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メッシタ/目黒

2011年4月、東日本大震災の翌月に開店した小さなイタリア料理店「メッシタ」。目黒駅からバスに乗るというはなはだ不利な立地にありながら、オーナーシェフ、鈴木美樹さんの料理はやがて、熱狂的に支持されていくこととなります。
5.19坪9席の店は深夜までフル回転。その中でともに働いていたお父さんは引退し、彼女も「料理人を続けていく」ための働き方を模索して、店の在り方はどんどん変化しました。「メッシタ」は2017年に終了し、彼女は現在、世田谷区で名前のない店を営んでいます。
この取材は「メッシタ」が伝説の店になる前夜、まだ開店1ヶ月半の頃に行われ、『料理通信』2011年8月号に掲載。
※写真は掲載時のものではありません。
※文中の名称、価格は2011年6月取材時のものです。

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2011.4.24 OPEN
「今までの常識を、ゴロッと変える。」


 イタリア料理で、お前は世を渡るべきだ。
 10年間師事したボス、澤口知之シェフは最後にそう言葉をかけてくれた。イタリア修業帰りの飛行機の中で「この人の下で働く」と勝手に決めてから、「ラ・ゴーラ」、「アモーレ」と追い続けた人。
 ついにはその人の右腕といわれるまでにもなった鈴木美樹さんは、しかし昨年、料理人からきっぱり足を洗おうと決めていた。
「飲食業に疲れてしまって」
 店を辞め、リスタートのために向かった先は、それでもやっぱりあの国だった。

 ただただ純粋な食べ手として、ロンバルディア、ピエモンテ、リグーリア、トスカーナ、ラツィオ、シチリアまで、1日2〜3軒を食べ歩くこと3カ月。延べ120軒を回った。
 この旅で、心に残った店は5軒ある。フィレンツェの「トラットリア・ソスタンツァ」では、アーティチョークの卵焼き。モデナの「オステリア・ルッビアーラ」では、自分たちで造ったバルサミコ酢の鶏煮込み。
 その土地の人の生活にいつの間にか組み込まれているような、名もない料理ほど毎日食べたくなる。

 こういう料理をつくりたい。鈴木さんの心は少しずつ、「料理人を続けていく」ほうへと向き直っていった。
「だけどやるなら、今までの常識をゴロッと変えなければ駄目だと思いました」

 よく〝イタリアのトラットリアを、そのまま日本ではできない〟と聞くけど、何でだろう?
 鈴木さんは価格だと考えた。まず、変えるべきはそこである。
 気軽なトラットリアと謳いつつ、1人1万円では週2回も通えない。自分なら、「何も考えずに通える」価格帯は1人2〜3千円。その範囲で、前菜+パスタ+ワイン2〜3杯は楽しみたい。

 では、そんな店が成り立つには?
「家賃を削ろうと。一般には3日の利益で払える家賃を目処にすると聞きましたが、私は1日で払いたいと思いました」
 場所はどこでもいいから、10坪以下で10万円以下。
 インターネットで5.19坪・12万円の物件が見つかり、10万円に交渉した。

 それが元競馬場のこの店舗。目黒駅から徒歩15分。
 15年間、地元の人が銭湯帰りに立ち寄るような飲み屋だった物件は、オリーブの木が植えられても、やっぱり引っ掛かる引力がある。

 そしてまた、強力な助っ人も現れた。父、光男さん65歳。ピンクのポロシャツにエプロン姿、娘とおそろいのスニーカーも決まって、定食屋のお母さんならぬ、イタリア食堂のお父さん的存在感を発揮。
 しかも元々、日本料理人。開店前にはガラス窓の隅々までピカピカに拭き上げ、床も雑巾で水拭きしてくれる。

 そのせいか、「メッシタ」の空気はすこぶる気持ちが良い。みんな自然と壁一面の黒板を向いて飲み、次は何食べようか? とニヤニヤする。
 仔牛の舌のボッリートか、ハムのパン粉揚げか、アーティチョークの卵焼きか。そこへカウンターの向こうから、小さな鈴木さんが大きな声で「仔羊おすすめー!」と叫ぶ。

 じつは彼女、延べ4年半のイタリア修業で学んだのは、すべて星つきのリストランテだ。帰国後は澤口シェフの店。肉の焼き方といった技術、食材に要求するレベル、その選択眼は自ずと鍛えられた。その技術をして作る、食堂の皿である。
 たとえば「茄子のグラタン」590円に使われるのが水牛のモッツァレラだったり、「仔羊のもも肉のフライ」は脂のない部位をニンニクとローズマリーでマリネしてから、ビールと粉のパステッラ(衣)でカリカリに揚げる、その加減だったり。

 唸る技術で作られる、何でもない料理。
 飾りも洒落っ気もないぶっきらぼうなルックスも含め、イタリアを経験した人にはたまらなくツボだろう。

「これまでと同じじゃいけない、新しいことをやらないとたぶん駄目になる。それは飲食業だけでなく、震災であらゆる価値観が崩れた日本も同じです」
 大切なのは、世を〝どう渡っていくか〟。
 彼女はそれを自分に問い、自分で見つけた。


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