見出し画像

【射手座新月】決意の快感

思考では遅すぎる、というときがある。
あるいは速すぎる、と言い換えてもいい。どちらも「今」を逃しているという意味では同じことだ。

以前、フィギュアスケーターの安藤美姫さんがマレーシアの子供にスケートを教えにいくというバラエティを見かけたことがあります。

現役時代の報道ではエキセントリックな人というイメージばかり喧伝されていたように思うけれど、コーチをしている彼女は非常にコンフィデントで情熱的な大人の女性で、そんな彼女が子供たちに「ジャンプは『絶対に飛ぶ』という意志が大事なんだ」というようなことを語っていたのが印象的でした。
基礎練や、体づくりや、テクニックの理解ももちろん大事だろう。だけど最後は決意、determinationだという。スポーツや武道の世界ではよくきくセリフではありました。


さて占星学の世界では射手座は神獣ケンタウロス、つまり人馬のシンボルで表されます。12星座の中でスポーツに関わる星座といわれてパッと思い浮かぶ星座のひとつでもあります。

獣の持つ身体的・本能的知性と人間の持つ精神的・総合的知性の調和。それが射手座の持つイメージであり、スポーツで一流を目指す人は特に、避けては通れない、取り組まなければならない課題です。(もちろん、スポーツをしない人にも大切な課題です)

その意味で安藤さんの言った「『絶対に飛ぶ』と決める」という言葉は、ときに相反する獣の本能と人間の知性をここしかないというひとつの軸で結ぶ、とても射手座的な叡智の言葉です。

「この試合に勝つ」でも「ノーミスで演技する」でもなく、今、このジャンプを絶対に飛ぶ、と決意すること。

スポーツやビジネスの世界でよく聞かれる「タスクフォーカス」という言葉があります。
今目の前の、やるべき仕事だけにシンプルに集中するという意味ですが、昨今流行りの「集中力を上げて生産性を上げる」という効率主義的なニュアンスではなく、今日はそこにある哲学的な本質を探ってみたいと思います。


決意するというのは、恐怖に立ち向かうということです。

この場合は転倒するかもしれない恐怖、失敗するかもしれない恐怖です。
恐怖があると体がすくみ、不要な力が入ります。そのアンバランスは回転不足や、軸のブレや、着氷の不安定さや、あるいはそもそもジャンプに踏み切る脚の力を奪って飛び上がることそのものをできなくさせるかもしれません。

ですから、決意することは恐怖に立ち向かうと同時に、恐怖を切り捨てることでもあります。


では恐怖はそもそもどこからやってくるのでしょうか?

それは、過去の記憶からです。
氷に転倒したらどれだけ痛いか、ジャンプをミスしたらどれだけ減点されるか、試合で勝てなかったらどれだけ悔しいか、どんなに応援してくれている家族に申し訳なく思うか。
ひとつのジャンプミスに紐付けられた無数の記憶が、アラートとなって鳴り響き、「恐怖」が意識を席巻します。

タスクフォーカス、つまり、あえてごく短い単純作業に視野を絞ることで、忘れられない過去をそのひとときだけ完璧に忘れます。

氷の硬さを、失敗のリスクを、負ける悔しさを。
その瞬間記憶喪失して、そんなことはなにも知らないという精神になる。

知らないのだから怖いはずもないし、同時に勝ちたい、成功したい、うまくやりたいという望みも、その瞬間消えています。

なにも望んでいない、なにも恐れていない、まっさらな精神だけがそこにあります。
そしてそういう状態になれたとき、人間にも確かに備わっている動物的本能、獣の知性は見事な働きをします。

その瞬間、「肉体(動物)」という乗り物を手綱で操る「脳(人間)」という関係図は消えています。
思考という命令プロセスを介さず、直観がそのまま肉体に体現される。

神秘思想風に言うならばこれは思考と本能が分離している状態に代わって、人馬一体となった神獣ケンタウロスが姿を現した、と言ってもいいでしょう。

スポーツの世界で言われる言い回しならば、おそらくこれが「ゾーン」と呼ばれる状態でしょう。


勝つことも負けることも、結果でしかありません。
成功することも失敗することも、この意味においては生きることも死ぬことも結果です。

結果を思ってヤキモキしていることを「思考」だと思いがちですが、そのヤキモキはいつだって、過去の失敗や成功、過去の結果を参照して未来に投影しているだけだったりします。

そうして失敗を恐れ、未来に期待を先延ばしして、自分の体に命令して行動させようとしているとき、大切なことを忘れています。

それは、私たちの肉体……それは常に「今・ここ」を踏んで立っている、「今・ここ」にしか存在できない……という動物的知性は、決意の中でしか真価を発揮できない、ということ。

恐れも、期待も、今を「実際に」生きている肉体にとっては重すぎる。

過去と未来を空転する思考が下してくる「命令」は、現実にとってはノイズにしかならない。

失敗するかもしれないあらゆる恐れと、成功するに違いないというあらゆる期待を押し付けられたまま、「さあ練習どおりに完璧なジャンプをして!」と命令されても無理だということです。


だから、基礎練や、体づくりや、テクニックの理解ももちろん大事だけど、最後の最後にいちばん大事なのは「決意」なのです。


決意。つまり忘れること。
その小さな行動に集中している短い瞬間、なにも望まず、なにも恨まず、なにも知らない、子供になる。

安藤美姫さんは世界で初めて4回転ジャンプを公式戦で飛んだ女子選手ですが、当時わずか14歳だった彼女がインタビューに答えたところによると「遊びのつもりで練習してたら、なんかできちゃった」のだそうです。


思考の手綱を手放し、タスクフォーカスしているとき、そこには無邪気な歓喜だけが満ち満ちて、望みはすべて消えている。

今夜はちょっと思考をお休みして、子供が無邪気に好奇心に手を伸ばすように、「今」したいことを身体にさせてみてもいいかもしれません。

計画を練り直したり、心配事を整理するのは、明日でも遅くはないのでは?

新月から上弦の月への期間は、浄化のタイミング。手綱を緩めて本能が望んでいることを聴いてみると、純粋な好奇心が蘇ってくるかもしれません。射手座の矢が最も高い目標を見つけられるのは、恐れても焦ってもいないからです。

素敵な射手座新月をお過ごしください。


Crossing 岡崎直子

いただいたサポートは主に書籍等の資料購入に遣わせていただいております。心より感謝いたします。