復調と質問大会
喉の調子がおかしくなって本日で6日目。
かなり声は出るようになってきた。
ここ2年間は本格的な体調不良とはあまり縁がなかったから…今回は結構びっくりした。
なにせ喉が痛くて声が出ない…だけならよくあるパターンなんだけど、「なぜか声が出ないけど体は元気」という謎の症状だったから。
喉が痛いときでも声自体は出せていた。今までだったら。
けど今回は本当に出せなくなっちゃっていた。初めは喉も痛かったけど、其内痛くもなくて…うがいしたり鼻うがいしたり、のどスプレーしたり…。色々やってみたけど全然効果がなかった。それにこういうのをやった時って喉にしみたり、ジーンとくる感じがあるのが通常だけど今回は全然なかった。
季節的に乾燥で喉がすぐやられる時ではあるんだけど…今回のってとびきり変だった。
で、5日目の昨日の朝までは”ささやく”事でしか話せなかった。この間何日も野外のファシリテーションの仕事があったから結構たいへんだった。
やはり声が出せるかどうかって仕事に大きく影響する。”ささやき”だけでファシリテーションができるのか…とは考えなかったが、「この状態でできる最高のファシリテーションとはなにか?」「この状態をベースに今日一日をとても素敵な日にするにはどうすればいいか?」という問いを自分の中で持ちながら過ごす事はできた。
学校で勤めていた時もそうだけど、声がでない日というのはいいくらでもあった。ただ、通常いくらかでも子どもたちと心が通った状態で「今日は声が出ない」という日になる事ばかりだった。今は”はじめて会う”という条件が全然違う。だからその点はどう影響してくるだろうか…というのは懸念点ではあった。
…かに見えたんだけど案外どうにかなった。”はじめて会った”からという不安材料というか要素は特に何の影響もなかった。はじめに自分自身のチェックインといして今の状態を子どもたちに伝える事で解消した。
声が出てる場合のファシリテーションの結果(の予想)と今回声が出ない状態での結果(一日終わってみての実感)に、ほとんどズレはないだろうなって思う。だから何だかんだでいい感じにできたんだなって思う。
不思議な事に昨日、仕事先についた時にかろうじて声を出せるようになっていた。その状態からキープして今日がある。今日は仕事がなくて明日はまた野外のファシリテーションの日だ。
完全な声の復調は望めないかもしれないけど、少しでも出せる今はもう何の問題も感じない。おしむらくは明日は2時間程度で終わってしまうという事。
う〜んこれおもしろい。個人的に。入ってくる報酬自体は契約上、2時間だろうが6時間だろうが変わらない。つまり短ければ短いほど自分にとっては得と考えられる。自分のよく出てくる思考としては「ラッキー」って思いそうな気がするのに…「これはちょっとつまらんな〜」って素直に思っている自分がいるのだ。ファシリテーションをしている時間って結構楽しい。メンバーにもよるし、置かれている状況にもよるし、色々な条件次第で変わるものではあるけど…楽しい時間を過ごしたいって思いが、効率よくお金を稼ぐみたいな思考を上回っているんだなあって思った。
「自分はお金を効率よく稼ぐ事を重視しているのだろうか?楽しい時間が(結果的に)お金に変わる事を重視しているのだろうか?」
きっとこういう問いが生まれたんだろうなって思った。
「問い≒質問」という事で思い出した。
声が出ないこの間にいくつかの実験をしていたんだけど、その中の1つに「自分への質問大会」があった。
これはただただ自分自身に向けての質問をブレーンストーミングするだけ…という遊びだ。やってみようと思いついたからやってみただけなのだが。そうするとその中にも「〜という金額の報酬があったら占いの仕事引受ける?」とか「〜時間〜いくらのファシリテーションの案件があったら引き受けてみる?」とか「1年間、週一日〜時間のファシリテーションの契約だったらいくらで引き受ける?」みたいな質問もそこそこあった。
こういう”If〜”の質問を自分にしてみるのって結構おもしろい。”If〜”の話って架空ではあるけども自分自身の一歩先の思いや願いを拾ってこれるんだって感じた。目の前にある事を処理したり、クリアしたり味わったりしながら生きるのは重要なんだけど「あ、こんなん自分欲しがっているんや」とか「あ、こういう感じに対してはYesなんや自分」みたい何に気づくきっかけになる。これは大きい。
自分から変化を生み出していくにはそのきっかけとなる方向性を掴む必要がある。それもできたら自分自身の中心となる道に可能な限り近い所を走っていきたい。そう考えると、こういう質問を自分に投げかけてみる事や”If~”で考えてみる事って単なる妄想や単なる遊びの範囲を超えて自分にとって計り知れない影響を与える事になるんだろうなって思った。
ちなみに質問に関しては「言い方」を意識してみるのってすごく大事。
質問という形をとった自分への非難や批判になってしまう事って、多分きっと(下手したら絶対)多くなりがち。
例えば
「自分ってどうしてこううまくやる事できひんのやろ?」
とか
「何でうじうじしちゃうばっかりで行動を起こせないんだろう?」
みたいな感じ。
今回の質問大会はとにかく質問を投げかけるだけで一切答えは出さない。いっぱい出すだけ出した後眠るだけなのだ。
とはいえ、さっきみたいな非難な批判をする質問ばかりだと楽しくなるどころかしんどく苦しくなっちゃうかもしれない。わざわざ自分をかっさばくようなモノかもしれないし。
いったんこういう形で質問が出てきた時は、それを書いた上で横にちょっと書き換えておいてみた。
「自分ってどうしてこううまくやる事できひんのやろ?」
⇒「うまくやる事ができないのは自分に何が起きているからなのだろう?」
「何でうじうじしちゃうばっかりで行動を起こせないんだろう?」
⇒「行動を起こすために自分ができる事ってあるだろうか?」「行動が起こせない本当の理由って何だろう?」
みたいな感じで”何かを拾い上げる質問”に変換して書いている。ちょっと自分自身をテレビの向こうからみるみたいな感じで書くといいかも。
だからいったん非難批判するような質問が出てきたとしてもそれはそれで
書いておくといい。この言い換えもある意味練習になるなって感じた。今日はもう寝ようと思うからしないけど、質問大会はしばらく続けてみようと思っている。昨日も書いている途中でわ〜〜〜〜ってすごく言いたかった事とかモヤモヤしていたものに気づけたから…(質問大会そのものとは関係ないんだけど笑)
思いのままに書いているから、何の事をどう表現しているのか伝わらないかもしれないけど…それでも生の言葉として臨場感を持ってかけたな〜って思う気づき。よかったら次のツイートも読んでいってね!
くっそ長い訳のわからない気持ち読んでくれてありがとう!!!!
ではではまたお会いしましょう〜♪
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