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#49 ニュージーランド蹴破り日記その4-2

 今日の目的地は「セフトン・ビヴァーク」だ。マウント・セフトンの頂上を仰ぐ、山の中腹の山小屋だ。
 ボール・ハットへ行く道に迷って帰ってきたとき、
「それじゃセフトン・ビヴァークには行けないぞ」
 とブレットから言われた。コウダイですら、初回は一時、道を外れたそうだ。前にビジターセンターで、
「セフトン・ビヴァークへのルートについて教えてください」 
 と頼んだら、丁寧に対応してくれた女性は、
「あなたが行くの!? 大丈夫なの!?」
 という心の声を隠せていなかった。
 つまりは、そういう場所なのだ。
 とはいえ手がかりはある。とにかく「川の左」を歩けばいいらしいのだ。
 もちろん、素直に左を歩けない場所もある。そういうところは、さらに左へ入ったり、川を渡って右を歩いたりしてやり過ごすのだ。そして後半から川を離れて、岩場を上り進めるのだ。
 予習は済んだ。さあ行くぞ。スタート地点の、慣れた場所から歩き出した。
 ルートの序盤は、フッカー・バレー・トラックと同じだ。人の間を縫いながら、平坦な道をサクサク進んだ。徐々に切れてきた雲の間から、マウント・セフトンの大きな氷河や、マウント・クックの頂点が見えた。
 二番目の吊り橋を少し過ぎたところで、足元に、左を指すオレンジ色の矢印が現れた。ビジターセンターで見た写真、そのままだ。フッカー・バレーに別れを告げ、人一人いない草地の中へ踏み出した。
 ここから少しの間は、「フッカー・ハット」へ行く道と同じだ。川に沿って、ところどころにオレンジ色のポールが立っている。しばらくはただポールを追えば良い。しかし追い続けたらフッカー・ハットに着いてしまう。どこかで決別せねばならない。その時を逃さないよう、警戒しながら歩き進めた。
 その時はすぐに来た。ポールの立つ細い道が、川とは垂直の方向へ折れ曲がっている。そして「川の左」には、人が歩いていそうな、別の道がある。思ったよりも分かりやすい。川を時折渡りながら、「川の左」を歩き進めた。川の向こうには、雲からほとんど姿を現したマウント・クックがあった。
 川に従ってカーブを行くと、それまでの平坦な道から一転、大きな坂が現れた。川は大小の石の間を縫って、駆け下るように流れている。しかしこの景色、見たことがある。そうだ、ビジターセンターで見た写真と同じだ。写真と照合し、
「あの高いところにある岩の奥を左!」
 と狙いを定めた。
「こっちか、いやこっちじゃない。ああ、こっちか」
 というのを何度かしながら、目指した岩へたどり着き、川と別れて左へ進んだ。
 そこから先は、急な傾斜が長く続いた。行く方向はおおよそ分かっていた。足元の道は、想像よりもはっきりしていた。息を切らして上っていくと、写真で見たことのある、唯一のポールが現れた。そして、オレンジ色の矢印が付いた、大きな岩場が現れた。
 振り返ると、フッカー湖から出た川がミューラー湖に合流し、さらにプカキ湖の方へ流れていくのが、いつも見るのとは別の角度から見渡せる。川の向こうの山々も、いつも見るのとは別の角度から、その岩肌の細かい溝まで、よく見える。
 だいぶ高いところまで来ると、左手に、よく見る岩山の、いつも見えない部分が見えた。滑らかな、灰色の岩の坂を、氷河から出た水が細長く伸びて、下っている。巨大な一つの岩がなす壮大な景色を前に、
「うわー! 岩!」
 と、五回くらい叫んだ。
 さらに少し登ると、岩場の先に、濃いオレンジ色の、小さな三角屋根が見えた。
 その山小屋は、岩の間に埋もれるように、しかし堂々と谷を見下ろすように、突き出す岩場に構えていた。その背後には、今にもむくりと動きそうな、巨大なおばけのような氷河があった。
 セフトン・ビヴァークの横で山を見上げると、氷の上を降りてくる風がとてもひんやりしていた。こんなに日差しが強いのに、涼しいと感じるのは初めてだ。
 その少し先へなお登ると、厚さ数十メートルあろうかという巨大な氷河を、数十メートルの距離から眺めることができた。氷河には、無数の隙間のようなものがある。その隙間に光が差すとき、冷たい青に見えるのだ。
 本当に、大胆な「岩」と「氷」の景色だった。音を立てて崩れる氷の固まりは、その巨大な氷河からすれば、雨粒のように小さく見えた。

 岩と氷河を眺めていた時、後ろからやってくる一人の青年があった。その日、フッカー・バレーに別れを告げて以来、初めて出会う人だった。話しかけられて応えていたら、彼が、村の大きなホテルで働いている、日本人の大学生であることが分かった。休学してワーキングホリデーに来ているらしかった。
 日本人であることが分かった頃には、彼が少し独特な雰囲気や語り口を持つことも分かっていた。例えば「出身はどこか」と尋ねたとき、彼の第一声は、
「複雑でして、」
 だった。しかしその前置きが必要なほどには複雑でなかった。
 村から少し離れた私たちの職場や家を見てみたいというので、一緒に下山し、案内することになった。私はしばしば彼を「若い」と思った。たとえば彼はこう言った。
「単純作業をくり返す仕事をして、夜は日本人とばかり集っている人たちのことを、以前は『一体何をするためにワーキングホリデーに来たのだろう』と思っていた。しかし今は、人それぞれで、別にいいのだと思う。」
 この時、その日一番、若さを感じた。前提も若いし、至った結論も若い。
 彼はきっと、力を注ぐものは常に自分で選んできただろう。「もう何もしたくない」などと思ったこともないだろう。彼より年を重ねた私は、少しでも確実に、彼が知らないことを知っているのだ。
 面白おかしい、血気盛んな青年は、仲間の青年を一人連れて、我々の家へやってきた。しかし同時に、車が何者かに当て逃げされたことが発覚し、慌てふためき帰っていった。二人並んでしゃがみ込み、車のへこみを見つめている青年たちの後ろ姿が、おかしくて仕方なかった。

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