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日本で「難民」として暮らすということ。(1)なぜクルド人は故郷から逃れるのか

私が大学3年次に授業で執筆した、在日クルド人に関するレポートを、2つの記事に分けて公開します。
今回の報道を受けて、これまでの日本でクルド人の方々が経験してきた歴史や困難を踏まえないままされる議論を見て、不安を覚えたのが記事公開のきっかけです。デモをしている人々は、今回の事案に怒っているだけではないんです。アメリカの人種の問題のように、積み重なってきた不当な扱いに抗議しているという面も大きいはずです。
ブログ用に書いたものではなく、一学生が書いたもので不備もあるとは思いますが、誰かの理解のきっかけになればと思います。

1. はじめに


クルド人は国を持たない世界最大の少数民族であり、世界中におよそ2400万人いると言われる。主にイラク・イラン・トルコ・シリアに居住しているが、差別や迫害を理由に難民として外国へ逃れているクルド人も多い。日本では1990年代前半から主にトルコからのクルド人の流入が始まり、川口市を中心とする埼玉県南部に集住地区ができている。トルコ国籍の人々による難民申請は増加し続けているが、日本では過去に1件も認められておらず、正式な在留資格を得られず不安定な地位で暮らす者も多い。
移民・難民がホスト国で集住地区を形成することは一般的な行動だが、不安定な環境での生活を強いられながらも流入が増え続け、集住地区に留まって生活を続ける人が大変多いクルド人の暮らしぶりは、日本における他の在留外国人コミュニティと比べても特殊性がある。本稿では、埼玉県川口市のクルド人を事例にとって、彼らの抱える厳しい環境下での生活を成立される要素について分析したい。


2. クルド人難民発生の背景


2-1.トルコ政府とクルド人

クルド人難民の立場を理解するためには、クルド人が難民となるに至った政治的・文化的背景を理解する必要がある。そこで、本章ではクルド人を巡る社会状況のうち、特に来日が多いトルコにおける1900年代の社会状況に焦点をあてて、クルド人の歴史について見ていきたい。

トルコ共和国は、1923年に建国されて以来、ケマル・アタテュルクによる近代化政策がとられた。西洋的近代を目指し、政教分離政策や、同質的で世俗的なトルコ国民を作り出すための文化政策を実施してきた。1930年代以降の同化政策を行い、クルド人をトルコ南東部の山岳地域に住む「山岳トルコ人」であるという見解を示してトルコは単一民族国家であるとし、国民の約7分の1を占めるにも関わらずクルド人問題は存在しないと主張し続けて今に至る。
クルド人への民族的・言語的抑圧と組織活動の制限に反発して1960年代以降クルド復興運動が発展してくる中で、1978年にブデュル・オジャラン率いるPKK(クルディスタン労働者党) が成立した。クルディスタンの自由と独立を主張し、クルド人国家の建設を目指している。1980年代前半から武装化し、1980年代末から東部山岳地域のPKKゲリラとトルコ政府軍との戦闘が激化し、事実上の内戦状態となった。PKKは1990年代に入ると何度かトルコ政府側に一時停戦を求めているが、トルコ政府は応じていない。PKKとトルコ政府との戦闘でこれまでに約4万人が死亡している。
一方政府は、1990年代に入ると南東部の村や町をPKK支援の容疑で破壊する「村の無人化政策」を行い、94年から95年にピークを迎えた。政府はテロリストに対する「セキュリティ対策の一環」と説明しており、ここで民族問題はセキュリティの問題に置き換えらえている。この政策で約3千もの村や町が破壊され、約300万人が故郷を追われ国内避難民となり都市部へ流入したり、難民となって海外に逃れたりした。難民となった彼等は初めヨーロッパ各国に逃れたが、西欧で反クルド感情が高まり入国規制が厳しくなったことから、トルコと政治的友好関係にありビザなしで入国できる日本も目的地となった。

2000年代以降EU加盟を目指す中で、トルコ政府はクルド問題の深刻さを諸外国から指摘され改善を要求された。その後2005年に国内避難民の存在を認め、深刻な国内避難民問題に対して具体的な政策を展開することとなる。「帰村とリハビリプロジェクト」「南東部アナトリア開発プログラム」「ヴァン県行動プラン」などが挙げられるが、実際に成果が上がっているとはいえない。武力闘争が続く地域への帰村か、貧困が解消されない都市部での定住・統合という2つの選択肢から1つを選ばざるを得ない状況を作り出しており、彼らの持続的な生活改善には目が向けられていない。また、事業による投資は郊外や都市部での公共事業やインフラ整備に重点を置いており、あくまでトルコ全体の利益や発展につながるような経済開発が目指されている。もちろん雇用の創出や職業訓練といった人に焦点を当てた政策も行われているが、その効果は限定的である。 *1
抑圧されてきたクルドのアイデンティティの表象は段階的に許可されつつある。2000年代前半から海外の放送局によるクルド語の衛星放送が行われてきたが、2009年からトルコ国営テレビ局によるクルド語放送の開始が開始された。また、言語の使用に関しても公の場おけるクルド語使用の許可という限定的な緩和がとられるようなった。しかし学校教育では小学校以上でクルド人もトルコ語で教育を受けることは変わっていない。
2015年6月に行われたトルコ総選挙でクルド系政党の国民民主主義党(HDP)が台頭したために、トルコ政府はPKKとの武装対立を強め、クルド人地域への空爆などを行いトルコ政府とクルド人との対立は激化した。

 以上のようにクルド人は、建国以降続くトルコ政府との対立の中から、2000年代以降開発支援を受けアイデンティティ表象が可能となり、少しずつ状況を改善している。しかし、根本的な民族的対立や貧困問題は解消されておらず、武装対立や社会的差別は今も続いており、政治や社会情勢の変化があればその対立が激化しうる状況は続いている。

2-2. クルド人が難民する直接の理由

クルド人が国外に逃れる理由は、難民が発生するようになった1990年代初めから今まで大きな変化はない。政府による政策を見たのちは、地域社会のレベルでクルド人が抱える困難を見て、クルド人が難民しなければならない状況を4点に分けて理解したい。

1点目に徴兵を逃れるためである。トルコでは20歳になると15か月の兵役を課される。派遣地域は東部の貧しい人々は、PKKゲリラとの戦闘がある東部地域になりやすい。これはクルド人にとって同じクルド人と戦うことを意味する。また徴兵を避けるためにPKKゲリラに入るクルド人の若者も多くいるため、家族や友人がゲリラにいることが少なくない。このような背景から、徴兵への拒否感情は強く、徴兵拒否はできないことから、PKKゲリラに入るか徴兵前に国外に逃れることで若者は徴兵を逃れようとする。 *2

2点目にPKKやクルド系政党支援の容疑によるトルコ政府による拘束である。クルド人の独立を願うクルド人にとってPKKは今なお強い支持の対象となっており、秘密裡に支援活動を行ったり、PKK代表のオジャランの書籍や写真を所持したりするクルド人も多い。また、HADEP (人民民主党:1994-2003)は難民が増加した1990年代中頃当時トルコ国内で唯一合法的なクルド系政党であり、南東部のクルド人の多いいくつかの州では市政を手にするなど勢力を拡大していた。クルド人の利益を代表する政党をクルド人は支持する一方、トルコ政府は徹底して弾圧を行った。これらの組織の支援が疑われたり発見されたりすると、治安維持部隊に拘束され激しい拷問を受けることになる。家族が拷問を受ける又はその危険があり、身の危険を避けるために国外に逃れる。

3点目に政府側の民兵による襲撃である。トルコ政府は、Village Guard System (Geçici ve Gönüllü Köy Korucuları:臨時、志願によって農村を守る者(以下民兵))という地方の地域安全のためのセキュリティ政策を行っている。これは、東部・南東部のクルド農村部で、一般市民をPKKによるテロを防ぐ目的で武装させ、地域を守るというものであった。民兵の設置は目的に反し、武器の密輸や強盗・傷害事件を増加させたり、スパイのような役割を果たす民兵に対する不安感を呼び起こしたりしたため、クルド地域の治安を悪化させた。実際に、政治活動の支援等が民兵に知られ、拷問を受けたり家が襲撃を受けることが、国外避難のきっかけとなっている。

4点目に武力勢力からの脅迫である。近年イスラム過激派が活動を活発化させ、シリアにおけるアルカイダ系のヌスラ戦線や、イラクでのイスラミックステート(IS)が反体制を掲げて活動している。ISは、2013年以降シリア北部のクルド人領地やイラク国内のクルディスタンに領土拡大を図った。これに対抗する戦闘にイラク国外のクルド人組織も参加し、PKKも協力している。*3 トルコ国内のクルド人が武装勢力から脅迫を受けるのは、以上のようなトルコ東部は地理的にシリア・イラクとも近く同じクルド人が攻撃対象となった点で紛争自体が他人事では無く、PKK関係者がトルコ国内一般市民にも多いことからだと考えられる。

 以上のような理由で渡航する者は、難民条約の第1条に記される「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」という難民の定義に当てはまる可能性がある。実際、世界平均でのトルコ国籍の難民申請者の難民認定率*4 は13.6%(2012年)*5 であり、難民全体の平均認定率32%に比べれば低いものの、人種や政治的意見を理由に迫害を受けていることを認定されうる人々だということがわかる。

注釈


*1 鈴木慶孝(2013)「現代トルコにおけるクルド市民への社会的排除に関する一考察:国内避難民問題に関する報告書を中心として」. 『法学政治学論究』99. 211-220頁.
*2 中島由佳利(2003)「新月の夜が明けるとき―北クルディスタンの人々」新泉社.17-20頁.
毎日新聞「故郷遥か:川口のクルド人」. 2018.06.29. 地方版/埼玉. 27頁. 
以下の3点に関しても、この2冊にある証言を参考にしている。
*3 BBC news. “Who are the Kurds?”. 31.10.2017.
*4 決定総数における認定者の割合。
*5 根本かおる(2013)「日本と出会った難民たち―生き抜くチカラ、支えるチカラ」英治出版. 71頁.

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