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instagramの昆布の記事

Instagramの〈昆布の投稿に関して〉こんなメッセージをいただきました。
「子どもにいろいろ与えていても、好き嫌いが出る場合もある」
「成人してから克服する例もある」
「工夫して努力していてもアレルギーに悩む母親に対して配慮が足りないのではないか」要約するとその3つの事柄でした。

おそらく同じ気持ちの方もいらっしゃるのではないかな?と思うので、
私が思うことをつらつらと書きたいと思います。

まず、大前提として、すべての発言に対して思いますが、
1: 物事には例外なく全て例外があるということ。それをつついても意味があまりないと感じるということ。

2: 選択肢として「投稿をしない」というのも有る。でも、私のあの投稿で、ハッ!と見直した方々も少なからずいるはずで、その方の子どもたちは数年後、変化した食生活になっているだろうはずで、もし「いろいろ工夫していてもアレルギーが発生する場合だってある」と思う方の事を考慮して投稿しなければ、それは起こり得なかった変化だと思う。

その一方で「いろいろ与えていても、好き嫌いが出る場合もある」「成人してから克服する例もある」「感情起伏の激しさは食生活に起因しないケースも多い」と言う意見だって、まったくもって正しいのだから、それを発言したらいいと思う。(私へのダイレクトメッセージではなく…)
なぜなら、同じ思いの方が沢山いると思うから。それは、その方々の気持ちを汲み取る事ができる「行動」だからです。やめさせるのではなく、代弁したら優しい。


3: 私が伝えたかったのは、「感情起伏がはげしくなるのは、アレルギーに悩むのは、いけない事だ」ということでしょうか?
違います。「結果」を良い悪い言ってるのではなく、「行動」の話を伝えているんです。
「結果」は起こり得る可能性のことに触れているだけで、それが良い悪いという事ではない。
「結果」ではなく「行動」を選択出来るという、未来につながる話です。

何人ものお母さんと話していて、沢山同じ思いの人がいます。
それは「お友だち同士が集まったとき、お菓子を断れなくて、つい与えてしまう」というもの。
それは、私もすごくわかります。以前は、断りづらくて、あげちゃってました。


断られるって、なんか、否定されている気がしてしまいますもんね。。

でも、最近の私は、お友だちのお母さん方への伝え方が上手になってきました。ただ、渡されるお菓子を丁重にお断りすると、
今度は息子が、「なんでAちゃんはいいのにB君(僕)はダメなの?」と言うようになります
そこで「そうよね…確かに…」wではなくて!「人それぞれ」という事を学んで欲しいと思うから「B君はこれは食べないんだよ〜」と話したりします。

自分の息子が「C君にこのおやつあげたい」と言えば「C君のお母さんに聞いてイイヨって言ったらあげていいよ!」と伝えます。「人それぞれ食べるものと食べないものがある」それが子どもなりに当たり前になってきています。
「断ったら親御さんにワルイから」という心情に基づいた行動を選ぶよりも、「子どもの為に」という行動を選ぶことが大切なんじゃないかと思うんです。

だから、何度も言いますが、結果の話ではないんです。

さっきのお話で、同じ様に、子どもにあげたくないお菓子を受け取るシチュエーションになったら、そのお友達のお母さんに、
「ごめんねー!時々はあげてるんだけど、時々だけにしてて、さっきあげちゃったばかりだから、ごめんなさいしますね!ごめんねー、でもありがとうね!」と言ってお断りするといいと思います。(私は割とそうしてます)

あと、もう一つ、アイスクリームやカキ氷も私は子どもにあげます。アイスクリームやカキ氷は体にいいでしょうか?答えはハテナ?ですよね。
でも、何故あげるかは、わかりますよね?
だから、全てを排除する事がいい事でもないし、全てを容認する事が悪い事でもないと思うのです。

長いですが、そして多少強めのメッセージに感じることもあると思いますが、
しっかり自分を持って、人の言うことに一喜一憂しないで、「自分の行動によって何を起こしたいのか」を考えて行動する事が出来たら、それが一番素晴らしい事だと思ったりします。

そして、例え結果が理想の通り進まなくても、どんな事でも、自分の子を想ってやった事を、母として一生懸命な自分を、どうか褒めてあげて欲しいです。


#熱血かぁさんより


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