香港滞在の振り返り②

9月15日(日)あらかじめ午後からデモ集会がある事は知っていました。但し、香港警察は申請を却下しました。まずはホテルを午前中に出発して、地下鉄で香港島の中環(セントラル)に移動。MTR中環駅構内で、いつもネットで見ている警察隊の姿が見えました。警察隊は堅尼地域(ケネディタウン)方面のMTRに乗車するため向っていました。そのうちの1人があの警告旗を背負っていて、実物を近くで見て一瞬ゾっとしました。それからMTRで銅鑼灣(コーズウェイベイ)へ行きました。ここは日本の渋谷と言われる所で、常に人の波が絶えない所です。銅鑼灣駅を出てすぐ、そごうの近くで民主派の政党の演説がもう始まっていました。少しそごう周辺を散策してから、MTRで金鐘駅へ行き、駅と直結しているショッピングモールパシフィックプレイスに行き、地下にある西洋レストランでお昼を食べました。お昼を食べ終わり、1階に上がると、パシフィックプレイスとMTRを結ぶ連絡通路がまず閉鎖されていました。そして、1階の出入口も施錠されていました。そうこうしていると、銅鑼灣を出発した平和によるデモ行進の人々がパシフィックプレイスの目の前を通って行きました。行進はまだまだ続いていますが、そんな最中にパシフィックプレイスに入っているお店が次々とシャッターを下ろしているのを見て、これは早くこの場を去らないとMTR金鐘駅が封鎖されたら、九龍サイドに帰るのが困難になるかも知れないと思い、すぐさまMTRに乗ろうとパシフィックプレイスの連絡通路を通って金鐘駅に向かいました。改札口付近の壁を背にして警察隊の一行が腕を組んだりして立っていました。これは改札を通る人をチェックしているんだと思い、何食わぬ顔で改札を通りました。MTRに乗り込んだ時、内心ほっとしました。私は黒い服装は避けていましたが、もし運悪く職務質問にあったらどうしようかと、はっきり言っておぞましかったです。尖沙咀駅に到着し、足早にホテルに戻りました。そしてホテルに戻りすぐさまTVを付けてデモ行進がその後どうなったのか事態をずっと見守る事20分。TVにMTR金鐘駅閉鎖のテロップが出ました。足早に金鐘駅から移動して正解でした。米国に香港人権民主主義法案可決を請願する平和のデモが予定していた時間より前に警察の介入により終了、その後勇武派と言われる人たちが警察に立ち向かっていました。2014年の雨傘運動の時と違い今回のデモはリーダーがいないと言われています。皆がそれぞれの考えを持ち、和理非派(平和)・勇武派それぞれ仲間割れをしないと言う了解があるのだと言う事。友達に聞いた話では勇武派は確かに過激な役割を担うが、和理非派デモ行進の参加者が無事帰れるように、まるで自分たちがおとりになると言う役割を担っていると聞きました。友達はその時に付け加えて、香港は教育競争が厳しく例えば、希望の学校に入れなかった社会で言う負け組の人が、今回のデモに参加し、せめて香港のために負け組である自分が役に立てるのであればと奮起している人がいると言っていました。この現実、本当に身につまされる思いで聞いた事を思い出しながら、私はしばらくTVを見続け、警察に立ち向かう皆さんの無事を只々祈り続けました。


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