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サクラのこと 〜1. 「出会い」

※ごく私的なエッセイです。音楽のレビューを読みに来てくださった方はごめんなさい。

 30代のある時期、下町の、入り組んだ路地の奥にある小さな二階屋に住んでいた。お風呂のない家で近くの銭湯に行くのが日課だった。黒い鉱泉の湧き出るその銭湯には家からさらに細い路地をなんども曲がらなければならず、だがそれがこの町の、今の東京ではほぼ絶滅しかかっている「風情」というものを感じさせるようで、いつも路地を曲がるたびになんとなく幸せな気分になる。ある晩秋の夜、いつものようにシャンプーやらタオルやらが無造作に突っ込まれたカゴをガチャガチャならしながら銭湯に向かう途中、どこかの路地の影から2匹の真っ白な子猫が現れた。野良にしては人馴れしていて、みゃあみゃあ鳴きながら私の脚に体を擦りつけてくる。それまで私はいちども猫を飼ったことがなかった。動物嫌いだった母が「生き物を飼う」ことを決して許さなかったからだ。唯一、鳥だけが除外されていたのは、祖母が長年文鳥と十姉妹を育ていたからで、今は一羽もいなくなってしまったものの鳥のエキスパートである祖母の応援が功を奏して、小学校3年生の時になんとかセキセイインコを飼うことが許された。つがいで卵を産ませ、ヒナを一生懸命育てて手乗りにしたが、ある晩玄関のドアを開けっ放しにして郵便屋さんに対応しているスキに逃げてしまった。家の裏には大きな木が何本もある立派なお庭のある家があって、そこの庭に逃げ込んだのだろうと頼み込んで探させてもらったが、声を限りに呼んでも小さな鳥は二度と私の前に姿を表すことはなかった。涙の止まらない私に対して、一度たりとも鳥の世話を手伝うことすらしなかった母は、うんざりしたようにこう言った。「だから生き物を飼うのはやめなさいと言ったでしょ」

 以来、我が家には生き物がいたことはない。中学校ぐらいからなぜか猫が好きで好きでたまらなくなっていた私だが、母の前では口が裂けても「猫が欲しい」などと言うことはできなかった。だから道端で猫に出くわすと、いつもしゃがみこんで「チチチ」などと言いながらなんとか撫でさせてもらおうと試みるのだったが、野良というのはとても警戒心の強いもので、こんなワケのわからないでかい図体の人間なんかに簡単に触らせてはくれないのである。それがこの時の2匹の白い猫は、こちらが何も言わないのに自ら体をすり寄せてくるではないか。これはおかしい…何かある…。小さめのティッシュ箱ぐらいの白いふたつの塊が足の周りをなんども回りながら張り上げる声を聞いて、はたと思いついた。そうか、これはきっとお腹が空いているに違いない。その瞬間、私はくるりと踵を返すと家に走って戻り、銭湯カゴを放り投げるともう一度2匹の子猫たちと遭遇した場所まで取って返した。果たして、2匹はまだその場所にいて、にゃあにゃあ、ぐるぐるやっている。私は2匹を腕に抱えた。断っておくが、それまでに「猫を抱っこ」した経験は、友人の家でひどく人馴れした子を抱かせてもらった一回きりである。抱っこの仕方が間違っているかも、とか、誰かに見咎められるんじゃないか、とか、そういう心配が頭に浮かばなかったと言ったら嘘になるけれど、その時の私の行動は素早かった。抱いた瞬間、なまあたたかいグニャリ、とした感覚にちょっと怖じ気づいたものの、そのまま私は家に向かって全速力で走った。サンダルのカタカタいう音がやけに大きく感じ、しかしそれを上回る子猫の鳴き声の大きさに犯罪者めいた気持ちになりながらも、私は家まで速度を緩めることなく走り抜いた。といっても実際は5分も走っていないのだが。

 家のドアを閉めてようやく人心地つき、とりあえずといった感じで子猫たちを台所の床に下ろした。相変わらず鳴きながらウロウロと動き回る彼らを見下ろしながら、さて、猫というのは一体何を食べるんだっけ、ということに思い至る。猫の年齢はわからないが、ティッシュ箱ぐらいの大きさであるところからみて子猫と成猫の中間、いわゆる「中猫」ぐらいではあるまいか。とするとキャットフードか。しかしこの家にキャットフードはない。再び私は、近所にある酒屋がコンビニに変態を遂げる途中のような店に走り、猫の絵のついた缶詰を2缶ばかり掴んで走って帰る。深すぎず浅すぎず大きすぎず小さすぎず、といった皿を2枚選ぶと片方には慎重に缶詰の中身をあけ、残る皿には水を入れて2匹の足元に置くと「さあ、ごはんですよ」と知った風な声をかけてみた。果たして、猫たちは皿の中身をクンクン嗅いでいたかと思うとおもむろに舌を出して食べ始めた。よかった、よかった、ひとまず安心だ。ここまでやり遂げた段階で、もうすでにとっぷりと日は暮れていた。猫たちの素性はわからないが、白い毛並みはそれほど汚れてはいず、またあれほど人間に餌をねだってきたところからみても(そして大きさからいっても)「長年外で暮らしてきた年季の入った野良猫」でないことは間違いあるまい。11月の夜はかなり冷える。私は台所の片隅に小さなダンボールを置き、その中に古くなったバスタオルを敷くと、食事を終えた2匹をその中に連れて行って「ここでおやすみ」と声をかけた。何だかたくさん走った気がして疲れたその夜は、結局銭湯には行かずに寝てしまった。

 これが、その後15年以上一緒に暮らすことになった私の最初にして最愛の猫の兄妹、白次郎とサクラとの出会いである。

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