才能が花開く時

私は母親から今まで
『あなたはいい子ね』と言われ生きていた。
それを疑いもしなかったし、
私はそういう人間だと思ってた。

真面目に勉強もスポーツもコツコツ頑張る
まさに親にとって絵にかいたような
『いい子』
学校の規則はきちんと守り、
制服のスカートはもちろん膝より下(笑)

でもどこかで思っていた。
自由に表現して、遊んで、恋だってしたい。
スカートだって短くしたい!
楽しみたい!

それを許さなかったのは
私の中で、勝手に作ってしまった親からの枠
『親を悲しませてはいけない』
『いい子でいなきゃいけない』
『ここからはみ出てはいけない』
そんなルールを
いつのまにか沢山作っていたのだ。

そんな私は自分を表現する事はどこかダメな事で、許されない事だと思っていた。

どこか生きづらく、
私は自分を探していたのだと思う。

色んな習い事をし、色んな人と会い、色んなチャレンジした。
でも、そこに私は無かった。
刺激を入れ続け、いつのまにか自分を益々感じないようにしていたのだ。

終わる事はない。ずっと空回り。

しかしある事件で、
私は母と口論になり母に初めて言った
『私はお母さんの都合のいい子じゃない!』

そして、やっと、やっと、
母からの枠から少し出れた気がした。
ずっと、ずっと、出たかったのだと思う。

やっと自分という芽が、
土から顔を出し、
やっとその芽が伸びようとしている。

こんな私は、今まで親からのレールにのっていて、自分自身に才能というものもあるとは思いなかった。

でも、どこかで思っていた。

『私にも才能があるんじゃないかな?』

でも何かは分からない。
『あんなに動き回って何か自分で探そうとしてた時見つからなかったじゃない。』
と、どこかでそんな声がしていた。
その気持ちにフタをし
考えないようにしていた。

そのまま生きていくので、
なんの支障もない。
大丈夫、このままで。


とある日ある人に文書を依頼された。

そういえば、、
私は文書を書くの楽しかった。
母に気持ちを言おうと
心を込めて手紙を書いた時。
小学校の時優秀な作文だと取り上げられた時。

やってみようかな。

やっていると時間が経つのを忘れて、没頭して、ワクワクしながら内容を考え構成を練っている自分に気づいた。

『あー これが私の才能なのかも。』

人の意見が自分の意見じゃない。
人が言うからそれがいいとは限らない。
自分は自分にしかわからない。
やっと本来の自分になれて
自分自身から出てきた、やりたいと思う事。

才能の定義も人それぞれだと思う。

でも、時間を忘れて没頭できて、それを生かしながら人の心に火をつける事ができればなんて素敵な事なんだろう。

それが、私にとっての才能の定義。

それぞれの分野で才能があり活躍している人は沢山いる。けど、他の人と比べるのではなく、私にしかできないやり方はあると思う。
唯一無二の私自身の方法で、才能で生かし1人でも多く心に火をつけれたら嬉しいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?