#5 ニュージーランド蹴破り日記その1-4
翌日、二回目の試乗をした。
今回の車は良かった。前進も後退もスムーズだし、細かい傷は多いが大きな損傷は見当たらない。馬術部カーならエース筆頭である。使役の度に駆り出されるに違いない。しいて言えば、少し大きい。できればコンパクトなやつがいい。
ただ、トレードミーで四千ドルの値がついているこの車は、明日オークション期間が終了する。買いたければ明日までに、それを超す価格で落札しなければならない。個人間の交渉で決まるフェイスブックのほうが融通は利きそうだ。
また、今回私はラウンドデビューを果たした。三回の右折がすべてラウンドだった。一回目はだいぶ詰まっていた。スピードを落としすぎてクラクションを鳴らされた。二回目、三回目は空いていた。一回目より高い速度を保ち、スムーズに通過することができた。
フェイスブックでは希望条件に近い車がたくさん見つかった。一気に五台くらいの試乗の約束を取り付けた。個人間売買は展開が早い。大体「今日か明日」でことが進む。向こう三日間は試乗の予定がびっしりである。もうこれくらいで決めてしまいたい。
三台目の持ち主は、ワーホリを終えるマレーシア人の女の子二人組だった。試乗は散々だった。幸いにして無事故であった。車は悪くないが、ちょっと変な匂いがした。
四台目の持ち主は、ひげを蓄えた早口のおじさんだった。個人で車の売買をよくしているようだった。
車はまず、内装が汚い。泥汚れがひどい。後退時、かすかに悲鳴をあげる。発進もスムーズでない。踏み込む途中で突然がくっと加速する。
よく見るとハンドルもツルツルじゃないか。この車は本当に十六万キロしか走っていないのか? どんな過酷な十六万キロを走ってきたのだ?
道が混んでいてやや難しかったが、無事終了した。
三台目と四台目の試乗の間に、チュランガで一息入れることにした。チュランガには本当にお世話になっている。たぶん毎日行っている。
チュランガは、市の中心部にある大きな図書館だ。自然光がたっぷり入るきれいな建物で、中央の大階段に、マオリの彫刻を模したオブジェがでんと構えている。静かではないが落ち着く。「憩いの場」と言うにぴったりの、素敵な公共施設だと思う。
チュランガには子供用の遊具もあるし、展示スペースもチェスもあるし、ソファもたくさんある。カフェもあるし、Wi-Fiもあるし、トイレもあるし給水所もある。本当にお世話になっている。
チュランガのカフェは素敵だ。カウンターで注文して席に着くと、店員さんが淹れたてのコーヒーや温めたパン、ケーキを運んできてくれる。店員さんはにこやかで優しい。短い会話や笑顔に癒される。コーヒーはいつも「フラットホワイト」を頼む。ふわふわのミルクとエスプレッソが、冷えた身体に染み渡る。表面のかわいい絵柄も楽しみにしている。
今日は、銀色のショートヘアーと黄色いニット帽がよく似合う、五十代くらいの細身の女性がレジを打ってくれた。あの方はいつも居ただろうか。開設手続きが完了したばかりの銀行口座から支払ってみた。
「アップルペイで支払えますか?」
「ええ、もちろん!」
私は「デーツとオレンジのスコーン」だけを注文して席についた。
同じ女性が、料理を持ってやってきた。右手に皿を、左手に紙袋を持っている。
「作りすぎちゃったの! 同じものよ! 持って帰って!」
いいのですか!
「ありがとう!」
六ドルのスコーンを、一つ分の代金で三つもらってしまった。本当にありがたい。どうしてそんなサービスをしてくれたのだろう。
温めて皿に盛られたスコーンは、甘いデーツがたくさん入っていて、バターが何切れも添えてあった。ふわふわの食感に、クロテッドクリームでなくバターが合った。
大きな声で、楽しそうに仕事をしている彼女は、「はつらつとした」という言葉がよく似合う。
「オセアニアの女性という感じがする」
と、初めて思った。
夕方に部屋へ帰ると、コロンビアから来たナタリアと、フランスから来た男性二人がそろっていた。私はいまだにこの二人の名前が分からない。心の中で「スープの人」と「ティムタムの人」と呼んでいる。スープの人は、以前スープを振舞ってくれたほうだ。もう一人が「ティムタムの人」だ。彼は毎晩「一番おいしい味のティムタム」をくれる。確かにこのティムタムはおいしいと思う。キャラメルなんとか味らしい。
スープの人は明日がチェックアウトのようだ。四人で並んで写真を撮った。私はなんだか思い切り笑っていた。
いつの間にか、テニスボールくらいの大きさの黄緑色のボールでキャッチボールが始まった。とても柔らかくて、弾力が全くない。床に打ち付けても跳ねない。
私はカバンの中から、課長の辻さんにもらった「オレンジもどきボール」を取り出した。ナタリアのほうへ投げると、みんな驚いた。
「どうしてボールを持っているの?」
「このボール、いいんだよ!」
球が二つになったボール遊びは白熱した。投げたり打ったりした。ボールの黄緑色とオレンジ色が鮮やかで、エネルギーに満ちているようだ。
気が付くと、大音量で音楽を流しながら踊っていた。踊る間、ずっと笑っていた。熱くなってパーカーを脱いだ。Tシャツかタンクトップ姿で、みんな笑いながら踊っていた。
彼らとは、二日後の夜にまた食事をした。その時ようやく、二人の名前が「ルーカス」と「トム」であることを知った。
これまで行ったどの国がよかったかとか、パリオリンピックで何を観たいかとか、フランス人の英語のイントネーションについてとか、結婚をしたいかどうかとかいう話をした。
二軒目に行った居酒屋風日本料理店で、私は「たこわさ」を頼んだ。フランス出身の二人にははまらなかった。ナタリアは気に入ったようだ。たこわさと枝豆と味噌汁は美味しかったが、白米はすごく美味しくなかった。
十一時過ぎまで遊んだあと、別れの挨拶は、
「良い旅を!」
だった。
私たちはみんな一人で旅に出て、クライストチャーチに来て、これからも一人で、行きたいところへ行くのだと思った。
またその夜最も衝撃的だったのは、ナタリアが三十一歳であることだ。どう見ても二十歳過ぎだと思っていた。
「欧米人は大人びて見える」
という先入観からそう思ったのかもしれなかった。