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リアリストとアイヌの物語は共存するのかな

 私はリアリストなんだと思う。資本主義社会の中じゃ、ある程度の金銭的余裕がないと生きられないと思っている。友情を温めるのも、食事を楽しめるだけの支出は必要だし、お祝いの気持ちを表すのも、色んな支援をするのにも気持ちだけでは伝わらなかったりするものね。

 好きな書店に通って楽しく話ができるのも、購入するという前提があるからだ。書店も暇つぶしでやってるわけではないだろうから、店主と私の間にあるのは友情ではなく、フラットな需要と供給の関係だと思う。その場所に価値があるから、その価値の分だけの支払いをして(本を買い)楽しい時間を享受できるんだ。

 だからかな、リアリティーがある物語が面白くてたまらないんだ。塩野七生の【ルネサンスの女たち】を読んで、残酷な中でも懸命に生き抜く強さに心を持っていかれるのは、歴史は気持ちだけでは動かない、そういうシビアな状況に深く納得できるからだろう。


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 【史伝 鍋島直茂  ~「葉隠」の名将 ~ 】中西豪 著者 学研文庫

 最近購入した本だ。もう絶版になっているらしく、古本屋で気になって手に入れた。「葉隠」とは佐賀の鍋島藩主の近習、山本神右衛門常朝が語ったものを同じ佐賀藩士の田代陣基が筆録して成ったもの。その内容は、いかにして奉公人としての忠義をつらぬくかが書いてある。戦が終わりを告げた時代の武士道とでも言うのだろう。

 史伝の本の主人公鍋島直茂は、主君の佐賀の大名、竜造寺家が傾くと、周りに推挙されてか、野心からなのか、佐賀大名として藩主になった人物。戦国時代にはいくらでもある下剋上だが、戦が収まりつつある徳川時代、無血での藩主交代は珍しかったそうだ。

 しかしその後、鍋島家対、竜造寺家の内部紛争もあった。そうだよね、藩主という大きな権力、財力の甘い蜜に群がるのは人の常、一筋縄ではいかないよ。そんな事を思いながら、少しずつ読み進めている本なのだ。

 しかし、そこで、この凝り固まった頭にハンマーでガツンと打撃を与えた本が現れたんだ。


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 【アイヌの昔話】萱野茂 著者 平凡社ライブラリー 

 見ての通りアイヌ民族に伝わる昔話である。著書の萱野茂氏は1994年から1998年までアイヌ初の国会議員を務められた人で、アイヌ語の保存、承継のために活動を続けた方である。(2006年没)


 まだ、アイヌが独自の文化を謳歌していた頃からの言い伝えによれば、山には山の、海には海の、また火や鳥やヘビにも神様はいたんだ。そしてなんと!鍋にも神様がいたそうなんだ。


 ある村の娘はカサブタがひどく、周りの子どもたちからのけものにされていたんだ。いくら薬を塗っても治らない。近所に住む子どもがいない夫婦はどの子も同じように可愛がっていたので、かわいそうでたまらない。

 ある日夫婦は同じ夢を見た。カサブタの原因はその女の子の家の煮炊きに使う鍋にあったんだ。忙しさにかまけた子どもの母親が、鍋を使っても洗わず汚しっぱなしで、まるでカサブタに覆われているような姿のまま放置していたのが原因だと。それに腹をたてた鍋の神様は、なんとか洗って欲しいとそれを知らせようとして、子どもにとりつきカサブタだらけにしたんだと。

 夫婦はそれを女の子の両親に知らせに行ったんだ。すると両親は泣きながら反省して、鍋を綺麗に磨き鍋の神様に謝って、火の神さまにもお詫びをいっていただくようお願いをして、ようやく元の美しい娘に戻ったんだ。後に女の子は子どものいない夫婦の元にもらわれていって、数年後、たくさんの子どもが生まれめでたしめでたし。

 

 また、アイヌの昔話によく出てくるのは、山を守る位の高い熊の神。何年かに一度アイヌの国へお客として行き、たくさんのイナウ(アイヌの祭具のひとつ、自然木で作る)やおみやげをもらわないといけない。そのためイナウを作るのが上手で精神の最もいいアイヌのところへいくのだそうだ。

 その熊の神はアイヌの前に立ち、矢に射抜かれ気がつくとからだと頭は別々で、頭骨に胴体の毛皮をつけたままの姿になっている。その大きな熊が山を守る神と知ったアイヌは、外の祭壇に熊を置き、火の神を呼び礼拝を重ねるの。そして集まってきた村人みんなで歓迎の言葉を述べるんだ。

 熊の神は見たこともないようなごちそうと、踊りでもてはやされ、そのうち語り上手のアイヌがユカラ(叙情詩)を話し始める。そして、これから面白くなるところで話をやめてしまわれて、神の国に帰った熊の神は、ユカラを聴きたさに再びアイヌの村に訪れるというわけだ。

 命の循環とでも言おうか、自然と共に生きている文化がインディアンの文化にも似て、資本主義にまみれる前の世界は皆こんな感じだったのかと思ってしまう。



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 もっと残酷な昔話もある。ある所に、夫と妻と生まれたての赤ん坊が仲良く暮らしてた。腕の良い猟師は山へいき家をしばらく開けるから、留守中に宝箱を触ってはいけないときつく妻に言って出て行った。妻は開けてはいけないとわかっていてもどうにも堪らず箱を開けてしまう。

 その中にはナイフや金属の串が入っていて、それを見たら無性にお腹が空いて堪らなくなる。そして、目の前の赤ん坊を串刺しにして焼いて食べてしまうのだ。我に返った妻は泣き腫らし、帰ってきた夫に洗いざらい自分がした事を話すのだ。

 すると今度は夫が謝るのだ。昔、山の中で人食い人間に出会って、怖がらずにいたのが気に入られ、宝箱をもらった。その宝箱を持つと獲物がよく取れるようになるが、あまり長く手元に置いておくと腹をすかせて何が起こるか分からないから、いつでも山へ持ってこい。そう言われていたのがついつい欲に勝てず、手元に置いていたと。

 それで宝箱を山へ持っていき、ふたりとも改心して、また子どもも生まれ幸せに暮らした。でも、殺してしまった子どものことは決して忘れられなかったと終わる。

 今もそうだよね、色んな欲に勝てずに家庭を疎かにしてしまうと、妻や子を不幸にする結果が待っているんだ。アイヌの昔話に限らず、昔話って本当に大切なものを守って欲しくて語り継がれてきた人類の知恵なんだ。


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 相反するふたつの世界に惹かれる私は、狡さと強かさを懐に隠し持ちながらも、自然の神様に恋焦がれている。生きていくのは不条理で、でも最後にたどり着く先はみんな同じ。

 疲れ果てた身体が、だんだん強く重力に引っ張られるのを感じながら、私は日に日に地球に強く抱きしめられているんだと思う。

 いつか枯れた花びらが地面に落ちるように、私も年老いて道に倒れ、地球の土となる事を喜びに思う日が来るのだろう。






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