日本はEVなんてダメだと思っているのか?

とても面白い発言例を見つけたので、ちょっと紹介したい。

ことの発端はレスポンスの記事『EV完全普及、現状のままではCO2排出量変わらず 京都大学研究発表』<https://response.jp/article/2020/03/10/332471.html?utm_source=twitter&utm_medium=social>

記事内容が何を言っているかと言うと、「色々とシミュレーションしてみたけれど、EV化だけではCO2排出量はほとんど変わらず、自動車関連だけでなく、家庭・産業・交通とともに、発電を含む脱化石燃料化が必要だよ」と京都大学などの研究者が発表したという話。

で、これを受けてとあるtweetで見かけた発言が、「こう言う記事を見た時日本と世界は考え方が違う」。

EVなんて意味がない⇨ 日本
再生可能エネルギーをもっと増やさねば⇨ 世界

多分これEV大好き派の人の意見だと思う。この発言をした人を知っているわけではないけれど、「EVだけが環境技術である」とするEV派の人たちの典型的な論理展開と感じられる。

まず「EVなんて意味がない」が日本の総論だと言う言い分がどこから出てきたの? という話。そりゃSNSで暴論を吐くヤツはいっぱいいるけれど、それが日本の意見の代表だと思うなら、認知の歪みだと思う。

筆者もだが、日本の自動車メーカーはEVが無駄だとか、EVの時代が来ないなんて一社足りとも一度も言っていない。内燃機関じゃなきゃ嫌だとも一言も言っていない。2020年現在としては、価格と性能、利便性のバランス上、EVは普及用商品として売れないと言っているだけである。

こういうと「テスラが売れている」という話になるのだけれど、あれはプレミアムEVで、特殊な商品に過ぎない。500万円からエントリーなんて、価格だけみたらベンツよりプレミアムな設定だ。そんな価格では普及できない。

フェラーリやポルシェが売れるのは、そこらのクルマと違うレベルの性能を持っているからで、それができるのは応分のコストを負担してくれる顧客を持っているからだ。だからトヨタはフェラーリ対抗のモデルもポルシェ対抗のモデルも事業の主力としては作らない。そんなプレミアムな顧客は大した人数いないから。テスラ対抗を作らないのも全く同じ文脈だ。要するにプレミアムクラスとレギュラークラスは同じクルマに見えて違う商品なのだ。価格クラスが徹底的に違うし、目標販売台数も全く違うのだ。

異論があるならテスラはレギュラークラスの商品としてリーフと同価格のEVを売り出すべきだと思う。日産にはできているのだから言い訳の余地はないと思う。それを出せない理由は何なのか? それは常識的に考えて、商品として売れないからだ。それは日本のメーカーの判断とどこが違うのだろう?

リーフと同じ330万円で出して、それで初めて最低限の量産価格だ。これがあと80万下がらないから日産は苦労している。レギュラークラスでベストセラーになるには本当は250万円くらいにしたい。しかし今のバッテリー原価では250万円での商品化は難しい。だから各社価格低減の研究に勤しんでいるわけで、ヒットの要件を満たさないまま博打に打って出るような愚を犯さないだけのこと。テスラもレギュラークラスに打って出ていないのだから、全く同様ではないか?

リーフ級のEVを各社が出してこないことをして、石油・自動車産業の陰謀だと言うならば、テスラもまたその一派ということになるのだが、きっとそれはEV派の人にとって都合が悪いのではないか? それをどう説明するつもりなのだろう。

しかも「ハイブリッド不要論」を唱えるならば、フィットやアクアとガチで戦えるアンダー200万円のクルマ、つまりハイブリッドが無くなった後を引き受けるクルマを普及させる義務があるのではないか?

つまり、EVを国内で月販2万台くらいは普通に売って見せてから言うべきだと思う。日本の自動車メーカーはそういう需要に応える商品を出しているし、その環境技術で実際に数値的に地球環境に貢献している。

EVはとても重要だし、どこかの時点多数派になる技術だ。だから日本の自動車メーカーも一生懸命研究しているし、それがちゃんと普及できるラインに到達したらどんどん出してくるだろう。しかしそれは今じゃない。時期尚早である。本当にそれだけの話なのだ。

さて話は始めに戻る。EVだけではパリ協定の目標に達しないという話は、記事の通り発電も含めて総力を結集しなければならないねという話で、それ以上になぜ日本はダメ論にしないとならないかが全くわからない。

日本が再生可能エネルギーを何もやっていないかのような言い分には全然論拠がない。ちょっと地方に行けばどこだって太陽光パネルだらけだし、風力のプロペラだってもはや珍しくもなんともない。口だけ評論で「まだ足りない」というのは簡単だが、簡単に否定できるほど無策には到底思えないのだ。化石賞みたいに言われているのは原発が止まった分、化石燃料での発電が増えているからで、発電量が安定しない再生可能エネルギーを比率として増やしていくには、インフラ電力網に蓄電能力を織り込む手立てが必要だ。

かつてはEVのバッテリーをそれに役立てようという話があったが、充放電で劣化を避けられないバッテリーをインフラのために捧げ、劣化は個人の財布で受け止めるというボランティア精神が全EVユーザーにあるとも思えないので、車載用として使えなくなったバッテリーの再利用が普及するのを待つしかない。それにはEVが普及しなければならず、そのためには価格が(以下略)

にも関わらず、地球環境問題が待ったなしだからこそ、EVがカバーできない300万円以下のクルマの環境対策も絶対必要だ。そこをカバーしているのが現状ハイブリッドである。EVが170万円の普及価格で売れるならハイブリッド不要論で良い。筆者もそれなら大賛成だ。しかし、利益を削りに削って330万円が限界ではまだ、その下の価格帯の環境技術が必要だ。

それとも環境を良くすることよりも、EVが普及することの方が優先順位が上なのだろうか?

世の中でEV派とアンチEV派という対立構造に見えているのは、本当は違う。EV派は「今すぐEVだけにしろ派」であり、「EVが現状世界シェアの1.6%に過ぎないのは、石油・自動車産業による陰謀であって、EV以外のクルマを買う人は大損をしている」と主張している。

アンチEV派は「ちゃんと売れるようになってからEVを増やせば良い派」であり、主張しているのは「今の技術で可能な限り環境を良くするにはどうすべきか、段階的にエネルギーミックスの中で考えるべき」ということ。

違うのは現実への認識だと思う。

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