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金木犀の香り

 甘い香りが鼻腔をくすぐる。匂いはするけれど、恥ずかしがりやの可憐な花は見えない所に隠れている。そう、常緑樹の緑の陰からひっそりとオレンジ色の花をほころばせているのは金木犀だ。

 金木犀は五感の中で嗅覚だけに訴えかけてくる花だ。きっとインスタ映えはしないけど、秋には絶対欠かせない花なのだ。視覚、聴覚は動画でも伝えられる。こんな綺麗な花だよとか、こんな声で鳴く鳥だよなんてわかるんだ。でも、味覚、触覚、嗅覚は経験していないと伝わらない。


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 デイサービスで働いてた頃、視覚障害の利用者さんがいた。後天的理由で視覚を失った方ばかり。一度デイサービスのテーブルに座ると職員が一緒でないと移動出来ないので不便なんだ。隣に座ってる人も最初はおしゃべりするけど、やっぱり話題が合う別の人の所へ行くので淋しいんだ。

 視覚障害のしまさんといつさんを隣に座ってもらうようにすると、喜ばれた。話題が尽きないほどおしゃべりをされる。「いつ頃から見えなくなったの?」としまさんが聞いたり、いつさんが「私は光はぼんやり感じるの」とか「情報をもらうのはラジオばかりになっちゃうね」とか色々な話。

 いつさんはしまさんに切々と話される。「同じテーブルに座っている人と話したくても、何処に行ったとかテレビの話ばかりするから、会話に入れないの。しまさんと一緒になったらそんな心配はいらないから嬉しいわ」と言う。ふたりは手を取り合い、お互いの存在を感じて笑ってた。 

 しまさんのご主人は、昔大学の教授だったらしい。忙しいご主人の代わりに子育てから親戚付き合い、ご近所付き合いなど、ほとんどひとりでやってきた。気さくで明るいしまさんの周りにはいつもお友達の姿があった。でも視力が悪くなり、人付き合いも出来なくなって、訪ねてくれる人がだんだん少なくなったと言う。

 「子ども達は時々来てくれるの。家の事を手伝ってくれるからありがたいわ。でも、主人は一人で出かけて行ってね、元々そういうタイプの人だったんだけどね。まあ、しょうがないわよね」と、しまさんは話す。寂しげな微笑みを浮かべながら。

 いつさんのご主人は、いつもマンションの出入り口までデイサービスの出迎えに来られる。いつさんは車を降りると、光をうっすらと遮る影がご主人だと気づき笑顔になる。杖をついてない方に寄りそうご主人は、いつさんの肩をそっと抱くようにしてエレベーターの中に消えていく。

 そんなしまさんといつさんの食事風景は素敵だ。他の人と違ってワンプレートの食器が運ばれる。ご飯とおかずの位置が決まっているので、もう指先が覚えているのだろう、スプーンですくって口に入れる。早食いが板についてる私などよりも、優雅にゆっくり、味を楽しみながら食事をされるんだ。


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 春はお花見、夏はお食事、秋は公園、冬はショッピング、デイサービスは希望者を募って、季節ごとにお出かけがある。職員は利用者さんと共に、居残り組とお出かけ組の二手に分かれて業務を行うのだ。

 しまさんといつさんは、いつも春と秋にはお出かけされる。どこに行っても景色は見れないし、果たして楽しんでもらえるのかな?そう思ってた。でもそれは目が見える者の思い上がりとでもいうのか、全くの杞憂だった。

 車から降りて車椅子で公園に移動している時しまさんが嬉しそうに言う。

 「あぁ、金木犀の香りがする!もう秋になったのねー。バスに乗ってこういう所に連れて来てもらうとね、季節を感じられてすごく楽しいの。素敵な気分転換になるのよ。 ほんと、ありがとうね!」

 風がふわりと身体を包み、まだ強い陽射しが肌を刺激する。樹々のざわめきが心地よい音楽のようだ。景色は見えなくったって、香りを感じ、風や陽射しを肌で感じ、樹々の声を聴きく。そこで飲むジュースは確実に二割増しは美味しいんだろう。私たちも同じ、おんなじなんだ。


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 それから何年経つだろう。私はデイサービスを辞め、同じ時間を生きてきたみなさんとお別れをした。退社する少し前、送迎の途中にある桜の花を見上げながら、来年は一緒に見ることの出来ない事実に、突然切なくなった。もう、二度と会うこともないだろう。

 ふたりの姿もみなさんの姿もあの当時のまま、胸にひっそり隠れている。そして秋になると、しまさんといつさんの穏やかな笑顔が、記憶の中に立ちのぼるんだ。どこからともなく流れてくる、金木犀の甘い香りとともに。







 




 

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