実った瞬間であった。

定着しきった内側と外側のアイデンティティを覆すのは困難を極めた。解体するまでは良かったが、一度ついた折り目が強靭でなかなか裏返ってはくれない。活きのいい魚を抱えているような気分であった(抱えたことないけど)。

思った以上に苦戦した末に、何とか本来の姿に帰すことができた。内側つるつる、外側ざらざら。外側にロゴが見える。いや何とも、いかにも収納ボックスらしい姿になった。

しかし、長年培った内外のアイデンティティを壊されたことにはかなり同情する。今まで平和に収納物を守っていたはずが、突然カラーボックスとの摩擦を余儀なくされるのだ。発狂ものである。

私も最近人と関わる機会が減り、自分を見失う時があるので、収納ボックスほどでは無いがアイデンティティが曖昧になる辛さは少しわかる。

今までの自分と断絶された感じがするし、未来の自分とも地続きになっておらず予想がつかない。まあそれでも情報集めて、考えて進むのだけれど。

でもそんな中で、オンラインで話せる友人がいることがとてもありがたい。昔、教科書で「人間は、他者と関わることで形成されていく」という趣旨の文章を読んだ。BLEACHでも、海燕殿が「心はどこにあると思う?中じゃねえ、人と人との間にあるんだよ」と言っていた。今の状況を経験し、これらの言葉は真実だと思う。友人と話すと、ああ自分はこういう風に考えていたんだと改めて気づくこともある。

なので私には結構救いもある。でも収納ボックスはどうやってアイデンティティを再形成するの?やはり何らかの関わりが必要である。収納ボックスと対話を試みるほど追い詰められてはいない。大切に、たくさん使おうと思います。

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