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「不要不急」という言葉に傷ついた人たちへ

僕らの仕事は、不要不急だったんだ

人の集まりやイベントごとの自粛が始まった3月下旬から、延期、中止、休業、時間短縮、自宅待機。数カ月にわたった沈黙の期間を経て再開した人々が、この期間、それぞれにどんな思いがあったのかを語り始めています。

その発信を聞くなかで、気になったのはこの言葉。
「僕らの仕事は、不要不急だったんだと気がついた」

本当に多くの人が口にしています。
私のフィールドでいえば、外食や夜間の外出が「不要不急」とされ、肩を落とす店主たちを見てきました。でも飲食業だけでなく、ライブができない音楽家や会場も、撮影ができない役者や映画を上映できない映画館も、取材ができないライターや雑誌を出せない出版社も同じです。

興行、旅行、小売、服飾、美容などなど想像が追いつかないほどの分野で、そのスペシャリストたちが、自分の仕事を不要不急だと思っている。
もちろん不要不急とは、「今すぐにどうしても、ではない」という意味なんですが、気になったのは、それを「要らないもの」と捉えている人も多いということです。

「魂」のためには必要なもの

無理もない、とも思います。
棒線で次々と消されていくスケジュール帳や、お客のいない空間、ぽっかり空いた何の予定もない日々が突然目の前に現れたのだから。

もしかして望まれていない?いや、初めから必要ではなかったんじゃない?と考えてしまいそうになりますよね。

そういうとき、私は昨年取材した佐渡のワイン醸造家、ジャン=マルク・ブリニョさんの言葉を思い出します。

〝ワインは、人間が生きていくために必ずしも必要ではありません。しかし「魂」のためには必要なものなのです。〟
(dancyu web  ジャン=マルクさんが見つめる「明日の日本ワイン」より)

人が生きるために必要なものは、究極をいえば空気と水と食べものでしょうけど、人の魂はそれでは生きていけません。


生きている、ということ

私の母は施設にいて、栄養バランスを考えてもらった食事を摂っています。ただ、すべてが誤嚥防止でドロドロの半液体。煮物もデザートもドロドロだから、もしかしたら本人は何を食べているのか、わからないかもしれません。

でもこの施設ではときどき、家族の差し入れを許してくれます。
で、母に大好物のアイスクリームを食べさせてあげると、信じられないくらい目がぱっと輝いて、笑うんです。
病気の進行で感情表現がどんどんできなくなっているなか、一瞬で記憶の奥のほうから笑顔が引っ張り出されるほどの喜びを、アイスクリームは持っているんですね。

この瞬間、母は自分の人生を楽しんでくれている。それはたしかに「生きている」ということで、つまり魂のために必要な不要不急です。

とはいえもちろん、お客がいなければ与えることもできないし、志だけじゃ経済を乗り切れません。
道はどこにあるか。見つけるのでなく、新しくつくっていかなければならない時代かもしれません。

音楽も映画も、料理もワインも、文学も旅も、魂には必要。だったらそれらを、私たちはどう求めていくか。つくり手はどう与えていくか。
それを考えていくうえで、「魂のために必要なもの」という言葉が、きっと支えになってくれると思うんです。

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