パーパス経営?

パーパス経営なる言葉を耳にした。ググって記事をよんでみたのだが、読んでいくとオエッとなる気持ち悪さ。

例えば「禍福はあざなえる縄のごとし」とか、「人生は死ぬまでの暇つぶし」みたいな、経験に照らして深く頷きたくなる手応えや、自然に響いて共感できる単語が全く無い。

机上の空論が混じっているのではなく、机上の空論以外を丁寧に取り除いたような空虚感を感じる。何だろうこの嫌悪感を伴う違和感の感じ。あ、アレと似ている。

私はたぶん3人目だと思うから……

培養槽の中で次々と作られる第2、第3のESG。

正確に引用しようと思って「綾波レイ+セリフ」でググったら、この記事に感じるアレな違和感に高いシンクロ率を示すセリフが他にも出て来て、むしろちょっと笑ってしまった。

ここは、LCLの海。生命の源の海の中。ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。どこまでが自分で、どこからが他人なのか分からない曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分がいなくなっている静寂な世界。いいえ、全てがひとつになっているだけ。これがあなたの望んだ世界。そのものよ。

都合のいい作り事で、現実の復讐をしていたのね。虚構に逃げて真実をごまかしていたのね。それは夢じゃない。現実の埋め合わせよ。

今更解説する必要もないだろうが、ここで言うATフィールドとは他者と自己の境界線を防衛する自我(エゴ)の暗喩である。

あまりに中二病的で、文字にして説明するのがこっぱずかしいが、本能的欲求であるイドと、社会的規範として内在する「イドを抑制するスーパーエゴ」は対立しており、そのバランスを取るためにストレスを受け続けるエゴがある。変則的な三すくみの関係にあって、どれが欠けてもバランスしない。

にも関わらずこの文章のモチーフとなっているのは、イドの無い世界。つまりは全てがスーパーエゴだけで出来ている世界。「イドが無ければ苦しまない」みたいなお花畑解釈を蕩々と述べるヤバい感じの深刻な中二病をそこに感じてまず気持ち悪いのだ。

「イドをスーパーエゴが抑制して社会規範に沿う」ことと、「最初からイドが無く、結果的にスーパーエゴも要らず、当然エゴも出番がない」ということは全然別のこと。

気持ち悪さを更に加速させるのは、同じ文章の中に「エシカル消費」「ミレニアル世代」「メガトレンド」みたいなマーケティング用語が無自覚に散りばめてあることで、それは金銭欲というイドが剥き出しになった言葉にしか聞こえない。真っ黒な手癖で、真っ白なことを平然と書いているから異様に気持ち悪い。

それはもしかして「purpose」じゃなくて「on purpose」じゃないのか。批判の結論をウィットみたいなもので誤魔化すのは信条としてはあまりよろしくないのだが、真面目と不真面目のギリギリの境界線に収まっている気がする。

落とすつもりで書き進めていなかったんだが、オチを思いついてしまったので、これで締めよう。

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