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大学院、修了しました

2月に、2021年秋から在籍したブリュッセル自由大学(VUB)コミュニケーション学修士課程(Digital Media in Europeというプログラム)を修了しました。1年間のコースでしたが修士論文が締め切りに間に合わず、半年留年しての early graduation となりました。

前期の終わりに振り返りを書いて以降、余裕ゼロでここまで来てしまった…ので、修士論文のことを中心に大学院のふりかえりを記しておきたいなと思います。(長いです…)

最後に待っていた修士論文

記者の仕事を休職して、配偶者の赴任帯同でベルギーに来たのが2020年春。どう過ごすか何も決めずにやってきて、あれこれ考え調べて行きついたのが、大学院で学ぶことでした。休職前にしていた仕事や、ブリュッセルという土地柄、子供の年齢、夫の応援など、さまざまな条件が重なって実現できた選択だったと今思います。

大学院の講義では、EUのメディア政策、メディアビジネス、プライバシー、ユーザーイノベーションなど、メディア・コミュニケーション学の観点からメディアのデジタル化とそれが社会や人に与える影響を幅広く学びました。補講として学部生に混じって受けたコミュニケーション学導入の講義で、数々のメディア理論を習ったことも学びが多かったです。

そして最後に待っていたのが、修士論文。大学の卒論を書いてから10年以上が経っているうえ、社会科学のリサーチは未経験だったため、リサーチをして論文にまとめる過程は暗中模索の連続でした。講義で学んだリサーチ手法を何度も振り返り、指導教授に泣きついてヒントをもらい、文献を探して読んでを繰り返すなかで、本当に少しずつ、散らばった点がつながっていった感覚でした。修論の全体像がぼんやりと描けてきたタイミングで、小熊英二さんの新書「基礎からわかる 論文の書き方」を読み、それまでのプロセスの点検ができたと同時に、論文を書くことの本質を理解するのに非常に助けられました。

修論のテーマ

肝心の中身ですが、テーマにしたのは、「ヨーロッパを拠点とするDigital Rights NGOが、EUのデジタルサービス法(DSA)の制定過程におけるアドボカシーで、ターゲティング広告規制の必要性をどのように訴えたか」です。

出発点には、デジタルプラットフォームとユーザーの間の力の不均衡に対する問題意識がありました。プラットフォームがユーザーに関する膨大な情報を持っている一方で、ユーザーはプラットフォームが自分について何をどこまで知っているのかも、自分に届く情報をどう選んでいるのかもわからない。この情報の非対称性がもたらす力の不均衡は、ユーザーが便利なサービスを無料で使えることの代償としては大きすぎるのではないかと感じていました。

ヨーロッパにはオーストリアの noyb など、積極的に活動していて影響力もあるDigital Rights NGOが各国にあり、彼らの多くは、まさにこの力の不均衡の改善をめざしてキャンペーンや公共訴訟、アドボカシーといった活動を展開しています。そこで、こうしたNGOをリサーチ対象にしようとまず考えました。ちなみに Digital Rights は明確な定義はありませんが、一般に「インターネット上の基本的人権 (Fundamental rights online) 」を意味する言葉と理解されています。

「力の不均衡」ではあまりに抽象的なため、具体的なテーマが必要でした。そこでターゲティング広告をテーマに選び、さらにリサーチ対象を絞り込む狙いからDSAの制定過程という時間的な枠をはめました。ターゲティング広告をテーマにしたのは、広告収入による経済的利益というプラットフォームの目的と、プライバシーなどの公共利益が衝突する象徴的なトピックだと考えたからです。

リサーチ対象の Digital Rights NGO

リサーチは、4つのNGO(市民団体)を対象とし、彼らがリリースしたドキュメントと私が行ったインタビューをもとに、コンテンツ分析とフレーム分析を行いました。

リサーチ対象の4団体:
European Digital Rights (EDRi, ベルギー)
The European Consumer Organisation (BEUC, ベルギー)
Panoptykon Foundation (ポーランド)
Norwegian Consumer Council (Forbrukarrådet, ノルウェー)

デジタルサービス法(DSA)におけるオンライン広告の扱いは、欧州委員会が発表した当初案では透明性の確保などを求めるにとどまっており、規制は含まれていませんでした。その後の議会と理事会、委員会によるトリローグの過程で、ターゲティング広告の規制を求めるNGOのアドボカシー活動が盛り上がり、一部の欧州議会議員がそれに呼応するなどして議論の流れが規制を盛り込む方向へ向かいました。2022年4月に合意した最終案では、①広告表示のためのプロファイリングへのセンシティブデータの利用禁止、②広告のための未成年のプロファイリング禁止という二つの規制が盛り込まれました。(ちなみにダークパターンの禁止も入りました)

Article 26 (Advertising on online platforms)
3. Providers of online platforms shall not present advertisements to recipients of the service based on profiling as defined in Article 4, point (4), of Regulation (EU) 2016/679 using special categories of personal data referred to in Article 9(1) of Regulation (EU) 2016/679

Article 28 (Online protection of minors)
2. Providers of online platform shall not present advertisements on their interface based on profiling as defined in Article 4, point (4), of Regulation (EU) 2016/679 using personal data of the recipient of the service when they are aware with reasonable certainty that the recipient of the service is a minor.
Digital Services Act

「監視広告」という言葉に込めた狙い

リサーチでは、①NGOの主張内容の変遷、②彼らがターゲティング広告規制の必要性をどうフレーミングしたか、③DSAに対する評価、の三つに焦点を当てました。得られた結果をすべて紹介すると長くなりすぎるので書きませんが、指導教官から "innovative results" と評価された二点だけここで紹介させてください。

一つ目は、②のフレーミングの一つで、"surveillance advertising" という言葉の使用と、その背景にある狙いです。直訳すると「監視広告」にあたるこの言葉を、規制が必要なターゲティング広告を指すものとしてNGOは意図して多用していました。surveillanceという言葉はデジタルプラットフォームの問題点を指摘する際によく使われており、ショシャナ・ズボフの著書「監視資本主義」(原題は The Age of  Surveillance Capitalism) で目にしたことがある方も多いと思います。ユーザーのオンライン行動をどこまでも追跡し、得たデータをもとにプロファイリングして個人の内面深くまで分析し、欲求や次の行動を予測して広告を配信する。こうした手法はユーザーを常に監視(surveil)している、という批判的ニュアンスが込められています。

興味深かったのは、インタビューで明らかになったNGOがこの表現をあえて積極的に用いた理由です。そこには二つの狙いがあって、一つはすでに書いたように批判的意味合いを込めること。複数のインタビュイーが「これは政治的な用語 (political terminology) だ」と明言していました。ターゲティング広告の問題性を強調し、規制の必要性を欧州議員たちにアピールするために使っている、という意味だと理解しました。

キャンパス内。小さな大学です

surveillance advertisingという言葉を使ったもう一つの狙いは、「ターゲティング広告」 (英語ではtargeted ads) という言葉を使うのを避けたかったから。広告は大なり小なり誰かをターゲティングしているものであり、厳密には、新聞広告や道路沿いの看板も「ターゲティング広告」に含まれるとも考えられます(例えば、北海道新聞に載っている広告は北海道在住の読者をターゲティングしているし、首都高から見えるビルの上の看板は首都高を通る車の運転手をターゲティングしている)。規制に反対するプラットフォームを含むアドテク業界は、この点を突いて、規制推進派は「″ターゲティング広告”規制によってオンライン広告のすべてを規制しようとしている」と訴えていたため、NGOはユーザー行動の追跡とプロファイリングによる広告だけを問題視している点を明確にする必要がありました。そこで、反対派の批判をかわすために、問題視する広告だけを指す言葉として surveillance ads を使っていたとインタビューに答えていました。

(補足)
NGOが問題視しないオンライン広告の代表例は contextual advertising (コンテクスト広告)です。ユーザーごとに異なる広告を表示するターゲティング広告と違って、コンテクスト広告はその広告が埋め込まれたウェブページを訪れた人全員に同じ広告が表示されるもので、ユーザーの個人データを利用しない点が特徴です。

ちなみに学術論文では、こうしたユーザー行動の追跡とプロファイリングに基づくオンライン広告を指して Oniline Behavioural Ads (OBA) という言葉を使っているものが多くありました。日本語に直訳すると「オンライン行動広告」になるでしょうか。そのため、私も修論では targeted ads ではなく OBA で統一しました。

「DSAが規制の道を開いた」

ここで紹介したいもう一つのリサーチ結果は、DSAがもたらした成果についてのNGOの評価です。規制派のNGOは「ターゲティング広告の全面禁止」を求めていましたが、結果は上述のとおり、センシティブデータと未成年に関するオンライン広告規制にとどまりました。インタビューでは、この成果をどう評価するかを尋ねました。

DSAの最終的な条文については、実際の効果を疑問視する意見が多く、「センシティブデータを使わずにセンシティブな予測をすることができてしまう」「未成年と認識していないと主張して規制を逃れられる」「オンラインプラットフォームが対象なので、それ以外のウェブサイト上の広告は影響を受けない」といった指摘がありました。つまりDSAは実質的な規制にはならないとの見方です。一方で、さはさりながら、「ないよりはマシ」という理由で前向きな評価が大勢を占めました。

興味深かったのは、DSAそのものに対する評価とは別に、DSAの制定過程における議論全体への評価です。欧州委員会の当初案にはターゲティング広告に関する規制は全くなかったことからすると、規制の必要性に耳を傾ける政策立案者が少しずつ増え、議論がここまで深まった変化をNGO自身が驚きをもって受け止め、その意義を主張していました。そして、この流れは現在議論中の政治広告規制に影響を与えているとの指摘もありました。修論ではこれらのインタビュー成果をもって、DSAが今後のオンライン広告規制の流れに道を開いたことがNGOにとっての最大の成果だったと結論づけました。

学食は白米メニューもありました

論文は、16/20点という予想以上の高成績を得ることができました。いつも優しいけどほめることはなかった指導教官から、評価するコメントをもらえたことがうれしく、研究過程が間違っていなかったと自信になりました。「重要でタイムリーなトピックを扱っている (dealing with relevant and timely topic)」との指導教官の言葉のとおり、22年4月に決着したばかりの法律の制定過程を同じ年にリサーチできたことは意義があると思っており、タイミングに恵まれました(留年した甲斐があった)。一方で、リサーチ対象が限定的なうえ、このリサーチはNGOのみの視点に立っているため、欧州委員会や議会、反対勢力としてロビーイングしていたアドテク業界にもインタビューできれば、全体像をより深く理解できたと思います。なんにせよ、完走できたこと自体が私にとっては大きな喜びでした。

(いちおう出典も入れておきます)
Nabeshima, N. (2022). Civil Society Organisations' Framing of Regulation on Online Behavioural Advertising in the Digital Services Act [Unpublished master’s thesis]. Vrije Universiteit Brussel.

記者という仕事へのフィードバック

修士論文の執筆を通して、記者という仕事の意義についても再確認することができました。インタビューでは取材スキルが大いに生かせたと思います。アポ入れから事前の質問準備、インタビューの進め方、終わった後のフォローまで、基本動作や勘所は取材と同じだったため自信をもって進められました(それまでが迷子状態だったので、インタビューでは水を得た魚でした)。予期せぬ大事な言葉や言い回しに出会ったときに、とっさに掘り下げた質問を重ねることも、記者経験がなければ難しかったように思います。英語のやりとりは自信がなかったですが、聞きたいことがクリアになっていれば、さほど問題なくコミュニケーションできることも分かりました。

また、さまざまな文献を読むなかで、いくつもの新聞記事やウェブメディアの記事が引用されていることを目の当たりにして、報道という仕事の社会的意義について再認識しました。最前線で起きている一つ一つの事象が記事になり、研究者がそれらを材料に理論や概念を進化発展させ、学問や社会認識をアップデートしていく。記事はそのダイナミズムの1ピースになりえる。現場で取材しているだけでは実感することのなかった意義を知る機会になりました。複雑な物事を分かりやすく読み解く解説記事のニーズも高まっていると思いますが、こまかな出来事をいちいち書き残していく必要性も変わらずあるとの思いを強くしました。

キャンパス内にはサッカーグラウンドやジムもありました

最後に、ここでは書いていませんでしたが、論文ではリサーチの前段階として Theoretical framework という章立てがあり、なぜそのリサーチをするのか(何がどこまで分かっていて、何を明らかにするためのリサーチなのか)について、先行研究から理論や概念を論理立てて説明します。そのためにたくさんの文献を読むわけですが、この作業は苦しかったものの、新しい知識を広く深く学ぶ絶好の機会となりました。プラットフォームとは、なぜ力の不均衡が問題なのか、ターゲティング広告の何が問題なのか、といったことを論理立ててまとめたことも、修論を書くなかで得た大きな財産となりました。

そんなこんなで、もうすぐ日本に帰ります。3年間の休職を終えて、4月からまた記者として働きます。3年は長いとも思ったけど、異国の地で何かをやり遂げるには3年はかかるんだな、というのが今の実感です。大学院での勉強以外にも、ベルギーに家族で暮らして見えたこと、感じたこと、考えたこと、すばらしい出会いが数えきれないくらいありました。そういうものをnoteに書いていこうと思っていましたが、忙しくしていたらあっという間に帰国となってしまいました。そのうち、ゆっくり振り返りながら書けたらいいなと思います。




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