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はじまりの春 

黒スーツの若者が集団で電車に乗っている。
社会人の始まり。
毎年春、この状況に出くわすと
胸に浮かぶ光景がある。

雑踏、灰色のコンクリ道路。
駅構内から見える切れ切れの都会の空。
国鉄天王寺駅、昭和。
まだ世界で公衆電話が活躍していた頃。
受話器を戻し大きな鞄を抱えた棒立ちの私だ。
駅に着いたら連絡する約束だった。
電話から響く初めての関西弁に肝が震えた。

薬の名前の看板のある
柱んとこに立っとってや。

ヤクザ映画か漫才師がテレビで話すやつだ!

どんな服着てはんの?
・・・
グレーのウールに薄い青の大きなチェック柄の
スカートスーツ。
これをどう表現したのか記憶にない。
赤い、おっきいカバンば、持ってます、
と言ったのは覚えている。
私の故郷では4月初にウール地を着ても変じゃないけど、
ここでは浮いてる。。。

どこを見てもウキウキするものなんか
まったくなかった。
うるさいし黒いし灰色だし、なに?
当たり前だけど誰も笑ってないし、すごい早足。
油かゴミかホコリか、経験のない濁った臭い。
頭が痛くなる。
浮かぶ言葉を打ち消しても、すぐまた浮かぶ。
とんでもないとこ来た、どうしよう、
どうもしない、どうする、なんでもないってば、
したけど、ああ父さん、ばあちゃん、
私どうすればいい?
だって自分で決めたんだべ、・・うん、
したら、ちゃんとやんなきゃだめだ、
母さん言ったべ、・・・わかってる

数分か数十分かわからない。

雑踏から忽然とおじさんが現れた。
ベージュのジャンパーで胸に緑のアルファベットが3つ縫い込まれている。
私がアルバイトをするとんかつ屋のイニシャルだ。
おじさんはニコニコしながら私の名前を呼んだ。
その発音が異国だ。

お疲れさん、遠かったやろ、よう来はったなあ。
はい、
迷わんかった?
はい、
荷物これだけか?
はい、
あとは寮に着いとるかな、車こっちやから。
階段気つけや、
はい、
北海道とぜんぜんちゃうやろ、驚かんと、ぼちぼち慣れたらええし、車コレやから、そっち乗って。すぐそこやからね。歩こ思うたら歩けるんやけどな、荷物あるしな。

私の孤独の戦いは、
この専務の登場で打ち切られた。
とんかつ屋のせいなのか40前後で肌ツヤがよく
下膨れの顔を今も覚えてる。
私はこの人が好きになった。

社員寮はセントラル工場と同じ敷地。
男子寮、食堂も建っていた。
女子寮のある2階に上がり、入り口を開けて
専務が寮母さんに私を引き渡しながら、

荷物来てる?
まだ来とらんが、、
学校始まるの、いつや?
明後日です。
あさって?それまでには着くやろ。ほな、たのんますわ、
はいはい、わかっとるが、そんなこと。

岡山弁の寮母さんが廊下の先に太い左腕を向け、
さき、部屋に荷物置いたら、ここきんしゃい、
お茶でも飲んだらええが、

自分より背の高い私を見あげて、
おお、ほんに色が抜けるように白いわ、
北国の子じゃなあ、ようけ来たよお・・・
閻魔様みたいに怖い顔だけど、
言葉の最後でチラッと笑顔を見せた。
うれしかった。

それから学校と社会の二重生活が始まった。
正式な社会人ではないけれど、
親を離れて自活した社会の始まり。
4人部屋仕送りなし、学校とバイトだけ。
休日は要らない、すべての瞬間、
学ぶことがあふれていた。
常に分刻みで何かをし、私もすぐ、
あの雑踏の早歩き人間になった。
社会にも人にもゴタついて、
失敗も泣いたりもしたけれど
私が今でも根本的に世間を信じる性格なのは、
この始まりがあるからだろう。

電車が止まり、
黒スーツの若者集団は黒い鞄とスマホを持ち、
親指でスクロールしたものを見つつ
エスカレーターを上がっていく。
スタイリッシュでかっこいい。
我がスタート姿がダサすぎて笑いが出る。
でも幸せなスタートだったと思う。

自分の目的地だけがわかっていて、
あとは生もの相手の場当たり人生。
成り行きで歩いてきたけれど
生きていて、冬を越せば、
春は誰にも必ずやってくるから。
いまだに目指すことが
実はまだ残っている。

最後までお読み頂きありがとうございました。
よければ、その後の大阪のことです。


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